2021年11月19日 (金) | 編集 |
FC2 トラックバックテーマ:「〇〇1年分!もらえるとしたら何がいい?」
1973年、人々は、なぜかトイレットペーパーを確保しようとスーパーに殺到した。
そして、町から光が消えた。 世に言う、オイルショック。
発端は、アラブ諸国とイスラエルとの間で勃発した第4次中東戦争。(1973/10/6)
この時、アラブ諸国は、ある宣言を発した。
当時のサウジアラビア国王は、言う。
‘アメリカがアラブに敵対しイスラエルに武器を供与するならば、我々は石油を
供給し続ける事はできない’
そして、産油国の連合体であるOPEC(石油輸出国機構)は、原油価格を
一方的に70%も引き上げた。 日本は、アメリカの同盟国。
だとすると、この先、石油が入って来なくなるかも…? 人々の不安は、制御
不能な大パニックへ…。 あの騒動の裏に、一体、何があったのか?
新型コロナウイルスが日本で広がり始めた頃、スーパーの棚から、一斉に
マスクやトイレットペーパーが消えました。 まるで、あの時のように…。
運命の分岐点は、1973年10月31日。 この日、大阪の、とあるスーパーマー
ケットに、トイレットペーパーを求める大行列が突然、現れました。
この騒動に巻き込まれたスーパーの店員が、第1の視点。 日用品の販売を
担当していました。 騒動の発端を目撃した男のアナザーストーリー。
トイレットペーパー騒動の始まりとされる場所がある。 大阪北部の千里ニュー
タウンだ。 当時、流行り始めた巨大団地の先駆け的な存在。
オイルショックの時、住民の数は、13万に膨れ上がっていた。 町の中心。
千里中央駅。 改札を出て、2階部分の通路を抜ける。 そこから続く陸橋の
向こうのスーパーマーケットこそ、あの騒動の現場だ。 (大丸ピーコック)
あの日、開店前から突然、この大行列。 拡声機を片手に、その整理に
あたったのが、当時の日用品販売の担当者だ。
“開店前に100人が150人、200人となって並ばれたので、そこでビックリした
わけですね。店頭から消えたら陰で引っ張られて、明日の分は何時に入って
来るの?とか、うちの娘が怖いから、今日の1つだけは何とかしてよとか、
色々な方がおられましたけど…”
突然、パニックの渦中に立たされた男が見た、あの騒動とは?
実は彼には、1つの記憶がある。 あの騒動の1週間ほど前、仲間のウワサ
話しに首をかしげたのだ。
“トイレットペーパーが売り切れている店があるよと。そういうウワサは従業員
やパートさんの情報で、我々にも耳には入っていたのです”
特段、事情もないのに、なぜかトイレットペーパーが売り切れているという、
ウワサ。 一体、何が起きていたのか? 団地のサロンを訪ねると、当時から
ここに住んでいる住民を見つける事ができた。
Q: 当時、実際に買いに行った方は? “みんな行ってますでしょ”
“トイレットペーパーを買うのに、すごい並んではるよって言うから、それを
やじ馬根性で、その行列を走って見に行きました”
Q: そもそも、何が始まりだった? “あの大丸に並ぶ前からでしょ”
“あれは後から… 北町が1番… 北町の八百屋さんでの話しからね…”
夕飯の買い物をしていた北町の八百屋さんで、あるウワサが流れたという。
その瞬間を目撃した、こちらの女性。
“世間話しをしながら、買い物してたわけですよね。そこで買い物してる時に、
あるお客さんが来て、オイルショックで、えらい事に世の中がなってるなと。
今年の冬は灯油もないかも分からへんよっていう話しをしながら、そういえば
トイレットペーパーも、なくなるねんてっていう話しをしてて。へぇ~そうなんて
何人も不特定多数の人が、えー、そんな事あるの?って言って、聞いた人は
すぐに雑貨屋さんに行ってトイレットペーパー買って帰りはった。まだその時は
雑貨屋さんにトイレットペーパーが、あったんだから…”
お気付きだろうか? 大事なのは、オイルショックからトイレットペーパーに
つながるくだり。
“石油のオイルショックで偉い事に世の中が成ってるなと。今年の冬は灯油も
ないかも分からへんよっていう話しをしながら、そういえば、トイレットペーパー
も、なくなるねんてっていう話しをしてて…”
オイルショックで灯油がなくなるという話しから、そういえば… という連想で、
トイレットペーパーが持ち上がった事が分かる。
だが、なぜ、トイレットペーパーだったのか? 実は、1年ほど前から、木材の
価格が上がっており今に深刻な紙不足が起きるという不安のもと節約のお願
いが報じられていた。それは千里の住民にとって無視できない不安だった。
千里の団地のトイレは、当時では珍しい水洗式。 普通の紙では詰まってしま
うとあってトイレットペーパーが、なくなる事は住民の恐怖だったのだ。人々は
八百屋さんでのウワサ話しから、トイレットペーパーを買い始めた。
更に、この行動が偶然にも紙不足の実例として、新聞に載ってしまう。 当時、
この記事を書いた、元新聞記者の男性。
あの記事は、泊まり明けの日、たまたまデスクに言われ取材したという。
“お前、ちょっと千里に行って来いと。スーパーのトイレットペーパーがなくなっ
ているらしいという話しを言って来たんです。そのデスクは、そっちの方(千里)
に住んでいました。だから、奥さんなり、家族の方なりが、たぶん話したんだと
思います”
地方版の小さな記事。 だが、それがウワサに変わるのは、暮らしに関わる
事だけに早かった。
あのスーパーに行列が出来る前、まず客は、この薬局に押しかけた。
“最初…何の前触れもないのにお店に来たら何か外が騒々しいなと思ってて
シャッターをバッと開けたら、もう行列です!お客さんがトイレットペーパー、
トイレットペーパー言うてね…”
客の不安は従業員にも伝染し、店は店でパニックになった。
“従業員の方もビックリしてね。自分の分だけトイレットペーパーを、バーッと
よけはったら、社長が、そんな事したらいけない、お客さんが大事だと言ったら
従業員である前に、いち消費者です言うて…”
Q: 従業員の方が、トイレットペーパーが欲しくて?
“そうです。売るより自分の方が先!で、社長がなだめて、こう、やってらした”
そして運命の1973年10月31日。 その日は、月に2回の特売日。 くしくも、
この日の目玉商品が、トイレットペーパーだった。
“毎週水曜日に特売チラシを入れるわけですけど、その時にトイレットペーパー
の安売りという事で、広告を入れたわけですね。いつもなら、別にそんなんで
お客さんが行列される事はないんですけど、店へ出勤したら、開店前に、もう
100人が150人、200人となって並ばれたんで…そこでビックリしたわけです”
騒動が起きる前から用意していた、特売用のトイレットペーパー。 安い。
しかも大量にある! あっという間に、特売の700パックは完売した。 すると…
“どんな商品でもかまわないからトイレットペーパーちょうだい!っていうお客
さんが、たくさんおられた。じゃあ、いつもの値段の商品ですがという事で買い
求めて頂いたんですけど、また、そこへも殺到される。その事を報道の方が
見て、100円のトイレットペーパーが、あっという間に○○円という新聞記事が
出たわけですね”
記事によれば… 1個138円だったのに、品切れを理由に、200円。 値段が
みるみる上がっているという印象を与えた。
それから1カ月、日用品販売の担当者は、トイレットペーパーの仕入れに奔走
し続ける事になった。
“とりあえず、紙をたくさん仕入れる。お客さんに何とか供給したい。もう、その
事ばっかり考えてましたね。ご不便を、おかけしたらいけない。小売りの使命
ですからね”
千里の行列がニュースで流れると、この騒動は東京など全国に拡大した。
そこには、水洗トイレとは無縁な人々も、多く含まれていたはずだ。
更に塩・砂糖・洗剤など、あらゆるモノがなくなるというウワサが乱れ飛んだ。
当時の新聞の投稿欄からは、人々の不安が読み取れる。
‘買いだめすれば、モノがなくなる事は、自分でも分かっているの。でも心配で
心配で… ご近所の奥さん方がトイレットペーパーやお砂糖なんか重そうに
抱えて帰って来るでしょ。その姿を見ると、ジッとしていられなくなるんです’
騒動が、ようやく収まった頃、日用品販売の担当者は、思いがけない所から
呼び出しを受けた。 担当者たちが値段を、わざと、つり上げたために、騒動に
なったのではないかという疑いをかけられたのだ。
“公正取引委員会から呼び出しを受けて資料をいっぱい持って、ご説明に行く
とか、当時の国会の通産省の方から、資料を出しなさいとか、まぁ、別に、おと
がめも何もないですから、こっちも正々堂々としてました”
日用品販売の担当者にとっては、とんだ、とばっちりだった。
1973年、人々は、なぜかトイレットペーパーを確保しようとスーパーに殺到した。
そして、町から光が消えた。 世に言う、オイルショック。
発端は、アラブ諸国とイスラエルとの間で勃発した第4次中東戦争。(1973/10/6)
この時、アラブ諸国は、ある宣言を発した。
当時のサウジアラビア国王は、言う。
‘アメリカがアラブに敵対しイスラエルに武器を供与するならば、我々は石油を
供給し続ける事はできない’
そして、産油国の連合体であるOPEC(石油輸出国機構)は、原油価格を
一方的に70%も引き上げた。 日本は、アメリカの同盟国。
だとすると、この先、石油が入って来なくなるかも…? 人々の不安は、制御
不能な大パニックへ…。 あの騒動の裏に、一体、何があったのか?
新型コロナウイルスが日本で広がり始めた頃、スーパーの棚から、一斉に
マスクやトイレットペーパーが消えました。 まるで、あの時のように…。
運命の分岐点は、1973年10月31日。 この日、大阪の、とあるスーパーマー
ケットに、トイレットペーパーを求める大行列が突然、現れました。
この騒動に巻き込まれたスーパーの店員が、第1の視点。 日用品の販売を
担当していました。 騒動の発端を目撃した男のアナザーストーリー。
トイレットペーパー騒動の始まりとされる場所がある。 大阪北部の千里ニュー
タウンだ。 当時、流行り始めた巨大団地の先駆け的な存在。
オイルショックの時、住民の数は、13万に膨れ上がっていた。 町の中心。
千里中央駅。 改札を出て、2階部分の通路を抜ける。 そこから続く陸橋の
向こうのスーパーマーケットこそ、あの騒動の現場だ。 (大丸ピーコック)
あの日、開店前から突然、この大行列。 拡声機を片手に、その整理に
あたったのが、当時の日用品販売の担当者だ。
“開店前に100人が150人、200人となって並ばれたので、そこでビックリした
わけですね。店頭から消えたら陰で引っ張られて、明日の分は何時に入って
来るの?とか、うちの娘が怖いから、今日の1つだけは何とかしてよとか、
色々な方がおられましたけど…”
突然、パニックの渦中に立たされた男が見た、あの騒動とは?
実は彼には、1つの記憶がある。 あの騒動の1週間ほど前、仲間のウワサ
話しに首をかしげたのだ。
“トイレットペーパーが売り切れている店があるよと。そういうウワサは従業員
やパートさんの情報で、我々にも耳には入っていたのです”
特段、事情もないのに、なぜかトイレットペーパーが売り切れているという、
ウワサ。 一体、何が起きていたのか? 団地のサロンを訪ねると、当時から
ここに住んでいる住民を見つける事ができた。
Q: 当時、実際に買いに行った方は? “みんな行ってますでしょ”
“トイレットペーパーを買うのに、すごい並んではるよって言うから、それを
やじ馬根性で、その行列を走って見に行きました”
Q: そもそも、何が始まりだった? “あの大丸に並ぶ前からでしょ”
“あれは後から… 北町が1番… 北町の八百屋さんでの話しからね…”
夕飯の買い物をしていた北町の八百屋さんで、あるウワサが流れたという。
その瞬間を目撃した、こちらの女性。
“世間話しをしながら、買い物してたわけですよね。そこで買い物してる時に、
あるお客さんが来て、オイルショックで、えらい事に世の中がなってるなと。
今年の冬は灯油もないかも分からへんよっていう話しをしながら、そういえば
トイレットペーパーも、なくなるねんてっていう話しをしてて。へぇ~そうなんて
何人も不特定多数の人が、えー、そんな事あるの?って言って、聞いた人は
すぐに雑貨屋さんに行ってトイレットペーパー買って帰りはった。まだその時は
雑貨屋さんにトイレットペーパーが、あったんだから…”
お気付きだろうか? 大事なのは、オイルショックからトイレットペーパーに
つながるくだり。
“石油のオイルショックで偉い事に世の中が成ってるなと。今年の冬は灯油も
ないかも分からへんよっていう話しをしながら、そういえば、トイレットペーパー
も、なくなるねんてっていう話しをしてて…”
オイルショックで灯油がなくなるという話しから、そういえば… という連想で、
トイレットペーパーが持ち上がった事が分かる。
だが、なぜ、トイレットペーパーだったのか? 実は、1年ほど前から、木材の
価格が上がっており今に深刻な紙不足が起きるという不安のもと節約のお願
いが報じられていた。それは千里の住民にとって無視できない不安だった。
千里の団地のトイレは、当時では珍しい水洗式。 普通の紙では詰まってしま
うとあってトイレットペーパーが、なくなる事は住民の恐怖だったのだ。人々は
八百屋さんでのウワサ話しから、トイレットペーパーを買い始めた。
更に、この行動が偶然にも紙不足の実例として、新聞に載ってしまう。 当時、
この記事を書いた、元新聞記者の男性。
あの記事は、泊まり明けの日、たまたまデスクに言われ取材したという。
“お前、ちょっと千里に行って来いと。スーパーのトイレットペーパーがなくなっ
ているらしいという話しを言って来たんです。そのデスクは、そっちの方(千里)
に住んでいました。だから、奥さんなり、家族の方なりが、たぶん話したんだと
思います”
地方版の小さな記事。 だが、それがウワサに変わるのは、暮らしに関わる
事だけに早かった。
あのスーパーに行列が出来る前、まず客は、この薬局に押しかけた。
“最初…何の前触れもないのにお店に来たら何か外が騒々しいなと思ってて
シャッターをバッと開けたら、もう行列です!お客さんがトイレットペーパー、
トイレットペーパー言うてね…”
客の不安は従業員にも伝染し、店は店でパニックになった。
“従業員の方もビックリしてね。自分の分だけトイレットペーパーを、バーッと
よけはったら、社長が、そんな事したらいけない、お客さんが大事だと言ったら
従業員である前に、いち消費者です言うて…”
Q: 従業員の方が、トイレットペーパーが欲しくて?
“そうです。売るより自分の方が先!で、社長がなだめて、こう、やってらした”
そして運命の1973年10月31日。 その日は、月に2回の特売日。 くしくも、
この日の目玉商品が、トイレットペーパーだった。
“毎週水曜日に特売チラシを入れるわけですけど、その時にトイレットペーパー
の安売りという事で、広告を入れたわけですね。いつもなら、別にそんなんで
お客さんが行列される事はないんですけど、店へ出勤したら、開店前に、もう
100人が150人、200人となって並ばれたんで…そこでビックリしたわけです”
騒動が起きる前から用意していた、特売用のトイレットペーパー。 安い。
しかも大量にある! あっという間に、特売の700パックは完売した。 すると…
“どんな商品でもかまわないからトイレットペーパーちょうだい!っていうお客
さんが、たくさんおられた。じゃあ、いつもの値段の商品ですがという事で買い
求めて頂いたんですけど、また、そこへも殺到される。その事を報道の方が
見て、100円のトイレットペーパーが、あっという間に○○円という新聞記事が
出たわけですね”
記事によれば… 1個138円だったのに、品切れを理由に、200円。 値段が
みるみる上がっているという印象を与えた。
それから1カ月、日用品販売の担当者は、トイレットペーパーの仕入れに奔走
し続ける事になった。
“とりあえず、紙をたくさん仕入れる。お客さんに何とか供給したい。もう、その
事ばっかり考えてましたね。ご不便を、おかけしたらいけない。小売りの使命
ですからね”
千里の行列がニュースで流れると、この騒動は東京など全国に拡大した。
そこには、水洗トイレとは無縁な人々も、多く含まれていたはずだ。
更に塩・砂糖・洗剤など、あらゆるモノがなくなるというウワサが乱れ飛んだ。
当時の新聞の投稿欄からは、人々の不安が読み取れる。
‘買いだめすれば、モノがなくなる事は、自分でも分かっているの。でも心配で
心配で… ご近所の奥さん方がトイレットペーパーやお砂糖なんか重そうに
抱えて帰って来るでしょ。その姿を見ると、ジッとしていられなくなるんです’
騒動が、ようやく収まった頃、日用品販売の担当者は、思いがけない所から
呼び出しを受けた。 担当者たちが値段を、わざと、つり上げたために、騒動に
なったのではないかという疑いをかけられたのだ。
“公正取引委員会から呼び出しを受けて資料をいっぱい持って、ご説明に行く
とか、当時の国会の通産省の方から、資料を出しなさいとか、まぁ、別に、おと
がめも何もないですから、こっちも正々堂々としてました”
日用品販売の担当者にとっては、とんだ、とばっちりだった。
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