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ディズニーランドは映画のシーンと同じ空間アニメの中に入り込める場所
2022年02月12日 (土) | 編集 |
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ウォルト・ディズニーが創り出すアニメーションの世界は完璧です。 彼はその
虚構の世界を実際に形にしようと考えました。 映画のシーンと全く同じ空間。
アニメーションの中に入り込める場所。 それが、ディズニーランドです。

人々を物語の中に、どうやって引き込むか。 そこが重要でした。 ほんの少し
でも物語に合わない部分があれば、人々は現実に引き戻されてしまいます。
例えば時代設定が合わないものは使えません。 ゴミ箱に至るまで徹底的に
物語のテーマに寄り添わせました。

ウォルトは、頻繁に建築現場を訪れ、作業員たちに大声で指示を出しました。

その東屋は、城の眺めを邪魔してる。 移動してくれ! それから湖を、もっと
大きくして! あの木は歩道に近すぎる。 移動させよう。 重すぎる?
かまうもんか。 移動させるんだ!

ウォルトは毎日、足を運び、全てを監督していました。 作業員全員を、しった
激励、しかも前向きに手を尽くして、準備に当たっていたのです。

葉っぱの1枚1枚にまで、気を配っていました。 全ての配置にこだわっていた
のです。 人任せにしたアトラクションは、1つとしてありませんでした。

ウォルトの細かい要求は作業の遅れを招きました。にもかかわらずウォルトは
開園を急ぐと言って譲りません。 開園まで1カ月半になると、パニックが起こり
始めました。

入り口付近の整備もメインストリートの舗装もまだ、城も未完成だったのです。
ジャングルクルーズのボートは動いていましたが、動物のロボットは、まだ、
設置されていませんでした。

開園日が迫る中、準備が出来ていたのは、アトラクションの半分以下。

スタッフたちは、開園の延期を訴えました。 しかしウォルトは、ひたすら計画を
推し進めます。 彼は作業員を、3倍の2500人に増やしました。 それも、1日
16時間労働です。

総工費は、建設当初の見積もり額の3倍以上、1700万ドルに達していました。

ちょうどその頃、配管工のストライキがあり解除されたのが開園の前日でした。
たった1日しかなかったため、ウォルトはトイレを完成させるか水飲み場を完成
させるか、選ばなければなりませんでした。 迷わず彼はトイレを選びました。

こう言ったそうです。 コーラは買えるけど、道端で用は足せない。

オープン目前のウォルトは、とても興奮していました。 その様子は、まるで
子供の成長を自慢する父親のようでした。 目標に向かって、ひたすら突き
進み、その熱意に、みんなが必死に、ついて行くという感じでした。

開園前日。 ディズニーランドは、大わらわでした。 過去最大規模の生中継
番組のために、リハーサルをする、ABCテレビのスタッフたち。

それとは別に、ジャングルの川に沈み込む、400キロのゾウのロボットを、引っ
張り上げようとする作業員。 機関車の安定のため、おもりをつける作業員。
塗装工たちは、徹夜の作業です。

ウォルトも自らマスクをつけ、海底2万マイルの背景をスプレーで描きました。
真夜中の3時になっても、ウォルトはディズニーランドの中を歩き回り、指示を
出し続けていました。 列車に新しい絵が必要だ。 画家を呼んで来い!

1955年7月17日。 カリフォルニア州アナハイムは、朝から猛烈な暑さでした。
気温は摂氏38度。 開園を待つ渋滞は、11キロも続いていました。 昼過ぎ、
ついにゲートが開かれました。

ABCテレビの特別番組より
‘ここディズニーランドには、世界中から報道陣が詰めかけています。まずは、
入り口から、お届けしましょう。ご案内は、アート・リンクレター’

アート・リンクレター(人気司会者)
‘今日は楽しい仕事になりそうです。1700万ドルのプレゼントを持ったサンタク
ロースの気分です。29台のカメラを駆使し、テレビを通じて皆さんにお伝えしま
す。もはや番組ではなく、特別なイベントです。やぁ、ウォルト!知事も一緒
ですね。列車は、どう?’

ウォルト “順調さ!知事と私で、ここまでフルスピードで走らせて来た”

至る所にカメラが設置されていました。 次々にシーンを切り替えて、全てを
中継しようと考えていたのです。 ところが、うまく行ったのは半分だけ。
当時のテレビ技術は、まだ未熟だったし生中継でしたから、失敗だらけだった
のです。  ‘次は、(俳優)ボブ・カミングスがお届けします’

‘手を振っている皆さん、ありがとう。ボブ・カミングスが、お伝えします’

‘再びカミングスです。ピーターパンのように戻って来ました’

ウォルト “祝辞をいただきました。人類の偉業を象徴する素晴らしい空想の
世界… ここ出番じゃない?”

この日、アメリカの人口のほぼ半分が自宅のテレビでディズニーランドからの
生中継を見ました。実際に行くより、むしろその方が良かったかもしれません。

なぜなら、ファンタジーランドはガス漏れで閉鎖。 トード氏のワイルドライフは
送電線に負荷がかかり過ぎて立ち往生といった、ありさまだったからです。

よりによって、なぜ、こんな日にと思うほどの猛暑でした。 アスファルトがまだ
固まってなくて、道が、やわらかかったため、ハイヒールを履いた若い女性
たちは、皆、足をとられていました。

何か食べよう、という気にもなりませんでした。 食べ物を買うためにバカバカ
しいほど、長い列が出来ていたからです。

とにかく、ひどい状況でした。 来場していたハリウッドスターが、放送禁止
用語で文句を言っていた、というウワサが流れたほどです。

新聞記者たちが、翌日の記事に使えそうなトラブルを全てメモしていましたが
ウォルトは、どこ吹く風。 娘のダイアンは、あんな幸せそうな父を見たのは、
初めてだったと語っています。

人気司会者 ‘最高だったよ。でも、そろそろお別れだ’

ウォルト “この夢の実現に力を貸してくれた全ての人に感謝の言葉を贈ります”

人気司会者 ‘いざ、ファンタジーランドへ!ごきげんよう!’

翌日から、ディズニーランドは、一般の人たちにも公開されました。 1番乗りを
目指す人々が、夜中の2時から列を作ります。 僅か10週間で、来場者は、
100万人に到達。 ウォルトが創り出した夢の国は、アメリカを訪れる海外の
要人にとっても、見逃せない場所となりました。

インドのネルー首相をはじめネパールの国王夫妻や、イランの皇帝、アフリカ
やヨーロッパ、南米の政治指導者たちが、相次いで来園。 ソビエトの最高
指導者フルシチョフは警備上の理由でディズニーランド訪問をキャンセルされ
ひどく腹を立てたといいます。

世界の指導者たちは、アメリカの歴史と文化の反映、アメリカ精神を、簡単に
把握できる場所として、ディズニーランドを見ていました。

また、一般のアメリカ人は、日常の苦労や心配事から離れられるという単純な
理由で、この新たなテーマパークに引き付けられていました。

ディズニーランドは価値観や雰囲気など全てが理想的に演出されたアメリカを
美化した小さな町です。 来場者は、それを経験する事になります。 こうあって
ほしいと人々が思い描く理想のアメリカをウォルトは意識的に形にしたのです。

‘トム・ソーヤ島に見えるのは、ウィルダネス砦(とりで)。辺境の地へ進出する
開拓者たちの住居であり要塞です。前方では、味方の先住民の村で古くから
伝わる踊りが披露されています’

ディズニーランドは、アメリカの理想が、たたえられる空間です。 フロンティア
ランドでは、アメリカの過去が描かれています。 そこには、つらくて悲惨な
場面は一切ありません。 フロンティアランドに先住民の姿があれば、それは
争いではなく、紛争の解決を意味しているのです。

過去に目を向けたフロンティアランドと、アドベンチャーランド。 想像力を探求
するファンタジーランド。 トゥモローランドは、よりよい未来を約束する科学
技術の進歩がテーマとなっています。

‘未来の家へようこそ。この家が全てプラスチックで出来ている事に気付きま
したか?’

ディズニーランドにあるのは美化された過去と未来への希望。 現在に関する
ものは、ありません。 現実の苦しみから、解放される場所なのです。

ディズニーランドには実生活には、あり得ない完璧な調和があります。 現実
より、いいもの。 そんなもの、あるのだろうか? 現実より、いいものとは、
一体、何なのか? ウォルトは、それを発見する手助けをしてくれたのです。

記者たちは、褒めたたえました。 ディズニーランドは、現実より素晴らしい、
夢を実現した空間。 子供の心を持ち続ける名人によって創り出された、
間違いなく最高の場所。 しかし一握りですが、批判もありました。

ある記者は、こう書いています。 世界や宇宙、これまでの人類の歩みが、
安っぽい定番商品に姿を変えて並んでいる。 ここでは、生き物は鮮やかに
彩られ、清潔で安全で無害である。

清潔で安全な世界。 それこそ、ウォルトが求めていたものでした。

ディズニーランドは、いわば、ウォルト専用のオモチャのようなものでした。
彼は園内に、小さなアパートをこしらえて、妻のリリアンと一緒に週末の夜を
そこで過ごしました。

朝早く起きて、まだ誰も来ていない内に小さな売店に行き搾りたてのオレンジ
ジュースを買うのです。 それも、バスローブを着たままでね。

父にとって、そのアパートは、人混みから離れて、くつろげる場所でしたが、
ジャングルクルーズのすぐ側だったので、夜中も掛け声が聞こえました。
ハーヤーヤーヤー ハーヤー。 一晩中ね。

ディズニーランドをウロつく彼は、テレビに登場するウォルト・ディズニーとは、
まるで別人でした。 パッとしないゴルフセーターに、ボサボサ頭。 園内に
いても、誰にも気付かれませんでした。

彼は、よくアトラクションの列に並んでいたものです。 順番を待つ間、人々の
会話に耳を傾けていました。 そこからアトラクションへの新たなひらめきが、
得れるかも知れないと、考えていたのです。