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デジタル化の現代アナログなフィルム・レコード・本・手紙は過去の遺物?
2021年12月24日 (金) | 編集 |
FC2 トラックバックテーマ:「体の変化はありますか?」
2008年、アナログ製品の衰退。  ‘デジタル化のあおりを受け、コダック社は、
社屋2棟を爆破解体。解体した建物は、この10年で80棟以上に上り、年内に
更に16棟を取り壊します。ポラロイド社は世界各地の工場を閉鎖。今後150の
職種を削減し… メキシコで300人を解雇…’

‘今日ご紹介するのは、iPod(アイポッド)・電話・インターネットの機能が1つに
なったデバイス、 iPhone (アイフォーン) です!’

‘2020年、スマートフォンの登場で写真は、より身近になりました。アナログ
カメラの売り上げは1999年を境に減少し、デジタルカメラが全盛に多くの人が
写真を撮るようになりました。その後、スマートフォンが発売され、状況は一変
しました’

アナログは廃れ、フィルムやレコード・本・手紙は、過去の遺物となりました。
時代を象徴した多くの企業は、表舞台から姿を消し、デジタル化は、私たちに
便利で自由な未来を約束しました。

しかしその流れに、真っ向から逆らおうとする男がいました。 これは不可能に
挑んだ男の物語です。 Q: あなたは、なぜ、ドクと呼ばれているのですか?

ドク(=博士)という呼び名は、研究者時代の名残です。 私は両親からプレッ
シャーをかけられた覚えはありませんが、ただ1つ、どんな道に進んでもいい
から、1番になれと言われました。

自分が1番になるには、誰もやっていない事を、やるしかないと思って。それで
クモの目の筋肉に関する研究で、世界一の権威になったのです。 父には、
それが何の役に立つのだ?と言われたけど。

ともあれ、研究者時代に得た博士の称号で呼ばれるようになったというわけ
です。 私は、いつも人と違う視点で物事を見るようにしています。 その方が
面白いから。

十数年前、ドクは新たな天職を見つけました。 みんなが、初めてのiPhoneを
手に入れようと躍起になっていた時にドクは、その流れに逆らって、アナログ
製品を守る活動に身を投じたのです。

手始めに、使用期限の切れたインスタントフィルムの販売に乗り出しました。

私が思うに、デジタルとアナログとの1番の違いは、デジタルが聴覚と視覚に
しか訴えないという点です。 画面上で起きている事を、見たり聞いたりは
できるけれど、実際に触ったり、臭いを嗅いだり、味わったりは出来ない。

リアルじゃないんですよ。 だからデジタル製品に囲まれて育った若者たちは
手で触って感じる事が出来るモノを欲しているのです。

‘60秒間のワクワク。 ポラロイド、持ってる?’

1970年代から80年代にかけて、ポラロイドの製品は大流行しました。 今でも
インスタントカメラの代名詞です。 しかし2008年、ポラロイド社は経営危機に
陥ります。アナログ写真の人気は下火になり、工場は次々に閉鎖されました。

最後に残ったのは、オランダ・エンスヘーデの工場。 かつて大量のインスタ
ントフィルムを生産していた、この工場も、役目を終えようとしていました。
解散パーティーに招かれたドクは心に決めました。 この美しくて重要な工場
を救いたい!

妻には反対されましたけどね。 工場の機械は全て、まだ使える状態でした。
だからポラロイドの人に、チャンスはある! 存続させる道を見つけよう!と
言ったのです。 すると、予想外の答えが返って来ました。

1週間以内に18万ユーロ支払ってくれたら、工場は、あなたのものだと言うの
です。そんな大金、私にはありませんでしたが、すぐに事業計画を練りました。
それを気に入ってもらえましてね。 実は、事業計画書を書くのが、私の1番の
特技なのです。

ドクは、数名の友人とともに工場を買い取りました。 21世紀に、1940年代の
テクノロジーで勝負する。 常軌を逸した話しです。 ポラロイドの商標の使用が
許可されなかったため、ドクは、新しい名前を思い付きます。

ポラロイドとの話し合いで、何度も言われた言葉です。 無理だ。 不可能だ。
インポッシブルだ。 だから私は、分かった、それならインポッシブルを名前に
しようと。  こうして、インポッシブル・プロジェクトが始まりました。

最初の年は工場のスタッフが、たったの10人。 あの頃は本当に大変でした。

やって行けるわけがないと、みんな思っていましたけど、ちゃんと軌道に乗りま
した。 私が生まれるずっと前から存在していたものを、今、自分が作っている
なんて、すごいと思う!

カメラを修理する時は、いつも、確認のために写真を撮ります。 つまり、私は
1976年から、ずっと自撮りをしているのです。 こんなに自撮りをしている人は
他にいませんよ。 知らぬ間に、トレンドに乗っていたわけです。

ドクはドイツのベルリンにオフィスを構え、幼い頃からデジタルに親しんでいる
若者たちをチームに加えます。 彼らは、ドクのアナログ信仰を共有…とまでは
いかなくても、その情熱に敬服していました。

‘これらは、ビジネスに関する研究に基づく- 戦術の一環だと言いたいが…
正直に言うと違う。成り行きだった。これは魔法のフィルムだ。白いフレームが
特徴の唯一無二の写真だ。昔は誰でもポラロイドを持ってた’

しかしドクは、思わぬ壁に直面しました。 フィルムの製造に必要な薬剤が
生産終了となっていたため、同じものを再現する事ができなかったのです。

何とかインスタントフィルムを作り出したものの、その出来は、ひどいものでし
た。 色が、あちこちに飛んだり、写真の一部が欠けてしまったり。 現像には
45分もかかりました。

驚きましたね。 色は、にじむし、消えてしまう事もあって…。 

Q: フィルムとして使えたのですか?

もちろん、完璧でしたよ。 かなり特殊だったけど。

‘消える前の写真は最高だったと言ってくれる人もいたが、まもとなフィルムを
作ってと言う人も’

薬剤の調合の開発には、何年もかかります。 しかし、ドクは簡単には諦めま
せん。 世界中のアナログ愛好家たちを訪ね歩き、アナログ復活の兆しを肌で
感じました。 ニューヨークでは、手書きの大型広告が見直されていました。

アナログ文化に、ひかれていたのは、ドクたちだけではなかった。 若者も、
アナログの魅力を再発見していたのです。

Q: アナログへの回帰は、一過性のものでしょうか? それとも、今後も続くと
思いますか? (日本でも若者を中心にレコード盤が復活の兆しを見せている)

私は、まだ始まったばかりだと思っています。あらゆるメディアで今、アナログを
見直す流れが生まれています。 デジタル化が急速に進んだせいで、人々は
デジタル・デトックスを求めているのです。

‘すごくキレイ。 ホントね。 なぜ、こうなるの? たぶん薬品のせいだと思う。
燃えたみたいでしょ? 頭にくる事もあるけど、大抵、かえっていい雰囲気に
なる。 奇妙な感じ、でもバランスがいい’

写真で大切なのは、完璧さではなく、見る人の感情に訴えるかどうかです。
薬品の匂いがキライな人でも…(そんな、あの匂いが、いいんじゃないですか)
ええ、確かに。

本を書くために取材した時、インスタントフィルムの匂いを嗅ぐと、子供時代が
蘇るといった声を、たくさん聞きました。 匂いは、記憶を呼び覚ますのです。

デジタルが悪いという事ではなくて、フィルム対デジタルという論争自体、古い
のです。 要は、選択肢として残すということ。 便利になったからといって、
それ以前の技術を捨ててしまうのは、とても愚かです。 私は、これからも、
ずっとフィルムが残ってほしいと思っています。

ドクのプロジェクトは一歩前進。 フィルムの品質は、かつての製品に近付いて
来ました。 現像の時間も30分に短縮されています。万事、順調に見えました。

しかし前途には、暗雲が立ちこめていました。 クールな写真が撮れるようには
なりましたが、値段が高く、扱いが非常に難しかったのです。

インポッシブルにはニューヨーク出身の若きエンジニアの彼が、いました。
インスタントフィルムに魅了され、その未来を信じていた彼は、チームの中心
的存在になります。

ドクから、いろいろ学べると思って、この会社に入りました。 初日にドクは、
バイクで寿司屋に連れて行ってくれました。 正直、これで、よく会社を経営
できるなと思いましたよ。 退屈は、しなかったけど。

2014年、世界最大の撮影機材の見本市。 インポッシブル社のブースには、
若者が押し寄せ、1番、賑わっていました。 会社の中心にしたのも、また、
若者でした。

ドクも僕も製品を愛しているし、それを大勢に届けたいと思っていました。僕が
取り組んだ来たのは、どうすれば事業を継続し経費を支払い、スタッフを雇用
し続けられるかという問題です。

工場を維持するには、フィルムの生産量を増やす必要があります。 品質を
上げて、価格を下げなくちゃならないんです。 僕とドクの考え方が違うのは、
この点です。

ドクは、みんなが自分と同じように、欠点だらけのフィルムを気に入ると信じて
いました。 会社を始めた時、ドクは、この工場の製品なら、どんなものでも、
私は売る、と言ったそうです。

でも、みんなが欲しいのは、短時間でキレイに現像されるフィルムなのです。
ドクとは、見る夢が違いました。

アナログ回帰という挑戦は、うまく行ったのかというと、インポッシブルの製品は
売れず、会社は財政難に陥りました。

幸運にも、私たちは、スモロコウスキ氏と知り合いました。 若きエンジニアの
父親です。

父は、プロジェクトの内容を知って、興奮していました。 僕は、この会社には
将来性があると伝えたのです。

若きエンジニアの父親はクラリネット奏者で既成概念にとらわれない投資家。
まさに、インポッシブルが求めていた人物でした。

僕たちは、現実を直視する必要がありました。 工場を動かし続けるために、
何か手を打たなければ、みんなの夢が消えそうでした。

自社製品に、少しでも疑念を持ったら、売る事はできません。 自信を持って
勧められませんから。 若きエンジニアは、品質や、その他いろいろな事にも
不満を持っていました。

私は、どんな状態のフィルムでも、素晴らしい、最高だと言いましたがね。

夢を持つ事と、夢を実現する会社を作る事は、別物です。

私は、人と違う事や、とんでもない事をするのが好きなのです。 スティーブ・
ジョブズの、どこが凄かったかといえば、会社でただ1人、自分の製品を信じて
心から愛したところ。 今の時代、とても珍しい事です。

‘私は20歳の時、実家のガレージでアップルを創業した。10年後には、従業員
4000人、20億ドルの企業に成長。だが、私は解任された。自分が作った会社
なのに。’ スティーブ・ジョブズ

事の顛末は、こうです。 インポッシブルの業績は一向に改善せず、何かを
切り捨てなければ、なりませんでした。 それが、ドクだったのです。
(2015年、ドクはインポッシブルから去った)

‘キツイ事があっても、前を向くんだ’

あれは… ひどかった。 もちろん会社を去るのは辛かった。 でも、落ち込ん
だり、人生を諦めたりは、しませんでした。 いいか。 タマネギのみじん切りは
こうやるんだ。 ほら、見逃すなよ。

今の方が、いい。 正しい生き方だわ。 (スラヴァも言ってたよ)  そうね。
(かえって奥さんは喜ぶって)  私は、生物学者と結婚したのだから、貧乏には
驚かない。 でも子供が3人もいると、お金にならない仕事を、いつまで続ける
べきか、考えないといけないわ。

Q: 私はドクと一緒に、世界のあちこちを旅して来ました。 旅から戻ったあと、
ドクは、どんな様子でしたか?

夫が、他の人より情熱的な性格である事は確かです。 でも、これは現実なの
です。 夫にとっても、私たちにとっても、そう。 大変だけど、どうしようもない。

パパが工場を救おうとしたのは、すごく偉いと思う。 でも追い出されちゃった
のは、笑えるよね。