2021年03月21日 (日) | 編集 |
FC2 トラックバックテーマ:「子どもの頃に信じていたこと」
中東ヨルダンの世界遺産ペトラ。 砂漠の岩山に佇む、古代都市の遺跡です。
2000年以上前、アラビアの遊牧民、ナバテア人によって築かれました。
“驚きに満ちた場所です。 色彩が素晴らしい! まるで別世界です!”
岩から削り出された正面の景観は、映画の撮影場所としても有名です!
260平方キロメートルの面積に、850以上の建造物が点在し、都市の全貌は
謎に包まれています。
“巨大なパズルのようです。 見えているのは、ほんの一部です!”
ペトラ遺跡は、200年前、スイスの探検家によって再発見されました。
今も、考古学者たちが、謎の巨大都市の解明に取り組んでいます。
“鮮明な写真が必要ですね” 調査には最新の科学ツールが欠かせません。
“テクノロジーで、古代の建造技術を検証します”
紀元前1世紀に隆盛を極めたペトラ。
最先端の技術で、黄金時代の姿が、よみがえります。
“ペトラは、繁栄の象徴でした。 古代のラスベガスです!”
“噴水や泉が街にあふれ、有り余る富を見せつけました”
広大な砂漠に立ち並ぶ、膨大な数の建造物。
最初に調査するのは、最も有名なエル・ハズネです。
“圧倒されます。 建物全体が、岩から削り出されているのですから…”
ナバテア人は、どのような技術を駆使して、巨大な建造物を造り上げたのか?
砂漠で、いかにして水源を見つけ、高度な水道システムを構築したのか?
“ペトラの最大の秘密は、水です!”
“ナバテア人が最も得意としたのは、水を管理する技術でした”
最新の研究から、古代都市ペトラの秘められた真実を解き明かします!
エル・ハズネの設計図は見つかっていませんが、綿密な建造プランがあった
事は間違いありません。
建築家は、言う。 “ナバテア人は、建造物の仕上がりを予測し、全体像を
岩の中に描きました。完成形を見通して、計画を立てる能力に驚かされます”
古代の職人たちは、建造過程の痕跡を、全て消し去りました。
それでも、上から下へ作業を進めた証拠が、エル・ハズネのすぐ側で、見つ
かっています。 19世紀に発見された階段です。
建造現場へ向かう通路と、みられます。
しかし、建物の強度を測る技術がなかった時代に、なぜ、崩落しない巨大な
建造物を造る事ができたのでしょうか?
エル・ハズネが立つのは、何百トンもある岩の塊の下です。
とてつもない岩の重みに、建造物が耐えられるという確証を、ナバテア人は、
どのようにして得たのでしょうか?
考古学者は言う。 “建築において重要な事は、建物の高い位置にかかる
負荷を、地面へと逃がす事です”
“エル・ハズネの場合も、彫刻を見る限りでは、各部分の負荷が円柱を通して
地面へ移っているようです”
一見すると、ファサードを支えているのは、6本の円柱であるように見えます。
しかし、19世紀の銅版画を見ると… 円柱が1本、折れています。
1960年代まで修復されませんでしたが、それでも、建物が崩壊した事は
ありません。
3Dモデルによる分析でエル・ハズネを支えている構造が明らかになりました。
円柱の上にある梁は、崖に彫り込まれています。
外側の4本の円柱も同様です。
つまり、総重量の大半を支えているのはファサードではなく、岩の壁そのもの
なのです。 エル・ハズネの内部にも、秘密がありました。
特別な許可を得て、調査を行います。
内部には、外観から想像するような華々しさは、ありません。
ペトラ遺跡公園のキュレーターは、言う。
“外側は壮大ですが、内部は、小さな部屋になっています”
高さ10メートルのメインの部屋と、3つの小部屋が、つながっています。
シンプルな構成の内部と、豪華な造りのファサード。
ナバテア人が構造力学を理解し、崩壊の危険性を計算していた証拠です。
考古学者は言う。 “建造物にかかる負荷を地面に逃がすために、三角形の
構造を、うまく利用しています”
“岩の壁を内側に削り過ぎると、ファサードもろとも崩壊してしまう事を、
あらかじめ理解していたのです”
建築家は、言う。 “部屋は、小さく造られています”
“岩を、くり抜いているので、天井が広くなり過ぎると、空間を支えきれなくなる
からです”
内部の造りがシンプルなため、エル・ハズネの役割については、さまざまな
説が唱えられて来ました。
建築家は、言う。 “お墓や、葬祭殿だとする見方もあります”
“しかし、建てられた場所やスケールから考えると、王のために造られたもの
でしょう”
人々を圧倒する存在感で、ペトラの入り口にそびえるエル・ハズネ。
頑丈な崖に支えられ、2000年以上も、壮麗な姿を保っています。
何世紀にもわたり、ペトラは、度重なる危機を耐え抜いて来ました。
とりわけ深刻だったのは、砂漠では、想定外の自然災害でした。
考古学者は、言う。 “この青空からは、一面、雲に覆われる冬のペトラを
想像できないでしょう”
10月から1月にかけ、ペトラは、しばしば、突然の豪雨に見舞われます。
考古学者は、言う。 “大雨による最大の危険は、鉄砲水の発生です”
豪雨が発生すると、雨は岩の割れ目から、谷間のシークへと流れ込みます。
シークは濁流の通り道となり、街全体を脅かすのです。
考古学者は、言う。 “ここ12年で大水害が2度、起こりました”
“シークからペトラの中心部へ水が流れ込み大きな岩が押し流されたのです”
“緊急避難が必要でした”
2018年11月には、大規模な地滑りが発生し、4000人の観光客が避難を余儀
なくされました。
古代のナバテア人は、どのようにして、水害に対処したのでしょうか?
答えは、シークに隠されています。
歴史家は言う。 “シークは古代都市ペトラで、最も、ぜい弱なポイントでした”
“ですから、ナバテア人たちは、まず、シークを崩壊から守らなければ、なりま
せんでした”
19世紀に行われた最初の発掘で、興味深い通路が発見されました。
幅3メートル、高さ5メートルのトンネルです。
中東ヨルダンの世界遺産ペトラ。 砂漠の岩山に佇む、古代都市の遺跡です。
2000年以上前、アラビアの遊牧民、ナバテア人によって築かれました。
“驚きに満ちた場所です。 色彩が素晴らしい! まるで別世界です!”
岩から削り出された正面の景観は、映画の撮影場所としても有名です!
260平方キロメートルの面積に、850以上の建造物が点在し、都市の全貌は
謎に包まれています。
“巨大なパズルのようです。 見えているのは、ほんの一部です!”
ペトラ遺跡は、200年前、スイスの探検家によって再発見されました。
今も、考古学者たちが、謎の巨大都市の解明に取り組んでいます。
“鮮明な写真が必要ですね” 調査には最新の科学ツールが欠かせません。
“テクノロジーで、古代の建造技術を検証します”
紀元前1世紀に隆盛を極めたペトラ。
最先端の技術で、黄金時代の姿が、よみがえります。
“ペトラは、繁栄の象徴でした。 古代のラスベガスです!”
“噴水や泉が街にあふれ、有り余る富を見せつけました”
広大な砂漠に立ち並ぶ、膨大な数の建造物。
最初に調査するのは、最も有名なエル・ハズネです。
“圧倒されます。 建物全体が、岩から削り出されているのですから…”
ナバテア人は、どのような技術を駆使して、巨大な建造物を造り上げたのか?
砂漠で、いかにして水源を見つけ、高度な水道システムを構築したのか?
“ペトラの最大の秘密は、水です!”
“ナバテア人が最も得意としたのは、水を管理する技術でした”
最新の研究から、古代都市ペトラの秘められた真実を解き明かします!
エル・ハズネの設計図は見つかっていませんが、綿密な建造プランがあった
事は間違いありません。
建築家は、言う。 “ナバテア人は、建造物の仕上がりを予測し、全体像を
岩の中に描きました。完成形を見通して、計画を立てる能力に驚かされます”
古代の職人たちは、建造過程の痕跡を、全て消し去りました。
それでも、上から下へ作業を進めた証拠が、エル・ハズネのすぐ側で、見つ
かっています。 19世紀に発見された階段です。
建造現場へ向かう通路と、みられます。
しかし、建物の強度を測る技術がなかった時代に、なぜ、崩落しない巨大な
建造物を造る事ができたのでしょうか?
エル・ハズネが立つのは、何百トンもある岩の塊の下です。
とてつもない岩の重みに、建造物が耐えられるという確証を、ナバテア人は、
どのようにして得たのでしょうか?
考古学者は言う。 “建築において重要な事は、建物の高い位置にかかる
負荷を、地面へと逃がす事です”
“エル・ハズネの場合も、彫刻を見る限りでは、各部分の負荷が円柱を通して
地面へ移っているようです”
一見すると、ファサードを支えているのは、6本の円柱であるように見えます。
しかし、19世紀の銅版画を見ると… 円柱が1本、折れています。
1960年代まで修復されませんでしたが、それでも、建物が崩壊した事は
ありません。
3Dモデルによる分析でエル・ハズネを支えている構造が明らかになりました。
円柱の上にある梁は、崖に彫り込まれています。
外側の4本の円柱も同様です。
つまり、総重量の大半を支えているのはファサードではなく、岩の壁そのもの
なのです。 エル・ハズネの内部にも、秘密がありました。
特別な許可を得て、調査を行います。
内部には、外観から想像するような華々しさは、ありません。
ペトラ遺跡公園のキュレーターは、言う。
“外側は壮大ですが、内部は、小さな部屋になっています”
高さ10メートルのメインの部屋と、3つの小部屋が、つながっています。
シンプルな構成の内部と、豪華な造りのファサード。
ナバテア人が構造力学を理解し、崩壊の危険性を計算していた証拠です。
考古学者は言う。 “建造物にかかる負荷を地面に逃がすために、三角形の
構造を、うまく利用しています”
“岩の壁を内側に削り過ぎると、ファサードもろとも崩壊してしまう事を、
あらかじめ理解していたのです”
建築家は、言う。 “部屋は、小さく造られています”
“岩を、くり抜いているので、天井が広くなり過ぎると、空間を支えきれなくなる
からです”
内部の造りがシンプルなため、エル・ハズネの役割については、さまざまな
説が唱えられて来ました。
建築家は、言う。 “お墓や、葬祭殿だとする見方もあります”
“しかし、建てられた場所やスケールから考えると、王のために造られたもの
でしょう”
人々を圧倒する存在感で、ペトラの入り口にそびえるエル・ハズネ。
頑丈な崖に支えられ、2000年以上も、壮麗な姿を保っています。
何世紀にもわたり、ペトラは、度重なる危機を耐え抜いて来ました。
とりわけ深刻だったのは、砂漠では、想定外の自然災害でした。
考古学者は、言う。 “この青空からは、一面、雲に覆われる冬のペトラを
想像できないでしょう”
10月から1月にかけ、ペトラは、しばしば、突然の豪雨に見舞われます。
考古学者は、言う。 “大雨による最大の危険は、鉄砲水の発生です”
豪雨が発生すると、雨は岩の割れ目から、谷間のシークへと流れ込みます。
シークは濁流の通り道となり、街全体を脅かすのです。
考古学者は、言う。 “ここ12年で大水害が2度、起こりました”
“シークからペトラの中心部へ水が流れ込み大きな岩が押し流されたのです”
“緊急避難が必要でした”
2018年11月には、大規模な地滑りが発生し、4000人の観光客が避難を余儀
なくされました。
古代のナバテア人は、どのようにして、水害に対処したのでしょうか?
答えは、シークに隠されています。
歴史家は言う。 “シークは古代都市ペトラで、最も、ぜい弱なポイントでした”
“ですから、ナバテア人たちは、まず、シークを崩壊から守らなければ、なりま
せんでした”
19世紀に行われた最初の発掘で、興味深い通路が発見されました。
幅3メートル、高さ5メートルのトンネルです。
| ホーム |