2021年04月16日 (金) | 編集 |
FC2 トラックバックテーマ:「2020年の個人的流行語大賞は?」
2017年9月15日。 土星探査機カッシーニは、20年に及んだミッションを
終えようとしていました。 午前4時54分、土星の大気圏に突入。
その1分後、探査機からの信号が途絶えます。 ‘ミッション終了を宣言する’
ミッションの最後にカッシーニが挑んだのが、ある大胆な任務です。
土星本体とリングの僅かな隙間にダイブ!
それを、半年間で22回繰り返し、土星を間近で観測するグランド・フィナーレ!
“カッシーニは、前代未聞の観測に挑戦します!”
“人類が、誰も手に入れていないデータを、入手するのです!”
貴重なデータは、世界中の研究者によって、解析されて来ました。
今、その成果が、続々と発表されています。
“グランド・フィナーレの観測は、素晴らしいものでした!”
“データを分析したところ、土星の内部構造やリングの性質について、驚くべき
事実が明らかになったのです!”
自らを犠牲にし、膨大な観測データを残した、探査機カッシーニ。
ミッションを支え続けて来たのは、当初は、まだ珍しかった女性の研究者でした。
子育てに奔走しながら、探査機を開発。 土星の新たな姿を明らかにしました。
更に、次世代の女性研究者を育て、太陽系探査の未来に道を開きました。
“ミッションを立ち上げた時には、まだ生まれていなかった子もいます”
“次の世代を支える若い研究者たちは、カッシーニで、一人前に育ちました”
“彼女たちこそが私たちの遺産をきっと未来へと引き継いでくれる事でしょう”
女性のパイオニアが切り開いた、土星探査ミッション。
その遺産が、新たな太陽系の姿を、描き出そうとしています。
本体への突入にも、詳細な準備が必要でした。
観測した貴重なデータを最後のギリギリの瞬間まで地球に送信するためです。
“大気圏に突入した後も最後の瞬間まで地球にアンテナを向け続ける必要が
ありました。 更に観測と同時に、データを地球に送信しなければなりません”
“ですから、さまざまな機器の担当者と相談して、どのくらいのデータ量なら、
観測して、すぐに送信できるのか?調整する必要が、あったのです”
打ち上げから20年。 ミッション最後の日です。
この信号が消えた時が、探査機の最後です。
ミッションを支えて来た2人も、探査機の最後を見守ります。
探査機は、エンジンを最大限噴射し、姿勢を維持します。
‘信号は、まだ来ている。 30秒経過… 2分経過…’
ついに、信号が途絶えました。 ‘11時55分46秒、信号喪失’
‘信号喪失を確認’ ‘ミッションを終了する… 通信終了…’
若手システム・エンジニアの調整によって、カッシーニは、事前の想定より
40秒も長く持ちこたえました。
最後の瞬間まで、地球にデータを送り続けたのです。
若手のシステム・エンジニアは、言う。
“ずっと、探査機と指令のやり取りをしていたので、信号が途絶えた時、
もう2度と探査機と話しができないんだと思い、とても寂しく思いました”
“しかし同時に任務を達成できて、とても誇らしくもあり、複雑な気持ちでした”
30年前からミッションに携わって来た、統括科学者(博士)。
娘たちも、探査機カッシーニの最後を見届けるため、JPLに集まりました。
土星探査の進展と共に生まれ、成長して来た娘たちは、今、自分の家庭を
築いています。
“カッシーニは、私の40年のキャリアの大半を占めています”
“80年代ミッションが、まだアイデアに過ぎない時から関わり、90年代の開発と
打ち上げを見守り、13年の探査を経た後、最後の瞬間にまで立ち会えた事を
誇りに思います。 カッシーニは、家族の一員です”
“娘の誕生日や結婚式のような、素敵な思い出で、満ち溢れているのです”
カッシーニが、その身を犠牲にして、地球に伝えた貴重なデータ。
それが、私たちの太陽系の理解を、大きく変える事になります。
☆宇宙の街紀行☆
イタリア・ローマ郊外。湖を見下ろす高台に、カトリック教会が運営する科学の
聖地があります。 教会が所有する、広大な敷地。
歴代ローマ教皇の避暑地として、使われて来ました。
その中に、望遠鏡を収めたドームがあります。 バチカン天文台です。
ここの台長は、カトリックの修道士でありながら、惑星科学の博士号を持つ
物理学者です。
“教会が天文台を運営するのは、宗教と科学が対立する考えではなく、
相補(あいおぎな)うものである事を示すためです”
バチカンといえば、地動説を唱えるガリレオを宗教裁判にかけた事で有名です。
イタリアの修道士ジョルダーノ・ブルーノに至っては、火あぶりの刑に処せられ
ました。 (ジョルダーノ・ブルーノ/1548-1600)
地動説を譲らず、異端の烙印を押されたからだと、されています。
しかしそれは、歴史的な事実とは異なると、台長は言います。
教会が天文台を作ったのは、1582年。 ガリレオやブルーノと同じ時代です。
この頃すでに、教会は地動説を受け入れ、それに基づいて暦を改めていたと
いいます。 (グレゴリウス13世/第226代ローマ教皇)
“宗教が科学の敵だという神話が作られたのは、19世紀後半で、政治的な
理由がありました”
“国家を統一する時、イタリア政府がガリレオとブルーノを祭り上げ、教会の
権威を、おとしめようとしたのです”
カトリック教会は、古くから、科学に限らず、あらゆる学問を支えて来ました。
教会は、高等研究機関でもあり、聖職者たちは、それぞれの分野で、トップ
クラスの学者だったのです。
“物理学者のジョルジュ・ルメート(1894-1966)は、アインシュタインの相対性
理論に基づいて、ビッグバン理論を考えました。 彼はカトリックの司祭です”
バチカン天文台の台長は、隕石の専門家です。
あまり脚光を浴びない分野ですが、教会の天文台だからこそ可能な基礎研究
だといいます。
地味な仕事を、20年も続ける事ができたのは、真理に対する信仰があるから
だといいます。
“人間を、科学に向けて突き動かす情熱は、宗教的なものです”
“真理という絶対的な価値を信じなければ、科学は不可能です”
“真理こそが、神なのです”
宗教と科学。 真理の追究という1点で、深くつながっているのです。
2017年9月15日。 土星探査機カッシーニは、20年に及んだミッションを
終えようとしていました。 午前4時54分、土星の大気圏に突入。
その1分後、探査機からの信号が途絶えます。 ‘ミッション終了を宣言する’
ミッションの最後にカッシーニが挑んだのが、ある大胆な任務です。
土星本体とリングの僅かな隙間にダイブ!
それを、半年間で22回繰り返し、土星を間近で観測するグランド・フィナーレ!
“カッシーニは、前代未聞の観測に挑戦します!”
“人類が、誰も手に入れていないデータを、入手するのです!”
貴重なデータは、世界中の研究者によって、解析されて来ました。
今、その成果が、続々と発表されています。
“グランド・フィナーレの観測は、素晴らしいものでした!”
“データを分析したところ、土星の内部構造やリングの性質について、驚くべき
事実が明らかになったのです!”
自らを犠牲にし、膨大な観測データを残した、探査機カッシーニ。
ミッションを支え続けて来たのは、当初は、まだ珍しかった女性の研究者でした。
子育てに奔走しながら、探査機を開発。 土星の新たな姿を明らかにしました。
更に、次世代の女性研究者を育て、太陽系探査の未来に道を開きました。
“ミッションを立ち上げた時には、まだ生まれていなかった子もいます”
“次の世代を支える若い研究者たちは、カッシーニで、一人前に育ちました”
“彼女たちこそが私たちの遺産をきっと未来へと引き継いでくれる事でしょう”
女性のパイオニアが切り開いた、土星探査ミッション。
その遺産が、新たな太陽系の姿を、描き出そうとしています。
本体への突入にも、詳細な準備が必要でした。
観測した貴重なデータを最後のギリギリの瞬間まで地球に送信するためです。
“大気圏に突入した後も最後の瞬間まで地球にアンテナを向け続ける必要が
ありました。 更に観測と同時に、データを地球に送信しなければなりません”
“ですから、さまざまな機器の担当者と相談して、どのくらいのデータ量なら、
観測して、すぐに送信できるのか?調整する必要が、あったのです”
打ち上げから20年。 ミッション最後の日です。
この信号が消えた時が、探査機の最後です。
ミッションを支えて来た2人も、探査機の最後を見守ります。
探査機は、エンジンを最大限噴射し、姿勢を維持します。
‘信号は、まだ来ている。 30秒経過… 2分経過…’
ついに、信号が途絶えました。 ‘11時55分46秒、信号喪失’
‘信号喪失を確認’ ‘ミッションを終了する… 通信終了…’
若手システム・エンジニアの調整によって、カッシーニは、事前の想定より
40秒も長く持ちこたえました。
最後の瞬間まで、地球にデータを送り続けたのです。
若手のシステム・エンジニアは、言う。
“ずっと、探査機と指令のやり取りをしていたので、信号が途絶えた時、
もう2度と探査機と話しができないんだと思い、とても寂しく思いました”
“しかし同時に任務を達成できて、とても誇らしくもあり、複雑な気持ちでした”
30年前からミッションに携わって来た、統括科学者(博士)。
娘たちも、探査機カッシーニの最後を見届けるため、JPLに集まりました。
土星探査の進展と共に生まれ、成長して来た娘たちは、今、自分の家庭を
築いています。
“カッシーニは、私の40年のキャリアの大半を占めています”
“80年代ミッションが、まだアイデアに過ぎない時から関わり、90年代の開発と
打ち上げを見守り、13年の探査を経た後、最後の瞬間にまで立ち会えた事を
誇りに思います。 カッシーニは、家族の一員です”
“娘の誕生日や結婚式のような、素敵な思い出で、満ち溢れているのです”
カッシーニが、その身を犠牲にして、地球に伝えた貴重なデータ。
それが、私たちの太陽系の理解を、大きく変える事になります。
☆宇宙の街紀行☆
イタリア・ローマ郊外。湖を見下ろす高台に、カトリック教会が運営する科学の
聖地があります。 教会が所有する、広大な敷地。
歴代ローマ教皇の避暑地として、使われて来ました。
その中に、望遠鏡を収めたドームがあります。 バチカン天文台です。
ここの台長は、カトリックの修道士でありながら、惑星科学の博士号を持つ
物理学者です。
“教会が天文台を運営するのは、宗教と科学が対立する考えではなく、
相補(あいおぎな)うものである事を示すためです”
バチカンといえば、地動説を唱えるガリレオを宗教裁判にかけた事で有名です。
イタリアの修道士ジョルダーノ・ブルーノに至っては、火あぶりの刑に処せられ
ました。 (ジョルダーノ・ブルーノ/1548-1600)
地動説を譲らず、異端の烙印を押されたからだと、されています。
しかしそれは、歴史的な事実とは異なると、台長は言います。
教会が天文台を作ったのは、1582年。 ガリレオやブルーノと同じ時代です。
この頃すでに、教会は地動説を受け入れ、それに基づいて暦を改めていたと
いいます。 (グレゴリウス13世/第226代ローマ教皇)
“宗教が科学の敵だという神話が作られたのは、19世紀後半で、政治的な
理由がありました”
“国家を統一する時、イタリア政府がガリレオとブルーノを祭り上げ、教会の
権威を、おとしめようとしたのです”
カトリック教会は、古くから、科学に限らず、あらゆる学問を支えて来ました。
教会は、高等研究機関でもあり、聖職者たちは、それぞれの分野で、トップ
クラスの学者だったのです。
“物理学者のジョルジュ・ルメート(1894-1966)は、アインシュタインの相対性
理論に基づいて、ビッグバン理論を考えました。 彼はカトリックの司祭です”
バチカン天文台の台長は、隕石の専門家です。
あまり脚光を浴びない分野ですが、教会の天文台だからこそ可能な基礎研究
だといいます。
地味な仕事を、20年も続ける事ができたのは、真理に対する信仰があるから
だといいます。
“人間を、科学に向けて突き動かす情熱は、宗教的なものです”
“真理という絶対的な価値を信じなければ、科学は不可能です”
“真理こそが、神なのです”
宗教と科学。 真理の追究という1点で、深くつながっているのです。
| ホーム |