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今日まで受け継がれる笑いの基礎を築いたザ・ドリフターズとは?
2022年03月11日 (金) | 編集 |
FC2 トラックバックテーマ:「子供の時に好きだったおもちゃは?」


テレビ史の中で最高視聴率といえば、紅白歌合戦(1963年12月31日)81.4%
東京オリンピック(NHK/1964年10月23日)66.8%、2002FIFAワールドカップ
(フジテレビ/2002年6月9日)66.1%、おしん(NHK/1983年11月12日)62.9%…と
並ぶ中、お笑いバラエティーで唯一、50%を超えた怪物番組があった。

8時だョ!全員集合! 最高視聴率、50.5%(1973年4月7日)。

いかりや長介、高木ブー、仲本工事、加藤茶、志村けん。 毎週土曜の夜8時
ドリフターズ5人の生み出す笑いに、日本中が、くぎづけになった。

それまで爆発的な人気を博したのは、コント55号。 そして、コント満載の
ゲバゲバ90分(日本テレビ)。

お笑いの群雄割拠の中、8時だョ全員集合が抜きん出たのは、一体なぜか?
一発勝負! 観客を前にしての公開生放送。 そこには、毎週、笑いと闘う
男たちの執念があった。

加藤茶 “ネタがハッキリ決まるのは、本番のね…本番始まる10分前まで考え
ていた。自分たちが納得しないんですね”

実は、ドリフターズは、もともとミュージシャン。 笑いのプロではない。

長介“ロカビリーバンドで、お客があまりにも入らないので急遽、後から笑いを
足したわけなんですね。ドリフの笑いは自己流なんで、メチャメチャなんです”

バンドマンならではの笑いとは? 今回、ドリフのメンバー3人が集結。
リズムにテンポ… 音楽が生む、笑いの形を明かしてくれた。

バンドマンの笑いの神髄に迫る!

さて、こちらをご覧ください。 痛いの痛いの飛んでけぇ~! 最初はグー!
加トちゃんぺっ! なんだバカヤロー! カラスの勝手でしょ! アイーン!
などなど、数え切れない流行語のギャグ。

全て、ザ・ドリフターズの8時だョ!全員集合から生まれたものです。 私も
子供の頃、毎週土曜日の夜は、ウキウキして見ていました。

今日まで受け継がれる笑いの基礎を築いた、ザ・ドリフターズ。
運命の分岐点は、1969年10月4日の午後8時。 8時だョ!全員集合の放送
開始の瞬間です。いかにして怪物番組は生まれ時代をつくって行ったのか?
その笑いの秘密に迫る、アナザーストーリー。

時代は1969年。 高度成長の真っただ中。 モノがあふれ、人々が豊かさを
求める一方、世の中のひずみも露呈。

学生たちは権力と闘い、街頭デモを繰り広げた。何かと難しい問題に直面する
そんな年の夏。 TBSのある赤坂、初の顔合わせは、お寿司屋さんだった。

いかりや長介のボヤキから始まった。  “何、血迷った事いってるんだ。毎週
1時間の生なんて、ご大層な事、できっこねえよ”

相手は人気番組、お笑い頭の体操を手がけたTBSの若き(当時35歳)やり手
プロデューサーだ。 だが、土曜8時枠では、あえいでいた。 その時間帯、
視聴率トップはフジテレビ。 コント55号の世界は笑う!が軒並み30%超え。

日本テレビも、巨人戦ナイターで高視聴率を保ち、他局は蚊帳の外だった。

一方、当時のドリフターズといえば、この曲(いい湯だな)のヒットで人気上昇中
だったが、お笑いではレギュラー番組が立て続けに打ち切りという憂き目に
遭っていた。そんなドリフにプロデューサーは、土曜8時の白羽の矢を立てた。

いかりやは言った。 ‘今のコント55号の裏では(中略)勝ち目はないんじゃな
いの(中略)。結局、1番、割を食うのはドリフじゃないのかな’

いかりやの本音が、著書にある。 (8時だョ!全員集合伝説より)

いかりや ‘数字を上げられなかったら(中略)切り捨てられるのがオチだ。私は
リーダーとして、ドリフにとって、損か得かを考えるようになっていった’
(いかりや長介自伝より)

だめだこりゃ… と、つぶやいていたら、歴史は変わっていた。 そこにはプロ
デューサーの考えたドリフ必勝の策があったのだ。 公民館で公開の生放送。
NGが出せない緊張感と臨場感。 それが新たなパワーになると信じていた。

加藤茶 “まぁ、僕のところには、長さんから、どうする?って話しがあったんで
すよね” 土曜8時、公開ナマ、このリスキーな提案を、どう受け止めたのか?

加藤茶 “チャンスじゃないの?土曜の8時で、ゴールデンで出来るんだったら
スゴイ事なんで。難しいとかは考えなかった”

高木ブー “生放送でやるって事はスゴイ。それのいきさつは、よく分からない
けど、それはスゴイなとは思ったけどね。まず、そんな事は、まず無かったから
ね。当時、生でやるなんて…”

仲本工事 “僕らは、大体…ステージは全部、生だった。それに対して抵抗は
なかった。生の方が、居心地が良かった”

いかりや ‘つまり、ジャズ喫茶の延長線上のものだろう(中略)目の前の客を
笑いに引き込む自信はある。大変だろうが、苦労してもいいか…’

よしっ!いってみようかぁ! 10月4日夜8時。 ついに番組スタート! 当時の
メンバーは、荒井 注(あらい・ちゅう)を含む5人。 ステージは、驚きと笑いで、
一気に観客を巻き込んだ。怪物番組は半年を待たずに視聴率27%に達した。

峰岸 “苦い思い出も、こういうのを見てると思い出されて来るな…”

中継や演出を担当した、峰岸。 盛り上がりの秘密を明かしてくれた。

“7時過ぎから客を入れ始めて、前説ありで、長さんが喋る事もあった。1番
最初の、お~っす!っていうのは、8時だョ!全員集合って終わって、その後
お~っす!って…あれも、かなり練習して。あれウケるんですよ、子供たちも。
お~っす!の練習をしようとか言うと、自分たちも参加できるわけだから”

Q: となると、本当に7時半過ぎから、もう既に…。

“はい。7時半過ぎから始まっています”

Q: そうすると、どんどん、お客さんの雰囲気も…。

“もう、のったまんまで。とにかく客を大事にする、長さん。どんだけ笑い声が
くるか?拍手がくるか?どんだけ味方にひきずり込むか?それのバロメーター
として、どんだけ味方につけるか?”

テレビの向こうより、ドリフは会場のお客だけを見ていた。

“カメラ目線で何かするっていうのは、最初の、いかりや長介さんの8時だョ!
ってカメラ見る、それだけですよね。あと、カメラ目線ないと思いますよ。舞台
上で。要するに、会場に来ているお客が喜んで笑わなくて、どうしてテレビを
見ているお客を笑わせられるんだという発想だから…”

生の会場との一体感。 その先にしかテレビは、ない。 いかりやとプロデューサー
の作戦だった。 家庭や会社。 コントは身近な設定が多かった。

毎週、ドリフは、自分たち自身で笑いを練り上げた。 高木ブー “魔の木曜日”

仲本工事 “毎週3時、木曜日、TBSのリハーサル室に入って一応、台本なる
ものがあるから、それを見て…”

峰岸 “長さんが、う~ん… さぁ、峰ちゃん、何やろうか?って…”

仲本工事 “そこから、1から考え始める。大体、早くて夜の11時か12時。
明け方になる事も、しばしば…”

高木ブー “僕は、もう参加してるだけ。参加してるだけ…早く終わんないかな
と思っているからね”

台本を書いて来た作家は、たまらない。ドリフと数々の番組を共にした田村は
“大変でしたね、それはね、稽古。なかなか納得しないんですね、いかりや
さんがね。一生懸命、書くじゃないですか、真剣に。真剣に書いて、あっ、これ
面白いぞって持ってって、それがボツになった時のショックと…だから放送作家
で入って随分、出入り多かったんですね”

Q: 出入りって事は、結構、すぐ辞めてく…?  “うん。もう耐えらんない。
僕なんか全力投球した事がない。口には出しませんよ”

峰岸 “長さんは、台本で面白いのは、多分、彼は面白くないんだと思う。
自分の体を使ってやってないと”

いかりやは、自分たちのコントを、大戯(たいぎ)と呼んでいた。

田村 “これ、いかりやさんの造語だと思うんですよね。演技の技かなと思って
聞いたら、そうじゃない。俺たちやってるのは、演技の技ほど技を見せるとか、
そういうんじゃないんだと。しょせん、お笑いなんてものは戯(たわむ)れていて
いい。それ、僕、妙に印象に残ってたんです。なるほどなぁ、大戯という言葉が
あるんだなと思ってね”

高木ブー “言葉というより、転がったり、山登ったり、体張ってやったギャグ”

言葉に頼らず、体で表現して初めて笑える。 いかりやの哲学だった。
メンバー1人1人が考えて積み上げる。 まさに全員集合。

仲本工事 “それは、自分のところは、みんな自分で考えて。そのスタッフが
ウケれば、笑ったらOK。笑わなかったら、考え直し。だから笑うまで考える。
考えつくまで吸うもんだから…ヘビースモーカーになってしまった”

高木ブー “メンバーに言わせると、長さんはコントが下手だったね。長さんは
進行するだけで大変だからね。学校コントも机の上に台本が、ガーッて書いて
あるの。だって、もう、次に何やるとか、いっぱいあるじゃない。よく忘れるん
ですよ。長さん”   Q: 長さん、忘れるんですか?

“うん、だから、みんなにバカにされる。そういう意味では全員集合でやってる
事は、全部、背負わなきゃいけない”

加藤茶 “ネタがハッキリ決まるのは、本番始まる10分前くらいまで、考えてた
事はありましたね。自分たちが納得しない。だからその、ネタを作って行くって
いう、そのエネルギーが、スゴイかかったんですよね。あれね、若かったから
出来たんだと思いますよ。本番が1番、楽かな。本番やってウケてる時の、
やっぱり、そのウケた感じがね。大変ですけど、ウケたら、そんなね、ウケた
以上の事ないから。ウケる事って、ものすごいパワーもらいますよ。お客さん
から”   ミスのように見えたり、アドリブのような自然な会話、ご覧ください。

高木ブー “ドリフターズは、アドリブは、まず、ないですよ”

峰岸 “アドリブなし、全て稽古通り。長さんが、もう稽古通りにやろう、稽古
通りにやろうって…”   Q: へぇ~、じゃあ、徹底的に作り上げる…?

峰岸 “徹底的に作り上げる。裏でフジテレビがコント55号とかやってました
けど、あっちはアドリブが多かったんだけど、それと対抗するっていうか、識別
するっていうか、区別するっていうのかな、差別化するためには、それなしと”

しかし、1人だけ違った。  Q: 本番でアドリブをやっちゃう事もある?

加藤茶 “ありましたね。だから、俺がやったギャグは全部、あれアドリブから
できてるんですよ。ワニと格闘するシーンがあって、で、やる事がなくなって
来るんですよ。それで、ええいってワニの口にまたがって、ギャグやったら、
すごいウケたんですよ”

Q: 本番中に、よく出ましたね。  “うん…降りて来たんでしょうね、きっと”

加藤茶 “で、またやったら、またウケたんで、それがだから、どんどん…
続いて行く事になったんですね”  加藤茶のギャだけは、生で生まれたのだ。
ドリフのギャグの根底には、リズムがあった。

田村 “リズムが身について染み込んでいるんです。だから意識してリズムが
どうのとかっていうのじゃなくて…自然と出てきちゃう。そういう風になっちゃう
わけですね。だから分かりやすい例が、ア、いかりやに、ア、怒られた、という
のがあるんですが、これも、すごくテンポがいい。やっぱり、本人たちが意識
してやるんじゃなくて、だから周りで、あら、すごくテンポ面白いねって言うと
加藤さんなんかは、そう?って言うんですよ。だから、気が付いてないんです
よね。でも、染み込んじゃってるから、出来るというか…”

バンドマンならではのリズムが笑いの間を生んだ。今回、ドリフの3名が集まり
楽器や鳴りものを、どのように生かして来たのか?披露してくれた。

Q: これは、どういう形で使うのですか?

“音楽を演奏してて、エンディングでバーンで終わって、(楽器をコンッと鳴らし)
で、ひっくり返る”

Q: このバーンで、コンッていうのを、どのタイミングで来るかっていうのは、
皆さん、何となく分かっているのですか?

“分かってますよ、それは。分かってないと、ひっくり返れないから。練習してる
っていうか…音楽の時の間ってのは、普通の間じゃないんですよね。音楽の
リズムあるじゃないですか。その、リズムを外す間なんですよ”

Q: どういう事ですか? 例えば?

“例えば、(テンポが1・2・3・4と)4つありますよね。これを、1・2・3休み・4と…
これが間なんですよ”

Q: それを皆さん、体として、もう次、ある程のタイミングで来るなって分かる?

“そう、だから…リズムに合わせてれば、いいわけだから…トントントン、チン”

Q: 今でも、その体が、すぐ出る?  “出ますよ。どこで来ても大丈夫”

“バンドさんは、みんな、そうだと思う。これは音楽の間ですよ。だから何でも
いいんですよね。トントントン、パヒュー!こういう感じで、音が違えばコケられ
るんですよ”

“間って簡単に言うけど、みんな1人1人違う。その人、そのものの間があって
だから、俺には俺の間があって、高木さんには、高木さんの間があって、仲本
には仲本の間があるんですよね。だから一概に間がいいからとか、悪いから
とかって、それ言えないですね。何か高木さんに言った時、大体ズレて返って
来るんですよ。そのズレて返って来る事も、間なんですよ。だから、それを、
こっちが分かってれば、そこでコケられる”

Q: あー、なるほど。 それは練習して、うまくなって行ったりするのですか?

“あ~、感覚的なものだからね。人に教えられるもんじゃない。やっぱり、弟子
になる連中が師匠を見て、その間をとるっていうのが、大体、教えですよね。
口で伝えて教えても、なかなか、つかめない。その間は。口で言って出来たら
みんな出来ちゃう”

ミュージシャンだからこそ出来た、ドリフならではの間。 スタッフにも大事な
ことだった。

Q: たらいを落としてくるADが、上から落とすにしても前後の微妙に…本当は
この間なのにとかって、微妙に毎回、毎回、違うわけですか?

“だから5人、その上に乗ってる人がいて、裏方さんが。5人、一斉に落とすん
だけども、やっぱり、それもね違うんだよね。せ~ので落とすんだけども、やっ
ぱり、早い人と遅い人といて”

Q: それが画面では、そんな差に見えないけど、でも本当に微妙に…?

“うん、微妙に違うんだよね。だから稽古するんですよ、何回も。裏方さんを
座らせて、俺たちが一応落として見せるの。で、その感覚をつかんでもらって
本番に挑むんだけど、やっぱ本番になると、みんな緊張するじゃないですか。
そうすると、やっぱり、人の見てて落とす人もいるしね。この間でこい!っても
なかなか難しい。1番最初にメガホンで殴ってたんだけど、このプラスチックに
なってからダメになったんだよな。音はしないわ、痛いわで。これ頭、ガシンと
くるんですよ。で、一斗缶になったの。これは、底を抜いてベコンベコンにしと
くと、いい音するんですよ。こういう風に(ガンッ!)。だんだん派手にしてって、
金だらいか。これ、もう痛いな。使い古しだから。こういう風に使って角が立っ
ちゃうと、これが当たると痛いんですよ。後ろがデコボコになってると”

Q: じゃあ、どんどん新しいものでいかないとダメになる?

“うん。1回やったら、もう終わり”

“あ~、この着物、まだ、とってあるんだね。綻びてるよ…”

“このハゲヅラは違うんだよね。俺が、かぶったのと全然、違う。俺のはね、
作ってもらって、中を…殴られても痛くないように…あれ、何て言うんだっけ?
金?殴られても痛くはなかったけど、首にはズシンとくるね。昔はね、このヒゲ
糊(のり)が悪くて、くっつきが悪かったんですよ。本番で動いてると汗で取れて
くる。それを押さえてて、長さんに、お前、うっとうしいからやめろって言われて
うっとうしい?あっ、ちょうどいいなって、長さんが怒ってる時に、ぺってやって
たの。これがだから長さんに、バカにしてるみたいで面白いっていうんで、ぺっ
が流行ったの。なぁ?(うん、うん)”

Q: そのヒゲが落ちる事で、ぺっだったんですか?  “そう”

1977年には、ドリフ大爆笑がスタート。(1977-1998年) バンドマンならではの
笑いに、ますます磨きがかかって行った。 立川談志が、こう記している。

‘今、テレビで芸をやっているのは、ドリフターズだけである。(中略)ドリフの
テレビショウは素人の悪ふざけではない。修練に修練を重ねた技芸と稽古の
積み重ね、加えてギャグの集大成なのだ’ (談志百選より)