2021年10月07日 (木) | 編集 |
FC2 トラックバックテーマ:「スープ、汁物を飲むなら何が一番好き?」
私たちの生活は、昔の人には、まるっきり理解不能でしょう。 世界は人間の
創意工夫が生み出したモノで、あふれています。
限界に挑み続けて到達したスピード、深さ、高さ… 全ては人類の類いまれな
能力、発明のおかげです。
天才的なヒラメキにより、私たちは複雑な問題を、鮮やかに解決してきました。
日常生活から、宇宙に至るまで。 優れたモノも、そうでないモノも。
世界を変えた偉大な発明を、一緒に見て行きましょう!
‘この小さな一歩は、全人類の大飛躍だ!’
“大恐慌は、社会のあらゆる階層に打撃を与えました。 それまで裕福だった
人たちも突然、財産を失い、安く食べ物が手に入るスーパーマーケットでの
買い物が、当たり前になったのです”
キング・カレンには、節約意識が高くなった消費者が殺到。 広い駐車場が
本領を発揮しました。 ライバルの小売チェーン店も、こぞってキング・カレン
方式を取り入れて行きました。
しかし、短時間に、より多く買ってもらうには、まだまだシステムの改善の余地
がありました。 買い物中の重い荷物を、どうするのか? 車があるから持ち
帰りは楽ですが、買い物中は、自分で持たなければなりません。
“客は、前より大量に買うようになっていましたが、重たい袋を抱えて、店と
駐車場を何度も往復するのは、面倒だと思っていました”
いっその事、店の中に、車を持ち込んじゃいます?
“店内で使える専用の車があれば、お客さんは、もっとたくさん買いたくなる
はずです” 1937年、世界初のショッピングカートが誕生!
車輪の付いた買い物カゴは、消費の世界を一変させる革新的な発明でした。
考案したのは、スーパーの経営者、シルバン・ゴールドマンです。
これぞイノベーション! 期待が膨らみます!
“しかし、どんなに良いモノでも人は新しいモノには尻込みしがちです。得体の
知れないモノは避けたがるし、奇抜に見えるのを嫌がります。 ショッピング
カートを初めて見た人は、乳母車を連想しました”
“1930年代はガチガチの男社会でしたから、乳母車っぽい見た目は、男性に
毛嫌いされたのです。 一方、女性は、赤ちゃんだったら良いけど、パンや
ミルクを乗せて歩くのは変じゃない?という反応でした。 どんなに便利で
役立つ発明でも、最初は、強い抵抗に遭ってしまうのです”
しかしショッピングカートは、割とすぐに受け入れられました。 ゴールドマンが
人間の心理を巧みに利用して、嫌悪感を憧れに変えたのです。
“ゴールドマンは、イケメン俳優と美人女優を雇い、素敵な身なりでカートを
押して、買い物させたのです”
“夫婦役もいれば、おひとりさまを演じる俳優もいました。 一般の買い物客の
目には、自分より裕福でオシャレなライフスタイルの人たちがカートを押して
いるように見える。 ショッピングカートが、憧れのアイテムになりました”
ショッピングカートが普及し始めると、客は次から次へと商品を詰め込むように
なります。 ショッピングカート自体も、どんどん大きくなって行きました。
“それに合わせて、通路も広くなって行きました。 カートが大きくなればなる
ほど、客が買うモノも増え、儲けが増えました”
スーパーマーケットは、順調に利益を伸ばして行きますが、昔ながらの小売店
との激しい競争が続いていました。しかし1930年代の終わり、第2次世界大戦
をキッカケに、小売業界に変化が起こります。
ヨーロッパが、ナチス・ドイツとイタリアを相手に戦っていた頃、アメリカは日本
との戦争に突入。 18歳から45歳の男性に徴兵が義務付けられ、およそ
4900万人が、これに応じました。 戦争が激化するにつれて、労働力は減少。
アメリカでは1945年までに、人口の1割以上が徴兵されていました。小売店は
接客の人員をそがれ、大打撃を受けました。 一方、スーパーマーケットは、
セルフサービス方式のおかげで、難局を切り抜けます。
第2次世界大戦は、大量の小売店を閉店に追い込み、スーパーマーケットの
シェアを広げました。 戦後、スーパーマーケットは、幅広い客層の取り込みを
図りつつ、食料品の大量販売路線を強化して行きます。
‘食料雑貨店は、大きく成長して来ました。 買い物客は、正面から店内へ。
裏手では、大量の商品を搬入。 国内各地の農場や、遠く離れた海外から、
アメリカ人の食欲を満たす、多様な食品が毎日、届きます’
“スーパーマーケットが世界中に広がり、多くの人が買い物をする場所として
発展する中で、食料品の生産方法も大きく変わりました。 農業は栽培も流通
加工も、大規模生産へとシフトして行ったのです”
スーパーマーケットは、更に成長。 拡大する需要を満たすため、産業のあら
ゆる面で近代化を進めています。 ‘収穫と脱穀が、1度に出来る機械です’
集約農業で、作物の栽培と加工の効率が、一気に上がります。
‘現代の農場は、科学の恩恵であふれています。 改良された作物、生産性
の高い土壌、効率のいい農機具も、その1つです。 新鮮な作物を食卓へ届け
るための収穫と流通の画期的なシステムが必要でした’
大量生産する事で、商品の価格は、大幅に下がります。 更に、道路や鉄道、
長距離トラックなど、インフラの整備に多額の投資がなされた事でサプライヤーは
商品を、どこへでも輸送できるようになりました。 しかし、弊害もありました。
ズラリと並ぶ低価格の食品は、消費者にとっては魅力的ですが、生産の過程
には損失が伴うのです。
“食品の大量生産は、消費者に届くまでの、さまざまな段階で、無駄が出てし
まうのです。 農場では、見た目の悪いモノが廃棄されます。 サイズや色、
形など、スーパーマーケットや小売店が求める規格に合わないからです”
“またスーパーでは、棚を埋めようとするあまり、過剰な在庫を抱える事もあり
ます。 品切れで顧客の信頼を裏切るなんて、絶対に避けたいですからね”
食品の無駄で、特に問題となるのは、肉や果物など、日持ちのしない食べ物
です。 無駄を防ぐ方法は、スーパーマーケットが誕生する前から存在して
いました。 缶詰です。
保存液につけて、密封した缶詰なら、店にしばらく山積みにしておいても腐る
心配は、ありません。 手頃な価格の缶詰のおかげで、生活が苦しい人たちも
肉や野菜、そして果物まで、さまざまな栄養を摂る事ができました。
しかしグルメな人たちは、缶詰を好みませんでした。 小売業者たちは食品を
数カ月間、新鮮に保つ新たな方法を模索していました。
急速冷凍で、食品の鮮度を保つ。 この技術は、1920年代、カナダ北部の
氷雪地帯での釣りをヒントに、クラレンス・バーズアイによって開発されました。
しかし根本的な問題がありました。 一般家庭では、冷凍保存はできなかった
のです。
“クラレンス・バーズアイが、急速冷凍技術を開発し、冷凍食品が作られるよう
になりました。 しかしイギリスでもアメリカでも、大半の家庭には、まだ冷凍庫
が無かったのです”
“当時は、冷凍食品を買って来たら、そのまま解凍していました。 つまり、
小売店やスーパーマーケットで購入したら、その日の内に食べていたのです。
この状況を変えたのが、家庭用冷凍庫の登場でした”
1940年代に冷凍冷蔵庫が登場。 これにより、日持ちのしない食品を、一般
家庭でも、数カ月単位で保存できるようになりました。 画期的な変化です。
“フリーザーが家庭に入って来た事で、それまでの食生活、買い物の仕方、
そして献立のやりくりが激変しました”
‘冷凍食品やアイスクリームを、好きなだけ保存できます。 急速製氷も可能
しっかり凍る。 本格的なフリーザーです’
“鮮明に覚えてます。 冷蔵庫の感じ。 ある日、冷蔵庫が届いて、母が凄い
喜んでたのを記憶してますね。 あぁ、良かったみたいな、嬉しいと言ってた
から、やっぱり保存が利くからじゃない? 今日、買ったモノが残ったら、明日
も大丈夫みたいな…”
“食品を長く保存できるようになれば、今すぐ必要なモノを厳選して買わなけ
ればというプレッシャーがなくなります。 買い物の量が増えれば店の収益は
上がり、更に販売量が増える。 消費文化が、どんどん加速して行きました”
効率的なサプライチェーンを形成して、安くて豊富な品揃えを実現したスーパー
マーケット。 冷凍食品のおかげで、消費者に更なる利便性を提供できる様に
なりました。
1940年代の終わり、不景気から抜け出した絶好のタイミングで、スーパー
マーケットは、アメリカ中に広がって行きました。
同じ頃、太西洋を挟んだヨーロッパの人々は、まだ昔ながらの小さな店で買い
物をしていました。 変化が始まったのは1950年頃。 イギリスの小売チェーン
テスコとセインズベリーズが、初めてセルフサービス方式を導入したのです。
イギリスでスーパーが普及するには、更に10年近くかかりました。1957年には
エリザベス女王が、アメリカで人気の大型スーパーを見たいと、視察に訪れた
ほどです。 買い物革命は、50年代に、ヨーロッパや日本に拡大します。
戦後のドイツで、ディスカウントストアとしてスタートした、アルブレヒトは、
1954年に、国内初のセルフサービスの店を、オープン。 今は、アルディと
名前を変え、ヨーロッパ中に展開する大手チェーンとなっています。
ドイツより1年早く、1953年、ついに日本にも、初めてのセルフサービスの店が
登場します。そのパイオニアは、東京・青山の青果店、紀ノ国屋2代目として
働いていた、増井徳男です。
私たちの生活は、昔の人には、まるっきり理解不能でしょう。 世界は人間の
創意工夫が生み出したモノで、あふれています。
限界に挑み続けて到達したスピード、深さ、高さ… 全ては人類の類いまれな
能力、発明のおかげです。
天才的なヒラメキにより、私たちは複雑な問題を、鮮やかに解決してきました。
日常生活から、宇宙に至るまで。 優れたモノも、そうでないモノも。
世界を変えた偉大な発明を、一緒に見て行きましょう!
‘この小さな一歩は、全人類の大飛躍だ!’
“大恐慌は、社会のあらゆる階層に打撃を与えました。 それまで裕福だった
人たちも突然、財産を失い、安く食べ物が手に入るスーパーマーケットでの
買い物が、当たり前になったのです”
キング・カレンには、節約意識が高くなった消費者が殺到。 広い駐車場が
本領を発揮しました。 ライバルの小売チェーン店も、こぞってキング・カレン
方式を取り入れて行きました。
しかし、短時間に、より多く買ってもらうには、まだまだシステムの改善の余地
がありました。 買い物中の重い荷物を、どうするのか? 車があるから持ち
帰りは楽ですが、買い物中は、自分で持たなければなりません。
“客は、前より大量に買うようになっていましたが、重たい袋を抱えて、店と
駐車場を何度も往復するのは、面倒だと思っていました”
いっその事、店の中に、車を持ち込んじゃいます?
“店内で使える専用の車があれば、お客さんは、もっとたくさん買いたくなる
はずです” 1937年、世界初のショッピングカートが誕生!
車輪の付いた買い物カゴは、消費の世界を一変させる革新的な発明でした。
考案したのは、スーパーの経営者、シルバン・ゴールドマンです。
これぞイノベーション! 期待が膨らみます!
“しかし、どんなに良いモノでも人は新しいモノには尻込みしがちです。得体の
知れないモノは避けたがるし、奇抜に見えるのを嫌がります。 ショッピング
カートを初めて見た人は、乳母車を連想しました”
“1930年代はガチガチの男社会でしたから、乳母車っぽい見た目は、男性に
毛嫌いされたのです。 一方、女性は、赤ちゃんだったら良いけど、パンや
ミルクを乗せて歩くのは変じゃない?という反応でした。 どんなに便利で
役立つ発明でも、最初は、強い抵抗に遭ってしまうのです”
しかしショッピングカートは、割とすぐに受け入れられました。 ゴールドマンが
人間の心理を巧みに利用して、嫌悪感を憧れに変えたのです。
“ゴールドマンは、イケメン俳優と美人女優を雇い、素敵な身なりでカートを
押して、買い物させたのです”
“夫婦役もいれば、おひとりさまを演じる俳優もいました。 一般の買い物客の
目には、自分より裕福でオシャレなライフスタイルの人たちがカートを押して
いるように見える。 ショッピングカートが、憧れのアイテムになりました”
ショッピングカートが普及し始めると、客は次から次へと商品を詰め込むように
なります。 ショッピングカート自体も、どんどん大きくなって行きました。
“それに合わせて、通路も広くなって行きました。 カートが大きくなればなる
ほど、客が買うモノも増え、儲けが増えました”
スーパーマーケットは、順調に利益を伸ばして行きますが、昔ながらの小売店
との激しい競争が続いていました。しかし1930年代の終わり、第2次世界大戦
をキッカケに、小売業界に変化が起こります。
ヨーロッパが、ナチス・ドイツとイタリアを相手に戦っていた頃、アメリカは日本
との戦争に突入。 18歳から45歳の男性に徴兵が義務付けられ、およそ
4900万人が、これに応じました。 戦争が激化するにつれて、労働力は減少。
アメリカでは1945年までに、人口の1割以上が徴兵されていました。小売店は
接客の人員をそがれ、大打撃を受けました。 一方、スーパーマーケットは、
セルフサービス方式のおかげで、難局を切り抜けます。
第2次世界大戦は、大量の小売店を閉店に追い込み、スーパーマーケットの
シェアを広げました。 戦後、スーパーマーケットは、幅広い客層の取り込みを
図りつつ、食料品の大量販売路線を強化して行きます。
‘食料雑貨店は、大きく成長して来ました。 買い物客は、正面から店内へ。
裏手では、大量の商品を搬入。 国内各地の農場や、遠く離れた海外から、
アメリカ人の食欲を満たす、多様な食品が毎日、届きます’
“スーパーマーケットが世界中に広がり、多くの人が買い物をする場所として
発展する中で、食料品の生産方法も大きく変わりました。 農業は栽培も流通
加工も、大規模生産へとシフトして行ったのです”
スーパーマーケットは、更に成長。 拡大する需要を満たすため、産業のあら
ゆる面で近代化を進めています。 ‘収穫と脱穀が、1度に出来る機械です’
集約農業で、作物の栽培と加工の効率が、一気に上がります。
‘現代の農場は、科学の恩恵であふれています。 改良された作物、生産性
の高い土壌、効率のいい農機具も、その1つです。 新鮮な作物を食卓へ届け
るための収穫と流通の画期的なシステムが必要でした’
大量生産する事で、商品の価格は、大幅に下がります。 更に、道路や鉄道、
長距離トラックなど、インフラの整備に多額の投資がなされた事でサプライヤーは
商品を、どこへでも輸送できるようになりました。 しかし、弊害もありました。
ズラリと並ぶ低価格の食品は、消費者にとっては魅力的ですが、生産の過程
には損失が伴うのです。
“食品の大量生産は、消費者に届くまでの、さまざまな段階で、無駄が出てし
まうのです。 農場では、見た目の悪いモノが廃棄されます。 サイズや色、
形など、スーパーマーケットや小売店が求める規格に合わないからです”
“またスーパーでは、棚を埋めようとするあまり、過剰な在庫を抱える事もあり
ます。 品切れで顧客の信頼を裏切るなんて、絶対に避けたいですからね”
食品の無駄で、特に問題となるのは、肉や果物など、日持ちのしない食べ物
です。 無駄を防ぐ方法は、スーパーマーケットが誕生する前から存在して
いました。 缶詰です。
保存液につけて、密封した缶詰なら、店にしばらく山積みにしておいても腐る
心配は、ありません。 手頃な価格の缶詰のおかげで、生活が苦しい人たちも
肉や野菜、そして果物まで、さまざまな栄養を摂る事ができました。
しかしグルメな人たちは、缶詰を好みませんでした。 小売業者たちは食品を
数カ月間、新鮮に保つ新たな方法を模索していました。
急速冷凍で、食品の鮮度を保つ。 この技術は、1920年代、カナダ北部の
氷雪地帯での釣りをヒントに、クラレンス・バーズアイによって開発されました。
しかし根本的な問題がありました。 一般家庭では、冷凍保存はできなかった
のです。
“クラレンス・バーズアイが、急速冷凍技術を開発し、冷凍食品が作られるよう
になりました。 しかしイギリスでもアメリカでも、大半の家庭には、まだ冷凍庫
が無かったのです”
“当時は、冷凍食品を買って来たら、そのまま解凍していました。 つまり、
小売店やスーパーマーケットで購入したら、その日の内に食べていたのです。
この状況を変えたのが、家庭用冷凍庫の登場でした”
1940年代に冷凍冷蔵庫が登場。 これにより、日持ちのしない食品を、一般
家庭でも、数カ月単位で保存できるようになりました。 画期的な変化です。
“フリーザーが家庭に入って来た事で、それまでの食生活、買い物の仕方、
そして献立のやりくりが激変しました”
‘冷凍食品やアイスクリームを、好きなだけ保存できます。 急速製氷も可能
しっかり凍る。 本格的なフリーザーです’
“鮮明に覚えてます。 冷蔵庫の感じ。 ある日、冷蔵庫が届いて、母が凄い
喜んでたのを記憶してますね。 あぁ、良かったみたいな、嬉しいと言ってた
から、やっぱり保存が利くからじゃない? 今日、買ったモノが残ったら、明日
も大丈夫みたいな…”
“食品を長く保存できるようになれば、今すぐ必要なモノを厳選して買わなけ
ればというプレッシャーがなくなります。 買い物の量が増えれば店の収益は
上がり、更に販売量が増える。 消費文化が、どんどん加速して行きました”
効率的なサプライチェーンを形成して、安くて豊富な品揃えを実現したスーパー
マーケット。 冷凍食品のおかげで、消費者に更なる利便性を提供できる様に
なりました。
1940年代の終わり、不景気から抜け出した絶好のタイミングで、スーパー
マーケットは、アメリカ中に広がって行きました。
同じ頃、太西洋を挟んだヨーロッパの人々は、まだ昔ながらの小さな店で買い
物をしていました。 変化が始まったのは1950年頃。 イギリスの小売チェーン
テスコとセインズベリーズが、初めてセルフサービス方式を導入したのです。
イギリスでスーパーが普及するには、更に10年近くかかりました。1957年には
エリザベス女王が、アメリカで人気の大型スーパーを見たいと、視察に訪れた
ほどです。 買い物革命は、50年代に、ヨーロッパや日本に拡大します。
戦後のドイツで、ディスカウントストアとしてスタートした、アルブレヒトは、
1954年に、国内初のセルフサービスの店を、オープン。 今は、アルディと
名前を変え、ヨーロッパ中に展開する大手チェーンとなっています。
ドイツより1年早く、1953年、ついに日本にも、初めてのセルフサービスの店が
登場します。そのパイオニアは、東京・青山の青果店、紀ノ国屋2代目として
働いていた、増井徳男です。
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