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ダンシング・クイーンは大変な逆境にいた王妃にささげられた歌だった
2021年11月22日 (月) | 編集 |
FC2 トラックバックテーマ:「実はなんてことなかった!ことはありますか?」
スウェーデンが生んだ世界的ポップグループABBA (アバ) 。その最大のヒット
曲が、こちら。世界10カ国以上でチャート1位を獲得したダンシング・クイーン。
誰もが1度は耳にした事があるだろう。 (懐かしい~!レコード持ってる!)

だが、ご存知だろうか? この曲が、1976年に、ある女性にささげられていた
ことを。 これは母国スウェーデンで発売前、一足先に披露された時の映像。
ドレスに身を包んだABBA。 歌を捧げた、その相手こそ、クイーン・シルビア。
現在のスウェーデン王妃。

本物のクイーン。 そして、世界中の人々を虜にした名曲の知られざる物語。

永遠の名曲と言っていいでしょう。 スウェーデン発の4人組み、ABBAが生み
世界を魅了した、ダンシング・クイーン。 (1976年)

でも、これまで私は、ダンスフロアで踊る、名もなき女性について歌った曲と
いうイメージしかありませんでした。 運命の分岐点は、1976年6月18日。

この日、首都ストックホルムにある王立オペラ座では国王の結婚式を翌日に
控え、盛大な前夜祭が催されていました。

テレビ中継された、そのセレモニーのクライマックス。 ステージに現れた
ABBAは、新曲 ダンシング・クイーン を披露し、大喝采を浴びます。

第1の視点は、この曲を、ささげられた女性、シルビア・ソマラート。 現在の
スウェーデン王妃です。 平民の家庭に育ったシルビアは、まさに現代の
シンデレラ。 しかし、それゆえ、結婚への道のりは困難の連続でした。

しかしこの曲が、彼女の運命を大きく変える事になります。 逆境のシンデレラ
決意のアナザーストーリー。

スウェーデンの首都、ストックホルム。 伝説と語り継がれる、その夜の一部
始終を知る人物に、今回、話しを聞く事ができた。

“シルビアさんは、こちらに。国王は、こちらに座っていました”

セレモニーを取り仕切った演出家の女性。実は彼女こそダンシング・クイーン
をシルビアに、ささげると決めた張本人。

“あの結婚は、私たちの国にとって、あまりにも異例の出来事でした。シルビア
さんは、当時、大変な逆境にいました。ダンシング・クイーンは、そんな彼女に
ささげた最高のプレゼントだったのです”

王妃は、ダンシング・クイーンから、何を得たのか?

1972年。当時の西ドイツで開催された、ミュンヘン・オリンピック。 シルビアの
シンデレラ・ストーリーは、ここから始まった。 こちらが、28歳のシルビア。

彼女の仕事は、世界各国から訪れるVIPをもてなすこと。 父はドイツ人、母は
ブラジル人。 ごく普通のサラリーマン家庭に育った。 明るい性格で誰からも
好かれる人気者だった。

そしてシルビアはスウェーデンから訪れた皇太子カール・グスタフ当時26歳を
もてなす事になる。 独身のイケメン。 モデルや女優と浮き名を流す、プレイ
ボーイとして知られていた。 そんな2人がオリンピックのさなか、恋に落ちた。

週刊誌の記者として、2人の関係を、いち早く取材した男性。

“ここが、2人が恋に落ちた場所です。皇太子は、この席で、シルビアは後ろで
見守っていました。その時です。彼は双眼鏡を後ろに向け、シルビアを眺め始
めました。え?私を見るの?シルビアは笑いました。それから2人の距離は、
一気に…縮まったのです”

ごく普通の家庭に育ったドイツ人の女性と、スウェーデンの皇太子との間に
生まれたロマンス。 シルビアは、皇太子がそれまで付き合って来た女性とは
大きく違っていたという。

“驚くべき事にシルビアは、皇太子がおごる事を許しませんでした。彼女は遊
ばれたくなかったのです。私は、プレイメイトでも、ナンパ相手でもないという
姿勢を絶対に崩しませんでした。そんなシルビアに皇太子はゾッコンになって
しまったのです”

‘私は彼を皇太子としてではなく、1人の男性として見ていました。彼は、とても
温かく、やさしい人で、目はキラキラと輝いていました。一緒に過ごす時間が
とても楽しかった’ (2018年スウェーデン・テレビインタビューより)

だが、過酷な現実が、シルビアの前に立ちはだかる。 交際から1年、カール・
グスタフが、27歳の若さで国王に即位。 すると、恋人シルビアについて、
あれこれ言う人たちが出て来た。

当時の王室では、結婚相手は貴族である事が前提。 一般家庭に生まれた
シルビアは、お相手としてふさわしくないというのだ。 更に王室にも逆風が。

王制を廃止し、共和制へ移行するべきではないかという議論が、度々、起こる
ようになっていたのだ。

“シルビアは、自分がスウェーデンの国民に受け入れられるかどうかを、とても
心配していました。王妃に、ふさわしくないと判断されれば、容赦ない攻撃に
さらされ王室もなくってしまうかも知れない。それは、とてつもない重圧だった
と思います”  それでも、交際から3年半、2人は結婚を決意。

シルビアは、記者たちの前で、その思いをドイツ語で語った。
‘私は、私の人生を、新しい国の人たちに、ささげます。王妃としてのつとめを
しっかり果たしていきたいと思います’

だが、記者からスウェーデン語で話すよう求められた時、事件は起きた。

‘ワタシハ…スウェーデン、トテモ、イアワセデス…イッショウケンメイ、ガンバリ
マス… (皇太子に)助けてもらえますか?’

勉強中のスウェーデン語を、うまく話す事ができなかった。 これが物議を醸し
た。本当に王妃が務まるのかと、一部の国民が不満の声を上げ始めたのだ。

‘たくさんの記者に囲まれるのは、私にとって初めての体験でした。気が動転
して、ショックを受けました’ (2018年スウェーデン・テレビインタビューより)

そんなシルビアを支えたいと立ち上がったのが、結婚前夜祭を演出する事に
なった、演出家の女性。 前代未聞のプランを、実行に移そうとしていた。

“当初、予定されていた演目は、ほとんどがクラシックでした。でも私は現代的
なポップミュージックで、お祝いがしたかったのです。新風を吹き込むシルビア
さんには、新しい時代の音楽が、ふさわしいと考えたのです”

その時、演出家の頭の中には、あるグループの名前が浮かんでいた。

それは… ABBA。 当時、スウェーデンで話題を集めていた、新進気鋭の
ポップグループ。 だが、厳粛な王室の行事に参加させるのは、異例の事。
彼女にとっては、演出家生命を懸けた大博打だった。

ABBAは、演出家からの依頼を、すぐに快諾した。 そして、シルビアのために
新曲をささげたいと提案して来た。 タイトルは… ダンシング・クイーン。

さぁ、人生を楽しんで!あなたこそがクイーンだ!と励ます、明るい曲だった。

“初めてダンシング・クイーンの歌詞を聴いた時、これはシルビアさんへの
メッセージそのものだと思いました。迷うことなく、この曲で行きましょう!と、
決めたのを覚えているわ”

1976年6月18日。 結婚前夜祭の日がやって来た。 だが、いきなり想定外の
出来事が起きた。 予定の時間になっても… シルビアが現れない。

“お城とオペラ座は、すぐ側なのに、一体、何が起こったのだろうと思ったわ!
まさか、ケンカして婚約を破棄したのかもって!”

15分後。 ようやく、シルビアが会場に到着。 だが、その表情は… 不安と
緊張で、こわばっていた。 開幕しても、シルビアの表情は、硬いまま。 重い
空気が流れた。 ところが…。

“もう、狙い通りに大爆発したわ!ABBAが大音量でダンシング・クイーンを
歌い始めた時、劇場全体が、ひとつになって盛り上がった。あんな体験は、
2度とないわ!”

You can dance  あなたならクイーンになれる。  シルビアの背中を押し、
鼓舞するような歌詞とメロディー。 その歌を聴いたシルビアは、満面の笑みを
浮かべた。

“シルビアさんが、すごく笑顔になって拍手をしてくれたのが見えました。特に
歌詞を気に入ってくれたようでした。安心しましたね”

後にシルビアは、こう振り返っている。
‘私は歌詞に出て来るような17歳の少女ではなかったけれど自分にこんなに
素敵なセレナーデが贈られるなんて、とても嬉しかった事を覚えています’
(2006年 第2ドイツ・テレビ インタビューより)

翌日シルビアはクイーンになった。3人の子宝に恵まれると、飾る事なくありの
ままの生活をメディアにさらし、王室のイメージを親しみやすいものに変えた。
スウェーデン語も、みるみる上達。

‘仕事ばかりしないで、たまには遊んでと息子が言ってくるんです’

持ち前の明るさで、積極的に国際交流。 いつしかシルビアは、スウェーデン
王室の救世主とまで、たたえられるようになった。

“当時は文句を言う人もいましたが、今、スウェーデンの国民は、彼女を受け
入れ、応援しています。 シルビアは、私たちの自慢です。 国王が彼女を
見つけたのは、本当に幸運でした”

そして、結婚から17年。 50歳の誕生日を迎えた時。 王立オペラ座で、祝賀
セレモニーが開かれ、シルビアは、あの日と同じ席に座った。 (1993/12/23)

リクエストしたのは、もちろん… ダンシング・クイーン。
既に活動を休止していた、ABBAのメンバーも駆けつけた。

名曲に秘められた、シンデレラ・ストーリー。 そのキッカケを作った演出家の
彼女は、最後に、ある事実を明かしてくれた。

“今でもスウェーデン人の多くが勘違いしていますが、ダンシング・クイーンは
シルビアさんのために作られた曲ではないのです”

ダンシング・クイーンをシルビアに捧げると決めた時、曲は、既に完成。 実は
華やかな曲の裏には、ABBAの知られざる闘いがあった。