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水没の危機に瀕した古代神殿救出のために前代未聞の引っ越し大作戦!
2021年11月27日 (土) | 編集 |
FC2 トラックバックテーマ:「実はなんてことなかった!ことはありますか?」
私たちを魅了して、やまない世界遺産。 その中には破壊や消滅の危機を
乗り越えて来た奇跡の遺産があります。 今回は、そんな世界遺産のピンチを
救った人々の物語です。

世界遺産と一口に言っても、実に、いろいろですなぁ。 今では1100以上もの
遺産が登録されているそうです。 何?お前は誰だって?

私、生まれも育ちも中国。 丈夫が取り柄、兵馬俑の兵ちゃんです!
今回、注目するのは、この世界遺産!

私が出て来たのは、この3つの世界遺産にまつわる、とっておきのお話しを
したいからなのです! 題して、世界遺産スペシャル!

まずは、こちら!エジプト代表、アブ・シンベル神殿。(紀元前13世紀頃、完成)
3000千年以上の歴史を持つ、この遺跡は、半世紀前… あわわわわ!
このように、水没の危機に瀕していたのです。

この大きな遺跡を救出する為に行われたのは前代未聞の引っ越し大作戦!
水没の危機に瀕した古代神殿。 壮大なプロジェクトに全てを注いだ人々の
アナザーストーリー。

およそ3000年前、ラムセス2世が、大きな岩山をくりぬいて作らせたエジプトの
アブ・シンベル神殿。 見るものを威圧する、高さ20メートルものラムセス像。

神殿内部を埋め尽くす華麗な壁画。 そして最大の見どころは、年に2回だけ
朝日が神殿内にさし込み、奥の神々を照らし出す、アブ・シンベルの奇跡だ。

この貴重な遺跡が、ナイル川の底に沈む可能性があったなんて、皆さん、
信じられるだろうか? 事の発端は、1960年1月。 エジプトが国家の威信を
かけて着手した、アスワン・ハイ・ダムの建設だった。

完成すれば砂漠が農地にかわり、食糧生産が倍増。 大きな経済発展が
もたらされるとエジプト中が色めきだった。 しかしナイル川の上流に築かれた
このダムによりエジプト南部に、全長500キロに及ぶ巨大なダム湖が出現。

水位は1年に、およそ10メートルずつ上昇して行き、流域の古代遺跡を次々と
のみ込んで行った。 このままでは古代エジプトの絶頂期の象徴、アブ・シン
ベル神殿までもが… 5年以内に水没してしまう。

危機感を持ったのが、国際機関ユネスコ。 この時代、世界遺産という概念は
存在しなかったが、ユネスコは各国に救済プランの提案を呼びかけた。

最終的に選ばれたのは、スウェーデンの案。 それを実行するためエジプトに
派遣されたエンジニアがいる。 本職はダム建設だった彼。 遺跡救済の辞令
には驚いた。

“驚いたけれど、エジプトに遺跡を救いに行くなんて、すごくエキサイティング
だと思った。ダム建設もいいけれど、それより、もっとワクワクする事が起こる
んじゃないかってね”  とはいえ、こんな巨大なものを、どうやって…?

“これだよ。これが大神殿の解体図だ”

スウェーデン案では巨大な神殿を、1000個以上のブロックに切断すると提案。
神殿を分解して丘の上へと運んだあと、改めてパズルのように組み立て直す
という、奇想天外なものだった。

“万一の事故のリスクを少なくするため、ブロックに分割するという案を出した。
細かく分解しておけば1つや2つ壊れた所で大きな損害にはならないからね”

しかし、ここで問題が…。 工事にかかる費用140億円の財源が足りなかった
のだ。 それを工面するため、エジプト政府が考えた策。 それは…。

門外不出のツタンカーメンの秘宝を世界中で展示し、支援金を集めるという
ものだった! そして、作戦は大当たり!

世界中で古代エジプトブームが巻き起こった! 日本の展覧会でも長蛇の列。
総動員数は、なんと、293万人! お目当ては、もちろん、黄金のマスク!
エジプトを出たのは、この時が初めてだった!

資金集めと並行して、1964年4月。 プロジェクトは、急ぎスタートを切った。
世界中から、2000人もの技術者たちが集まった。

切り出さねばならない総重量は、ラムセス2世をまつる大神殿と王妃をまつる
小神殿の、合わせて… 25万トン!

しかし、すぐには遺跡の切断に踏み切れなかった。 やっかいだったのは、
それぞれの神殿の奥に、アリの巣のように掘られた回廊部分。

上に覆いかぶさる厚さ80メートルもの岩盤を切り崩さなければ、神殿に近づく
事すら出来なかったのだ。 その作業には、更なる難題が…。

“アブ・シンベルは、神殿を包み込む山が生み出すアーチ効果によって、
3000年もの間、守られていたんだ”

もともと神殿の天井には、アーチ効果と呼ばれる作用が働き、のしかかる山の
重みを受け止められるようになっていた。

ところが、上部の山を取り除いてしまうと、その効果が失われ、神殿の天井が
自身の重みで落下してしまうというのだ。

そこで彼らは、あらかじめ数千本の鉄柱で神殿を内部から補強。 更に万一、
山が崩れても遺跡に傷がつかないよう神殿全体を砂で覆い、天然のクッション
に仕立て上げた。

こうして半年かけて岩盤を剥がされ切断の準備が整ったアブ・シンベル神殿。
ところが、ナイルの水位が想定を超えるスピードで上昇して迫って来ていた。

彼らは即席の堤防を作り神殿を取り囲んだものの、水位が堤防を越えるまで
僅か15カ月と予想された。

“そりゃ、焦るに決まってるだろ。小神殿の方は低い位置にあったから、既に
床が水に浸かっていた。雨季になれば、ナイルの水位が一気に上がるから
堤防だって、ひとたまりもないんだ”

切断を少しでも早く進められるよう、彼らは、ある国から助っ人を呼び寄せる。
白羽の矢が立ったのが、イタリア中部の街カッラーラ。

世界屈指の石切り職人たちがいた。 カッラーラは、上質な白大理石の産地。
あのミケランジェロもダヴィデ像を作るために通った古くからの石切りの街だ。

当時25歳だった石切り職人。 彼もエジプトに向かった1人。

“実は、アブ・シンベルに来るまで、遺跡を切る仕事をするとは知らなかった。
てっきり石切り場で働くもんだと思ってた。もちろん驚いたけど不安はなかった
アブ・シンベルの砂岩は大理石とは違うけど、石を切るという事に変わりない”

彼らは用途に応じた、いくつものマシンを巧みに使い分け、猛烈なスピードで
遺跡を切り分けて行った。

1965年10月。 ついに彼らは解体作業の最終関門に突入する。 それが神殿
正面に、そびえていた… ラムセス像の切断だった。

古代エジプトの黄金期を象徴する、最強のファラオの顔に、傷跡は残せない。
しかしチェーンソーを使えば、幅4センチにわたり、遺跡が削り取られる。

そこで彼は、木材用のノコギリに、ある工夫を加えた。 ノコギノの刃に、母国
スウェーデン伝統の製鉄技術を駆使して、超合金を埋め込んだのだ。

その切断幅、僅か4ミリ。 チェーンソーの10分の1に抑える事に成功した。

“1人1人が自分の仕事に誇りを持ってた。フランス人は運搬のスペシャリスト
だ。ドイツ人はメカニック。超合金のノコギリはスウェーデンのアイデア。他の
国から来た人たちと分かり合う事、理解しようと努力する事。本当にいい経験
だったよ”  着工から丸2年経った… 1966年5月。

全てのブロックの避難が完了した。 その総数、1071個。 あとは、高台で
元通りに組み立てて行くだけ… しかし、ここで重要な事があった。

1年に2回、2月と10月にだけ起きる、アブ・シンベルの奇跡。 朝日が地平線
から昇り4度の角度になった時、その光は60メートル先にある3体の神々へと
届く。 神々の像が照らされるのは… 僅か30分足らずだ。

この古代エジプト人が仕掛けた神秘を再現できなければ、引っ越しは成功と
言えない。航空写真や衛星を使った最新の測量によって、神殿は真東より
少し南に向いている事が分かった。

この向きを同じにすれば、計算上、太陽光は、入るはずだ。 1966年1月。
いよいよ組み立て作業が始まった。

1000個以上あるブロックを、1つも欠ける事なく運ばなければ、神殿を忠実に
再現できない。 組み立て作業の監視役を務めた男性。

彼らにとって最大の難関は、長い回廊の組み立て作業だった。 太陽の通る
道が少しでも曲がれば、奥の神々に光は当たらない。 そこで…。

“切断の時、回廊に鉄の足場を置きました。その足場を、新しい場所に同じ
ように置いて、組み立て時の目印にしたのです”

切断前に使った足場を移転先でも全く同じように組み立て、それに沿うように
ブロックを1つ1つ置いて行ったのだ。

8カ月かかったが、神殿奥まで真っ直ぐにのびる回廊が元通りに再現された。
最後に彼に残されたのは神殿の象徴、巨大なラムセス像の組み立てだった。

重要だったのは、4ミリの幅にまで抑えていた切断面。 彼は、ある事を考え
ていた。

“切っている間に、降ってくる砂を集めていたのです。その砂に薬品を混ぜ、
それで顔のブロックを接着させました。ブロックの間に同じ砂を入れて、表面の
傷を見えないようにしたのです”  彼の作戦は成功した。

切断部分は、目立たないように修復された。 こうして、組み立て開始から2年
半が経った… 1968年9月22日。 アブ・シンベル神殿の移築は完了。

奇跡は果たして、再現されたのか? 完成から50年経った今、アブ・シンベル
神殿には、観光客が詰めかける。

年に2回、朝日が昇ると、その光は彼らが組み立てた回廊を通って60メートル
奥の神々を照らし出す。 プロジェクトは、成功したのだ!

しかし実は、計算外の事が1つあった。 現在、奇跡が起こる日は、2月22日と
10月22日。 移転前より1日ズレて、遅くなったのだ。

神殿の中心線が、少し北側にズレたためだとも言われるが… もはや、この
事を非難する人など、どこにもいない。 そして物語は、更に続く。

実は同じ頃、イタリアのフィレンツェとベネチアで大洪水が発生。(1966/11)
この時、アブ・シンベルの引っ越しプロジェクトにヒントを得て同じように各国が
救済に動いたのだ。

こうして、人類の遺産は世界で守るという精神が広がり、1972年の世界遺産
条約採択につながった。1979年アブ・シンベル神殿も世界遺産に登録された。

“私は、このプロジェクト自体が、奇跡だと人々に伝えています。ファラオが、
この息をのむような文明を築き、世界から集まった技術者たちが、このプロ
ジェクトを成し遂げました。神殿を見ると、たくさんの思い出がよみがえります。
この成功は、大きな喜びです”