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日本のプロ野球史上初めて選手によるストライキはイチがバチかの決断
2021年11月30日 (火) | 編集 |
FC2 トラックバックテーマ:「実はなんてことなかった!ことはありますか?」
2004年9月17日。 その日、衝撃のニュースが日本を駆け巡った。

‘9月18日19日に行われる予定でした千葉ロッテ戦は…選手会によるストラ
イキのため、中止となりました’

“本当に心苦しく思いますが、おわび申し上げます。申し訳ありません…”

日本のプロ野球史上初めて、選手によるストライキが決行されたのだ。

日本が誇る国民的スポーツ・プロ野球。ここ数年、観客動員数は右肩上がり。
史上最多記録を更新し続けるなど、熱い盛り上がりを見せています。

しかし、今から16年前。 大きな危機を迎えていた事を、ご存知でしょうか?

2004年。 サッカーJ リーグが盛り上がる一方、プロ野球の人気は落ち込み、
テレビ中継の視聴率も下がるばかりでした。 そして、この年の秋。

日本中を巻き込む、大騒動が起こるのです。

それはプロ野球70年の歴史で初めての大事件だった。 一方的に球団の削減
を決めた経営陣に対する決死のストライキ。 だがそれは、ファンへの裏切り。

選手たちにとって苦渋決断だった。 しかし、この涙をキッカケに運命は大きく
変わって行く。 実は生き残りのために、球団削減を決めた経営陣も決して、
一枚岩ではなかった。 あの時、密室で何が話されていたのか?

“ふざけるな!と。表出ろ!みたいな、そんな場面もありましたね…”

そして、楽天の新規参入という突然の結末。 ライブドアとの争いは、どう決着
したのか? そこには、ある男に託された、極秘ミッションがあった。

“できるだけ、しっかりした人に参入してほしい…何とか解決方法がないか?
っていう風な相談があってですね”

ファンに衝撃を与え、多くの人生を動かした、プロ野球ストライキ。

今、当事者たちが明かす舞台裏に迫る。

運命の分岐点は、2004年9月17日。 選手たちがプロ野球史上初めてストラ
イキを宣言した日です。この日の夜、東京・品川のホテルで開かれた記者会見。

その模様は全国にトップニュースで報じられ、賛否両論を巻き起こしました。

第1の視点は、当時、球界を代表する現役選手でありながら、プロ野球選手会
の会長としてストライキを決断した彼。 しかし、それはファンを更に失いかね
ないイチかバチかの危険な賭けでした。 全てを背負った選手会長。 葛藤の
アナザーストーリー。

プロ野球史上初のストライキから、16年。 決断に踏み切った、あの日。
その男の頭の中は不安と恐怖で、いっぱいだったとう。

“もしファンが離れたたら、それこそ僕も取り返しのつかない決断をね…まぁ、
もちろん僕1人じゃないんだけど、取り返しのつかない決断をしてしまったかも
知れないんで…まぁ、どうなるかは分からないですからね。過去に1度もない
事を決断したわけであって…そんな事したらって、よく言われましたよ。だから
そんな事(ストライキ)したら、お前はクビや。永久追放やとか…”

なぜ彼は、危険な賭けに挑んだのか? 2004年6月13日。 全ての始まりは
この会見だった。

‘野球ビジネス、大変、苦境に陥っておりますので、オリックス・ブルーウェーブ
の彼と一緒にやろうかと…’

パ・リーグの名門、近鉄バファローズがライバルのオリックスに吸収合併され、
1つのチームになるというのだ。

ファンは言う。 “え?ホント?”  “初耳なのでビックリしてます”

それは、選手や監督にとっても、寝耳に水だった。

当時の監督は、言う。 “何も聞いてないんで全然わからないんですけども…
確かに、経営が苦しいのは聞いてますけども、シーズン中に出て来ると思って
いなかったので…”

このままチームがなくなれば、選手やスタッフ、多くの人が路頭に迷う。
選手会としては黙っておけない大問題。 彼は早速、経営陣を問いただした。
だが、冷たくあしらわれたという。

“経営サイドの問題なので選手会にとやかく言われる筋合いはないと。しかも
これは決まった事なんだからと、最初から、そういうムードでした。色々と考え
たんだと。身売り先も探したと。買い手もないんだと。今や、もう、これから野球
なんて買い手はいないんだと。しょうがないから合併するんだと…”

2004年6月30日。 だが、思わぬ突破口が生まれる。

当時のライブドアの社長は、言う。 “私たちは真剣にですね、大阪近鉄
バファローズ、我々、買えるのであれば、ぜひ買いたいと思っていますし…”

IT企業のライブドアが、近鉄買収の意向を表明。 いなかったはずの買い手が
現れたのだ。 だが経営陣は、これを無視。 かたくなに合併にこだわった。

実は、近鉄とオリックスの合併は、ある計画の序章にすぎなかったのだ。

当時の西武ライオンズのオーナーは、言う。 “どことどこの球団が一緒になる
かという事は、今、模索している段階ですけれども、もうひとつ合併することで
4球団になってセントラル(セ・リーグ)6球団にお願いして一緒になって1リーグ
でやってくれと…”

近鉄とオリックスに続いて合併を進め、2つのリーグを1つにまとめる。 人気の
落ち込むプロ野球。 チームを減らし出直しを図ろうというのが、経営陣の計画
だった。 経済界も、球界再編を後押しした。

当時の経団連会長は、言う。 “8球団ぐらいに減らした1リーグ制の方が
合理的だと思う” (経済新聞より)

景気低迷から、企業の合併・買収が相次いだ時代。世の中にも再編やむなし
というムードが広がっていた。

ファンは、言う。 “経営者の立場として考えるなら仕方がない”  “これしか
生き残る方法がないなら仕方ない”  だが彼は、この流れに抗おうとした。

“経営者っていうのは、勝手にそういう事をやっちゃダメだろう。俺たちにも
説明を受けていない。もう、僕たちの感覚では逆なんですよ。ホントに今まで
近鉄を応援してくれて、ありがとうと。でも、いろいろ経営の都合でホントに
どうしても駄目なんだと。だからもう合併する方法を我々は選んだ。もうファン
の人ごめんなさいねって謝るなら、まだ理解できる。真逆で説明するどころか
こっち(経営陣)の勝手だと…”

彼は、ヤクルトスワローズの主力選手として試合に出場しながらも、選手会の
会長として連日連夜、対策に追われた。

そんな彼をサポートしたのが選手会のスタッフたちだった。当時から選手会の
広報を務める男性。 メディアを味方に付けるのも難しかったという。

“昔は、選手会の事を記事にしただけで、球団から出入り禁止になった記者も
いた。選手の意見にくみすると、球団が面白くない。メディアが選手会の事を
取り上げると球団と関係が悪くなるので、まず出来る事から声を上げていこう
我々が出来る事からしようという事でまずホームページで色んな発信をしていく”

頼りにできるのは小さなホームページのみ。 ここから選手会の意見を地道に
発信する事にした。 これは当時、選手会が掲げた声明文。

‘プロ野球という存在は、経済の論理だけで語れない、かけがえのないもので
あることも事実です。選手会は真の改革のためであれば、痛みを負うことも
当然と考えています’

“皆さんやっぱ、どうしても対岸の火事。選手たちも実は、そうだったんですよ
それはもう、近鉄とオリックスの話しでしょと。例えば色んなチームの2軍まで
行ってね…2軍選手たちにも、ちゃん説明して、これからの話しなんで、みんな
真剣に考えてくれと”

‘合併反対の署名活動を行っております! ご協力お願い致します!’

選手たちも球団の壁を越えて一枚岩に。 試合の合間を縫って署名を求めた。
そんな中、ある騒動が起こる。 議論を求める選手会に対し、ある経営陣が
思わず漏らした、ひと言が、物議を醸した。

‘無礼なことを言うな。分を、わきまえなきゃいかんよ。たかが選手が’

この発言に世間は反発。選手やファンを見下していると怒りの声が相次いだ。

ファン一同。 ‘合併反対!合併反対!合併反対!’ 一部のファンによるデモ
もスタート。 だが経営陣は、合併による球界再編を見直すつもりはなかった。

選手会との交渉役を担った男性。

“まぁ大丈夫だろうという意識は、経営陣みんな、あったんじゃないですかね。
ちっょとぐらい文句言うヤツがあっても、黙っとけ!で済むようなね”

2004年9月6日。 事態が一向に進まぬ中、選手会は強攻策に打って出る。
このまま合併を凍結しない場合は、ストライキを行うと経営陣に通告したのだ。

だが経営陣は、これを意に介さず、近鉄とオリックスの合併を承認し、1リーグ
へ向け、強引に舵を切った。 (2004年9月8日)

当時のブルーウェーブのオーナーは、言う。 “非常に不思議なストライキでは
なかろうか。経営の中身にまで入って我々オーナーに統合するのをやめろと”

選手会にも迷いがあった。 億を超える年俸を稼ぐ選手が、ストライキなどを
起こして、ファンは支持してくれるのか?

ファンは、言う。 “プロ野球っていうのは夢を与える商売。それを大人の勝手
で止めるのは、子供も楽しみにしているのに、おかしいと思います”

ファンは、言う。 “すごくファンは野球を楽しんでいるのに試合を止めるなんて
許されへん!” “困りましたね。家でサッカーを見ないと仕方ないですね”

プロ野球選手会の会長の肩に、重い責任が、のしかかった。

“ストライキは、やっぱり回避したい。そんな事するとファンに迷惑がかかる。
本当にいろいろ交渉もしたけど、これぐらいしないとダメだと思うという我々の
主張ですね。それを受け入れてもらえるかは分からない…”

そして運命の交渉が始まった。 だが、経営陣は、あくまで強気だったという。

“あの時点でいったら、もう…近鉄とオリックスの合併って、止めれそうなムード
一切なかったんです。ただ我々にもハッキリ言って、じゃあ10球団や8球団の
プロ野球の未来っていうのは、僕たちは繁栄するとは思えない。12球団は
維持しましょう。そんな10球団とか、やめましょう。新規球団を、新規参入を
促す事もしてほしい。審査してほしいと…”

パ・リーグへの新規参入を受け入れ、来シーズンも12球団を維持すれば、
ストは回避する。 これが選手会にとって、ギリギリの妥協案だった。

そして2004年9月17日。ストライキ回避に向けた合意文書の作成が始まった。
だが経営陣は、ある文言について、修正を求めて来たという。 それは、新規
参入を受け入れる時期。 来季(2005年)を、来季以降にしてほしい。

だが、以降がつけば、いつでもいい事になってしまう。

“単純に言うと、新球団を入れる気、全くないなっていう感じだった。これは
全く球団を減らす気しかないですね。じゃあ、もうしょうがない、やりましょうと。
それで結果的に、どう転ぶか分からないですけど、我々も、ここまで一生懸命
やったし、これ、ストライキを決断しようという形になりましたね…”

そして午後9時。  選手会の会長は、言う。 ‘この週末にプロ野球を見ようと
楽しみにして頂いたファンの方にプロ野球を見せない。見せる事ができない。
本当に心苦しく思いますが、おわび申し上げます。申し訳ありません’

選手会との交渉役は、言う。 “誠に遺憾ながら、妥結には至りませんでした。
球団統合および球団の新規参入自体は経営事項であり、これを理由にストラ
イキを行うというのは、違法かつ極めて不当なものであるとも考えています”

できる事なら、回避したかったストライキ。 果たして、世間の反応は…?
不安にさいなまれながら出演した、深夜の生放送。 そこで、選手会会長が
耳にしたファンの声は…。

“僕たちプロ野球ファンは、あなたたちを応援します。頑張って下さい。そして
近鉄の合併を凍結する事ができず残念でしたが会長をはじめとする選手会が
必死に闘ったうえでの結果なので納得しました。誠意が伝わりました”

これを聞いて、選手会会長が泣いた。 この涙が流れを変えた。 ストライキを
支持するファンの声は彼の想像を超え大きなうねりとなって行った。

“やっぱり、非常に我々が、ホントに迷惑かける、そういう出来事になったにも
かかわらず優しい言葉をかけて頂いて、グッと来ましたね。嬉しかったです”

それは、経営陣にとっても想定外だった。

“あの段階で我々の負け…というか、もともと負けてたのかも知れませんが。
事態を収束させるのがベストの方策だという事を、みんなが考えた思うのです”

2004年9月23日。 1週間後、事態は急展開。 経営陣が来季セパ12球団に
戻す事を視野に入れると、明文化する事に合意。1リーグ計画は白紙に戻った。

選手会の会長は、言う。 ‘我々は本日、ここで妥結しました、新規参入という
新しい道の審査であったり、方向づけという意味で道を切り開いて頂いたと
思っております’

‘キッチリした審査をして、そしてOKであれば、来季からの参入は可能である’

あれから16年。選手会はファンから預かった署名を今も大切に保存している。

“念がこもっている感じがするんですよ。野球ファンもそうですけど、野球ファン
じゃない人も含めて他人事じゃない。自分事として向き合ってくれた人の数が
これだけ多いから、ああいう流れになったのかなっていう感じがしますね”

闘いを終えた選手会の会長。 今、改めて痛感する事がある。

“後から言っても、これはダメなんですよ。自分たちが正しいと思うし、これは
やっぱ、おかしいと思う事があれば、やり方は置いておいて、やり方は考えな
きゃいけないんですけど、そこは声を上げなければいけないとは思いますね。
その時も、そういう気持ちでやってました”