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星で時の移ろいを知る知恵を受け継いできた日本の南の果ての星島
2022年02月24日 (木) | 編集 |
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最初に夜空の星を見たのは、いつの事か覚えていますか? みなさんが
生まれる、ずっと前から、その前も、その前も、はるか昔から、いつしか人類は
星を見つめて来ました。

世界には、そんな古からの星の記憶が、至る所に残されています。 そして、
もちろん、この日本にも。 中でも今回、ご紹介するのは、個性豊かな記憶を
継承する2つの地域です。

変化に富んだ日本の風土で、特に、異彩を放つ場所。 北と南、日本の両端
です。 北海道。 広大で過酷な北の大地に生きて来たアイヌ民族。

森羅万象には魂が宿ると考え、カムイとして敬って来ました。 アイヌ民族は、
その固有の世界観を宇宙にも重ねていました。

沖縄。 南国ならではの温暖な気候が育む色彩豊かな自然と独自の島文化。
かつて人々は、夜空に輝く美ら星(ちゅらぼし)から、時の移ろいを知る知恵を
受け継いでいました。 星を見続けて来た人々、スターゲイザー。

連綿と受け継がれる、星の記憶の物語です。

沖縄本島から、更に南西へ400キロ。 大小32の島からなる八重山列島です。
リゾート地としても有名な石垣島。 世界自然遺産に登録が決まった八重山
最大の島、西表島(いりおもてじま)。

昔ながらの風景が残る竹富島(たけとみじま)等、独自の文化を持っています。
ここでしか見られない動物や植物が生み出す、唯一無二の自然。 夜の訪れ
とともに、とっておきの光景が現れます。 八重山の星空です。

北緯24度。 日本の南の端となる、この場所では、全88星座のうち、実に、
84の星座を見る事ができます。

南十字星こと、みなみじゅうじ座は、12月頃から初夏にかけて南の地平近くに
現れます。 その隣の2つの星も、本州以北(いほく)では見られない、1等星。
ケンタウルス座のα(アルファ)星と、β(ベータ)星です。

八重山には、地元ならではの星の呼び名があり、α星とβ星は2つ合わせて
南が星(ぱいがぶし) などと呼ばれます。 お馴染み北斗七星は、七つの星を
意味する、七つ星(ななつぶし)。

北極星は、十二支の子(ね)の方角にある事から、子ぬ方星(にぬふぁぶし)。
ちょっとユニークなのは、さそり座の1等星アンタレス。 最も南の波照間島
(はてるまじま)では、びたこりぶし です。 びたこりとは、酔っ払いの事。
泡盛を飲み過ぎて、酔っ払って真っ赤になった、おじいの星に見立てている
のです。

八重山で、独自の星文化が築かれたのは、たくさんの星座が見えるからだけ
ではありません。 実は、星を楽しむ理想的な条件が揃っているのです。

“夏場は非常に気流がいいです。ジェット気流(高度10~14キロメートルに吹く
強烈な西風、大気が不安定になり星の像が乱れる)が外れてますので影響が
少ないです。それで土星や木星は、貼り付けたような格好に見えます。空に。
だから望遠鏡でのぞくと、これ何か、どこかに貼ってあるのではないですか?
と、いつも言われます。全く動かない。ピタ~ッと…”

地元で生まれ育った星の会の理事は、八重山の星の魅力を、より多くの
人たちに伝えようと積極的に活動しています。 毎年、旧暦の七夕に開かれる
南の島の星まつり。 街の明かりを一斉に消して、星を楽しみます。

“第1回目には、僕、100名、来たら、いいかなと思ったのです。そしたらなんと
2000名が来て、もう大慌てで…撮りためた映像、全部、電子化してパソコンの
中に入れて、そのスクリーンに映して見せて、それから実況中継の映像を
出したり…月面、出したり…拍手喝采でしたよ”

八重山の星は、地元の人たちだけでなく、天文学者にとっても特別です。
稼働中の施設としては、日本最南端にある石垣島天文台。 九州・沖縄地区
最大の直径105センチの反射鏡を備えた望遠鏡があります。

国立天文台の副台帳です。 石垣島は、ほぼ毎年観測に訪れている馴染み
深い土地です。 “これは、ほうき星が星を隠す掩蔽(えんぺい)という現象を、
これから観測しようとしているのです”

掩蔽とは、星の前に別の天体が重なり、隠れる現象の事です。 ほうき星が、
星の前を通過する時に観測すると、星の光を使ってチリの密度や範囲を知る
事ができます。

ちょうど、石垣島天文台の位置から、その現象が観測できる事が分かり、
はるばる東京から、やって来たのです。

“やはり、天文台というものがある場所によって、見える空が違います。特に
日本の場合は、大体、北緯30度よりも北側にあるので、本州はですね。
そうすると、なかなか南の空が見えないわけです。例えば、銀河系の我々の
中心が、よく見えたり、あるいは本州では見えない星座が見えたり、あるいは
我々、今、狙っている、ほうき星や小惑星というものも、黄道にありますので、
黄道が高くなります。そうすると観測条件が良くなるという事で、そういう意味
では、こういう南に1つ天文台があるというのは、重要な位置を占めていると
いう事になりますね”
(天体の観測条件→視野の大気の層が薄いほど像が安定する)

唯一無二の八重山の星空。 あまたある星の中でも、特に八重山の文化と
深く結び付いた星があります。 群りか星(むりかぶし)です。

群りか星とは、群れた星、プレアデス星団を指します。 日本では、すばるの
名で広く知られています。 この、すばるこそ八重山の人々にとって重要な星
だった事が、古い文献に残されています。

Q: その資料は何ですか? “八重山の星について記録された星圖(ほしず)
という資料です”  貴重な資料を、今回、特別に見せて頂きました。

18世紀中頃の天文書、星圖です。 島に伝わっていた星の知識を琉球王朝の
役人が記録したもの。 これが、現存する唯一の資料です。

“やはり多いのは農耕に関わる知識で、この資料にも星が描かれてますけれ
ども、この星が、どの位置に来た時に、どんな作物を植えて行けばいいのか
など、そういった農耕に関する知識が、まとめられた資料となっています。
僕らも今でいう、すばるが農耕において重要な役割を果たしていたとは、よく
聞いているのですけれども、そのすばるも六ツ星という名前で、こちらに記載
されております”

六ツ星とあるのが、群りか星、すなわち、すばるを描いたものだといいます。
後ろのページには、星についての解説が載っています。

かつて八重山の民が、特定の星が夜空のどこに見えるかによって、農作業の
時期を定めていた事がうかがえます。 こうした知識が根づいた背景には、
南の島ならではの理由があっと考えられています。

“本州を振り返ってみると、星に頼らずに季節感が分かる。例えば雪形が出る
とか、木の葉っぱが落ちて紅葉になると秋になる。季節感が明瞭なのです。
そういう所では、星を使ってカレンダーを作る必要はなかったのです。八重山
地区は、特に季節感が乏しい地域なのです。そうすると、いつ種を蒔くという
のが、なかなか体感的に分かりにくい場所なのです。この八重山地区には、
星見石(ほしみいし)というのが残っていて、そこから、すばるが見えると、種を
蒔くというような伝承も残っていますので、やっぱり星をよく見て、生活に利用
していた地域なのだと思います”

星見石とは一体、どのようなものなのか? 現在、残されている場所を訪ねて
みました。 かつて、国立天文台の研究者でもあった、星空ガイドの男性に
案内して頂きました。

“昔は、この辺りは全部、畑だったのですけども今は住宅が、ここまで迫って、
もう、草ボーボー…草の中になってますけれども…以前は皆さん、草刈りして
ちゃんと星見石が見えるような状態になっていたのですが、最近は、こういう
住宅が出来たりして訪れる人も少なくなって…時々、草を刈っているのですが
コロナで、ここ半年ぐらい何もしてなかったら、もうこれだけ生い茂ってしまった
というわけです”

星見石があるという場所は、草が生い茂り、すっかり姿が見えなくなっていま
した。 草をかき分けた先にあったのは、何やら細長い石。 これが星見石。

“これは、琉球石灰岩で出来ていて、昔は、もう少し高かったのですが、1度、
折れたりして、また建て直している…継ぎ足して建ててるので少し高さが低く
なってますけど、大体、160~170センチぐらいの高さで建ててあって、これを
地面に頭をできるだけ下げて、この方角に、どの星が見えるか?すばる、群り
か星が見えたりオリオン座が見えたりする事でどの種を蒔く時期かというのを
知る事ができるわけですね”

使い方は、星見石の高さと、ほぼ同じ距離まで離れて、その場にしゃがみ、
このように目線を合わせます。 夕暮れ時、星が見え始める時刻に、石の
てっぺんと目線を結んだ先に、すばるが現れたら作物の種を蒔く時期が来た
と分かるといいます。 なぜ、すばるが目印なのか?

理由の1つは、星が集まっていて、見つけやすいため。 もう1つの理由は、
すばるの描く軌道にあります。 八重山で、すばるは、東の空から昇り天の頂
付近を通って、西に沈みます。

このコースは、1年中、ほぼ変わりませんが、昇る時間帯は季節によって変化
します。 すばるが空のどの高さにあるかを見れば、おおよその季節が分かる
のです。 特に5月初めから6月末までの2カ月間、すばるは昼に昇り、夕方に
沈んで見えなくなります。

この、すばるが見えない2カ月間が、ちょうど八重山の梅雨と重なる、とても
分かりやすい季節の目安なのです。

“大体、1600年代ぐらいから明治の初めぐらいまで、明治の初めの頃にも、
まだ、おじいさんが星見石を使って種蒔きの時期を決めていたという話しが
残っていますので、本当に新しい暦が来るまでは、そういう星を見ながら
農作業の時期、種蒔きの時期を決めていたのではないかと思いますね”

更には、ここ小浜島(こはまじま)には他とはちょっと違う石が残されています。

“これが、節(しち)さだめ石という事になっていて、季節を定める石という意味
なのです。この岩の上に12個の穴が開いています。これは、子・丑・寅・卯・
辰という十二支に対応して12個の穴が開けられていて、季節ごとに、そこに
棒を挿して、その棒の向こうに群りか星が、どの高さに見えるかというのを
調べて、農作業の種類を決めていたと、いわれています”

八重山にある、これらの石は、17世紀頃、各集落を治めていた豪族の頭に
よって置かれたと考えられています。 当時、琉球王朝には、すでに天文学に
基づいた暦がありました。

しかし八重山の民は、それに頼る事なく星空という自然のカレンダーで季節の
移ろいを正確に捉えていたのです。 こうした星の文化は言葉だけでなく、
八重山ならではの手段で受け継がれて来ました。 (♪てぃんさぐぬ花)

沖縄には、花や星にまつわる歌が、数多く歌い継がれている。
天上に群れる星(すばる)は、数えれば数えきれても、親の言うことは、数え
きれないものだ。夜の海を行く船は、北極星を目当てにする。私を生んだ親は
私の手本だ。

琉球王朝が統治していた時代。 八重山の庶民の間には、まだ読み書きが
普及していませんでした。 そこで、歌や民話の形で星の文化が継承されて
来たのです。 星を生かし、星とともに生きる。

八重山の星の記憶が、今も輝いています。