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遅咲きの安倍晴明が千年の時を経ても輝く星の力伝説を生んだ
2021年04月25日 (日) | 編集 |
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不思議な呪文で人を消し去り… 鬼を意のままに操る…。

その正体は… 平安時代のスーパーヒーロー、陰陽師 ・ 安倍晴明 。

映画やドラマでは、超能力者のように描かれて来ました。

しかしその実像は国の陰陽寮という天文や暦を担当する部署の役人でした。

“これは、格子月進図という、安倍家に伝わっている史料です”

安倍晴明は、詳細に星々の動きを観測する天文学者のような役割を果たして
いたのです。

“星の位置に対しては、かなり正確な図だなという風に、見て取れます”

でも、どんな目的のために、天体観測を行っていたのか?

それは、星の動きをもとにした占い… 占星術です。

“天の世界、星の世界が、どういう風に人間に影響を与えて行くのか?”

“それを、天文占星術は読み取って行くわけですよね”

安倍晴明は、優れた天文知識をよりどころに、占いや儀式を行う天皇や貴族
にとって欠かせない存在だったのです。

更に最近の研究から、有力貴族と手を組み政治を動かした様子さえ、浮かび
上がって来ました。

晴明は、いかに星の世界と関わり、超人的なイメージを築き上げたのか?

いにしえの天文学者、安倍晴明。 その知られざる実像に迫ります。

天皇直属の陰陽師となった、晴明。 この時、すでに、60代になっていました。

しかし晴明は、ここから新たな術を生み出し、超人的なイメージを築いて行き
ます。 その裏には、やはり、星々との深い結び付きがありました。

永祚元年(989年)。  幼い一条天皇に、異変が起こります。

突如、重い病に見舞われたのです。

天皇に、万が一の事があれば、自らの立場が危うくなる。

兼家が頼りにしたのは、晴明でした。


(兼家) 帝の、お具合が、よろしくないのだ。
帝の御身に万が一の事があれば、我が栄華も、これまで。

(晴明) 冥府の神に、帝を、お助け下さりますよう、祈願いたしましょう。
前代未聞の手ではございますが、いまだ試みた事ない祈祷をもって、お命を
お救い奉ります。


一条天皇の回復を祈るべく、晴明が編み出した、新たな儀式。

それは… 泰山府君祭(たいざんふくんさい)です。

泰山府君とは、冥府の神のこと。 人の寿命を司る帳簿を持っています。

その神に、帳簿を書き換え、寿命を延ばしてもらうよう、祈願するのです。


(晴明) 病、災厄を退け、帝のお命を長らえんがため、祈り奉る!
冥府の神、何とぞ、我が願いを聞き届けたまえ!
どうか、北宮にあるという亡者の名簿より南簡の生者のそれへと、尊き御名を
移さしめたまえ! ひとえに、祈り奉る!


実は、この祭祀からも、星との関わりが読み取れます。 キーワードは、北宮。

北斗七星の事です。 晴明は新しい儀式に、人々の間で広く信じられていた
北斗信仰を取り入れたのです。

安倍晴明研究の第1人者で、佛教大学歴史学部の教授は、言う。

“北斗信仰とは、星座占いの原型みたいなものですね”

“星の世界と人間がつながっている。 これが陰陽道の基本ですね”

泰山府君祭のおかげもあってか、一条天皇は、後に、公務に復帰。

その後、長きにわたり、晴明との密接な関係が続いて行きます。

更に晴明は、北斗信仰を、別の儀式にも活用しています。

長保2年(1000年)。  晴明、80歳の時。

御所に向かう天皇に先立ち、新たな儀式で道中の邪気を払おうと試みます。

‘天逢(てんぽう)、天内(てんない)、天衝(てんしょう)、天輔、天禽 …’

禹歩(うふ)と呼ばれる作法です。

ポイントは、北斗七星の形を描くように、歩みを進める事。

北斗七星の力を地上にもたらし、邪気を払うのです。

この作法は、安倍家の文書(小反閇作法)に残され、その後、欠かせない儀式
として伝えられて行きました。 次々と、新たな術を繰り出した、晴明。

その活躍は、朝廷の貴族たちの間で高く評価されました。 ‘陰陽の達者なり’

更に、晴明の儀式の評判やウワサは、庶民の間にも広がって行きました。

そして、超能力者のような人物として、語られる事になったのです。

“平安時代時代の末期くらいには、もう、安倍晴明が伝説になって行って、
天文の世界の力というか、摩訶不思議さ、そういうものを極めようとした”

生涯を通して、現役の陰陽師であり続けた、晴明。

しかし、その力をもってしても、老いには、あらがえませんでした。


(晴明) 歳星(木星)は、帝を司る星。 熒惑星(火星)は、時に、戦を起こす星。
彗星は、新たな世へと変わる事を意味する星。 北斗様に、お願い申します。
私は、ずっと長生きをして、星々の真理を探って行きたいのです。


精緻な天体観測と、豊富な知識をもとに活躍し、その後、千年にわたる伝説を
築き上げた、安倍晴明。  寛弘2年(1005年)。 その偉大な生涯を閉じます。

85歳の大往生でした。 晴明の死後、その子孫たちも天文の探究を続けます。

京都市上京区にある、冷泉家時雨亭文庫。

ここに、いにしえの天文現象が、数多く記録されている文書があります。

“明月記です。 国宝ですね”

百人一首の撰者(せんじゃ)、藤原定家(ふじわらのていか)が残した日記、
明月記(めいげつき)。

その中に、晴明の息子、吉昌(よしまさ)に、よるものとされる、観測記録が
あります。   ‘大きな客星が現れた’

客星(きゃくせい)とは、夜空に突然、現れ、消える星の事です。

その痕跡は、現在も南の空に見えるオオカミ座で、観測する事ができます。

SN1006 と呼ばれる、超新星爆発の痕跡です。

超新星爆発とは、星が一生を終える時に起こる現象の事。

この爆発は、観測史上、最も明るいものだったと、考えられています。

晴明の子孫が残した観測記録は、貴重なものとなっているのです。

天体観測に、飽くなき情熱を注いだ、安倍晴明。

その思いは、現代の天文学者にも、受け継がれています。

岡山市浅口市にある京都大学の岡山天文台。

2019年2月。 日本最大の望遠鏡が、観測を始めました。

その名も… せいめい望遠鏡。  安倍晴明にちなんで、名付けられました。

更に、もう1つ、名前の由来となっているものがあります。

“我々が、観測天体として狙っているものがありまして、それは、太陽系外の
惑星なのです。 その星に、生命が、いるかどうか?なわけですね”

千年前の安倍晴明と、系外惑星の生命。

望遠鏡には、2つの せいめい への願いが込められたのです。

“我々も、この望遠鏡で観測した成果というのが千年後にも評価されるような
そういうものを残して行きたいですね”

平安の世に名をはせた、陰陽師・安倍晴明。

そこには星の動きを精緻に読み取るいにしえの天文学者の姿がありました。

国の行く末を占い、時の政治を大きく動かしていたのです。

そして、新たに生み出した儀式は、数々の伝説となりました。

その活躍は、千年の時を経て、今も私たちの心を魅了し続けています。