2021年04月14日 (水) | 編集 |
FC2トラックバックテーマ:「ついつい気になってしまう他人の行動は?」
2017年9月15日。 土星探査機カッシーニは、20年に及んだミッションを
終えようとしていました。 午前4時54分、土星の大気圏に突入。
その1分後、探査機からの信号が途絶えます。 ‘ミッション終了を宣言する’
ミッションの最後にカッシーニが挑んだのが、ある大胆な任務です。
土星本体とリングの僅かな隙間にダイブ!
それを、半年間で22回繰り返し、土星を間近で観測するグランド・フィナーレ!
“カッシーニは、前代未聞の観測に挑戦します!”
“人類が、誰も手に入れていないデータを、入手するのです!”
貴重なデータは、世界中の研究者によって、解析されて来ました。
今、その成果が、続々と発表されています。
“グランド・フィナーレの観測は、素晴らしいものでした!”
“データを分析したところ、土星の内部構造やリングの性質について、驚くべき
事実が明らかになったのです!”
自らを犠牲にし、膨大な観測データを残した、探査機カッシーニ。
ミッションを支え続けて来たのは、当初は、まだ珍しかった女性の研究者でした。
子育てに奔走しながら、探査機を開発。 土星の新たな姿を明らかにしました。
更に、次世代の女性研究者を育て、太陽系探査の未来に道を開きました。
“ミッションを立ち上げた時には、まだ生まれていなかった子もいます”
“次の世代を支える若い研究者たちは、カッシーニで、一人前に育ちました”
“彼女たちこそが私たちの遺産をきっと未来へと引き継いでくれる事でしょう”
女性のパイオニアが切り開いた、土星探査ミッション。
その遺産が、新たな太陽系の姿を、描き出そうとしています。
17カ国、260人の科学者が参加した、カッシーニ・ミッション。
驚く事に、3人に1人が女性です。 実は、ミッションの中心的役割を担ったのは
女性の科学者と技術者だったのです。
そこには、数々の伝説を作って来た、2人の先駆者がいました。
探査機カッシーニを運用して来た、NASAジェット推進研究所、通称JPLです。
太陽系の全ての惑星に探査機を送って来た、世界で唯一の宇宙機関です。
カッシーニの土星探査ミッションが立ち上がったのは、1988年。
当初からプロジェクトに関わって来た、ミッション統括科学者(博士)です。
ミッションの生みの親の1人として、探査機と共に研究人生を歩んで来ました。
JPLに入ったのは、1977年。 22歳の時です。
まず、探査機ボイジャーのミッションに携わります。
双子の惑星探査機ボイジャー(1号と2号)が打ち上げられたのは、1977年。
木星のあと、土星を通過。 2号は、更に天王星・海王星を探査しました。
“ボイジャーが探査した惑星の中で、私の1番のお気に入りは土星でした”
“とても美しく、ミステリアスなリングがあるからです”
“土星の輪を研究すれば、惑星が、どのように形成されるのかが分かるの
ではないか? とにかく、土星の輪と、恋に落ちてしまったのです”
土星と恋に落ちたのと、ほぼ同じタイミングで、博士は結婚。
自分の家庭を築きます。ボイジャーが土星の観測を終え次の探査に臨むまで
少し時間の余裕が出来たからです。
“ボイジャーが土星を離れたあと、次の目的地、天王星にたどり着くまで、5年
かかります”
“その5年間の空白が、子供を産む絶好のチャンスだと気付いたのです”
博士は、2人の女の子を産みます。
2人が保育園に入り、さほど手がかからなくなってから、博士は、念願の土星
探査に、本格的に取り組み始めます。 1990年、ミッション科学者に就任。
探査機に搭載する観測機器の選定に携わりました。
“カッシーニの開発に関わっている間、娘たちも成長しました”
“探査機の組み立てを見せるために、JPLに連れて行った事もあります”
“打ち上げの時は、学校を休ませてケネディ宇宙センターまで連れて行きました”
ミッションの立ち上げから、ほぼ10年を経た、1997年10月15日。
探査機カッシーニが、打ち上げられました。
“打ち上げは、夜明け前でした”
“ロケットの炎で雲が明るくなったので、爆発したのかと、みんな息をのみました”
“でも、その後、ロケットが再び姿を現したので、みんなホッとしたのです”
打ち上げから半年後、カッシーニは、金星の重力を利用して加速します。
更に1年後、再び金星、そして地球の重力を利用して、更に加速します。
打ち上げから2年、ようやく、太陽系の外側に向けた軌道に乗りました。
打ち上げから3年後、木星の重力で加速。
その4年後の2004年、ついに、土星にたどり着きます。
“カッシーニが打ち上げられた時、2人の娘は、まだ高校生と中学生でした”
“探査機が、土星に向かって旅をする7年の間に、2人とも大学に進学し、
私のもとから巣立って行ったのです”
たどり着いた場所には、博士の予測を、はるかに超える世界が広がっていま
した。 リングが氷の集まりである事を、初めて直接、観測しました。
小さいもので砂粒ほど。 大きなものでは、山ほどにもなります。
土星を周回する、大小さまざまな衛星の探査では、新たな事実を明らかに
します。 その1つが、土星最大の衛星タイタン。
なんと北極に、メタンやエタンの海が広がっていたのです。
地球以外で、表面に液体が存在する天体が、初めて確認されました。
表面に投入された探査機ホイヘンスは、メタンが蒸発と凝縮を繰り返して雨と
なって降り注ぎ、循環している事を突き止めました。
“地球そっくりの世界を、初めて目撃しました”
“川が流れ込み、湖が出来ていたのです”
驚きは、もう1つありました。 衛星エンケラドスです。
氷の表面から、液体の水が噴出している事を確認。
氷の下に、生命を育みうる水の海が広がっている事を、明らかにしたのです。
当初、10年の予定だったミッションは、2回の延長を経て、20年になりました。
“土星は、多様性に満ち溢れていました”
“ボイジャーが発見した多くの謎に、カッシーニは答えを見い出したのです”
“それだけではありません。 更に多くの新たな謎を生み出しました”
ミッション終了が視野に入って来た、2014年6月。
ある大胆な計画が、発表されました。
土星とリングの僅かな隙間に、探査機を投入。
それを、22回にわたって繰り返す、グランド・フィナーレです。
“前例のない、全く新しいミッションです!”
“この方法であれば、観測不可能だったデータを手に入れる事ができます!”
“このグランド・フィナーレが20年のミッションで最も素晴らしい発見につながる
可能性を秘めています!”
2017年9月15日。 土星探査機カッシーニは、20年に及んだミッションを
終えようとしていました。 午前4時54分、土星の大気圏に突入。
その1分後、探査機からの信号が途絶えます。 ‘ミッション終了を宣言する’
ミッションの最後にカッシーニが挑んだのが、ある大胆な任務です。
土星本体とリングの僅かな隙間にダイブ!
それを、半年間で22回繰り返し、土星を間近で観測するグランド・フィナーレ!
“カッシーニは、前代未聞の観測に挑戦します!”
“人類が、誰も手に入れていないデータを、入手するのです!”
貴重なデータは、世界中の研究者によって、解析されて来ました。
今、その成果が、続々と発表されています。
“グランド・フィナーレの観測は、素晴らしいものでした!”
“データを分析したところ、土星の内部構造やリングの性質について、驚くべき
事実が明らかになったのです!”
自らを犠牲にし、膨大な観測データを残した、探査機カッシーニ。
ミッションを支え続けて来たのは、当初は、まだ珍しかった女性の研究者でした。
子育てに奔走しながら、探査機を開発。 土星の新たな姿を明らかにしました。
更に、次世代の女性研究者を育て、太陽系探査の未来に道を開きました。
“ミッションを立ち上げた時には、まだ生まれていなかった子もいます”
“次の世代を支える若い研究者たちは、カッシーニで、一人前に育ちました”
“彼女たちこそが私たちの遺産をきっと未来へと引き継いでくれる事でしょう”
女性のパイオニアが切り開いた、土星探査ミッション。
その遺産が、新たな太陽系の姿を、描き出そうとしています。
17カ国、260人の科学者が参加した、カッシーニ・ミッション。
驚く事に、3人に1人が女性です。 実は、ミッションの中心的役割を担ったのは
女性の科学者と技術者だったのです。
そこには、数々の伝説を作って来た、2人の先駆者がいました。
探査機カッシーニを運用して来た、NASAジェット推進研究所、通称JPLです。
太陽系の全ての惑星に探査機を送って来た、世界で唯一の宇宙機関です。
カッシーニの土星探査ミッションが立ち上がったのは、1988年。
当初からプロジェクトに関わって来た、ミッション統括科学者(博士)です。
ミッションの生みの親の1人として、探査機と共に研究人生を歩んで来ました。
JPLに入ったのは、1977年。 22歳の時です。
まず、探査機ボイジャーのミッションに携わります。
双子の惑星探査機ボイジャー(1号と2号)が打ち上げられたのは、1977年。
木星のあと、土星を通過。 2号は、更に天王星・海王星を探査しました。
“ボイジャーが探査した惑星の中で、私の1番のお気に入りは土星でした”
“とても美しく、ミステリアスなリングがあるからです”
“土星の輪を研究すれば、惑星が、どのように形成されるのかが分かるの
ではないか? とにかく、土星の輪と、恋に落ちてしまったのです”
土星と恋に落ちたのと、ほぼ同じタイミングで、博士は結婚。
自分の家庭を築きます。ボイジャーが土星の観測を終え次の探査に臨むまで
少し時間の余裕が出来たからです。
“ボイジャーが土星を離れたあと、次の目的地、天王星にたどり着くまで、5年
かかります”
“その5年間の空白が、子供を産む絶好のチャンスだと気付いたのです”
博士は、2人の女の子を産みます。
2人が保育園に入り、さほど手がかからなくなってから、博士は、念願の土星
探査に、本格的に取り組み始めます。 1990年、ミッション科学者に就任。
探査機に搭載する観測機器の選定に携わりました。
“カッシーニの開発に関わっている間、娘たちも成長しました”
“探査機の組み立てを見せるために、JPLに連れて行った事もあります”
“打ち上げの時は、学校を休ませてケネディ宇宙センターまで連れて行きました”
ミッションの立ち上げから、ほぼ10年を経た、1997年10月15日。
探査機カッシーニが、打ち上げられました。
“打ち上げは、夜明け前でした”
“ロケットの炎で雲が明るくなったので、爆発したのかと、みんな息をのみました”
“でも、その後、ロケットが再び姿を現したので、みんなホッとしたのです”
打ち上げから半年後、カッシーニは、金星の重力を利用して加速します。
更に1年後、再び金星、そして地球の重力を利用して、更に加速します。
打ち上げから2年、ようやく、太陽系の外側に向けた軌道に乗りました。
打ち上げから3年後、木星の重力で加速。
その4年後の2004年、ついに、土星にたどり着きます。
“カッシーニが打ち上げられた時、2人の娘は、まだ高校生と中学生でした”
“探査機が、土星に向かって旅をする7年の間に、2人とも大学に進学し、
私のもとから巣立って行ったのです”
たどり着いた場所には、博士の予測を、はるかに超える世界が広がっていま
した。 リングが氷の集まりである事を、初めて直接、観測しました。
小さいもので砂粒ほど。 大きなものでは、山ほどにもなります。
土星を周回する、大小さまざまな衛星の探査では、新たな事実を明らかに
します。 その1つが、土星最大の衛星タイタン。
なんと北極に、メタンやエタンの海が広がっていたのです。
地球以外で、表面に液体が存在する天体が、初めて確認されました。
表面に投入された探査機ホイヘンスは、メタンが蒸発と凝縮を繰り返して雨と
なって降り注ぎ、循環している事を突き止めました。
“地球そっくりの世界を、初めて目撃しました”
“川が流れ込み、湖が出来ていたのです”
驚きは、もう1つありました。 衛星エンケラドスです。
氷の表面から、液体の水が噴出している事を確認。
氷の下に、生命を育みうる水の海が広がっている事を、明らかにしたのです。
当初、10年の予定だったミッションは、2回の延長を経て、20年になりました。
“土星は、多様性に満ち溢れていました”
“ボイジャーが発見した多くの謎に、カッシーニは答えを見い出したのです”
“それだけではありません。 更に多くの新たな謎を生み出しました”
ミッション終了が視野に入って来た、2014年6月。
ある大胆な計画が、発表されました。
土星とリングの僅かな隙間に、探査機を投入。
それを、22回にわたって繰り返す、グランド・フィナーレです。
“前例のない、全く新しいミッションです!”
“この方法であれば、観測不可能だったデータを手に入れる事ができます!”
“このグランド・フィナーレが20年のミッションで最も素晴らしい発見につながる
可能性を秘めています!”
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