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巨大な絵を描く事がアンデスの共通の文化になったのか?
2021年03月04日 (木) | 編集 |
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目の前に広がるのは、南米ペルーのナスカ台地。

そう、あの巨大な地上絵で有名な、ナスカだ!

こちらは、ジャングルに立つピラミッド。

中米グアテマラにある、マヤ文明のものだ。

古代文明の謎に魅せられた人々を巡ると、一体、何が見えて来るのか?

知りたいのは、古代の文明を生きていた人々の心。

その心を求めて、古代への旅が始まる。

アメリカ大陸に栄えた、2つの古代文明。

中米のマヤ文明と、南米のアンデス文明。

謎多き異形の文明、遺された品々は… 何を物語るのか?

それは生きた証。  生きようという志。

アンデス文明では、各地に神殿が建てられ、ミイラを作る風習がありました。

しかし、文字がなかったため、最も謎に満ちた文明ともいわれています。

アンデスの遺跡は、どんな素顔を見せてくれるのでしょうか?

そしてナスカの地上絵は、何を、私たちに伝えようとしているのでしょうか?

リャマは、ペルーで最もポピュラーな、ラクダ科の動物です。

こちらは、山の斜面に造られた、オリャンタイタンボという遺跡です。

インカ帝国時代のものだと、いいます。

さて、どこが、動物の形となっているでしょうか?

頭が、ここで、尻尾が、ここ! やはり、リャマの形をしています。

しかしこちらは、もう1頭、左側に、子供のリャマが隠れているといいます。

研究者が描いたイラストを重ねてみると、このように見えるというのです。

こうした例が重なった結果、巨大な絵を描く事が、アンデスの共通の文化に
なっていたのではなかい? という可能性が浮かび上がりました。

それが、アンデス文明に、文字がない理由の1つではないか?

ナスカより古い時代は、どうだったのでしょうか?

ナスカから850キロメートル離れた地方にある、セロ・セチン遺跡には、壁に
絵が刻まれていました。 人の首のデザイン。

こちらの方が、1000年以上、古いものでした。

アンデス文明発祥の地ともいわれるカラル遺跡では、そのすぐ側に人の首の
地上絵が見つかりました。

アンデス文明の始まりとともに、巨大な絵を描くという伝統が始まり、連綿と
受け継がれていたのです。 それが、文字の代わりだったのでしょうか?

更に、最近になって、もう1つ、共通している文化だと注目されているのが、
ナスカに多く描かれた直線。 これも、ナスカだけではなかったのです。

インカ帝国の首都、クスコ。

この街にも、特別な意味を持った線が、引かれているというのです。

クスコの歴史を研究している専門家に、会いに行きました。

待ち合わせたのは、中心部にある太陽神殿という建物。

こちらは、ペルー文化省の歴史家です。

この太陽神殿は、ピューマの形のヘソの部分にあり、インカ帝国時代、最も
重要な宗教施設でした。 その高い塔に、上らせてもらいまた。

暗く、秘密めいた階段を上ります。

“私たちは、今、インカ時代の太陽神殿が建て増しされた、塔の1番高い所に
来ています”

“征服したスペイン人の記録によれば、ここからたくさんの線が延びており、
その上にワカと呼ばれる聖なる施設が置かれていました”

“線の延びている方向は、さまざまなでした”

“こっちにも、あっちにも、延びていたのです。 あらゆる方向だったのです”

アメリカの研究者が、街に残っている痕跡から、その線を再現しました。

これは、そのうちの2本。(クスコの線についての研究書より)

太陽神殿から、北西に延びたものです。

この線の上の記号が、聖なる施設ワカがあった場所です。

今もクスコの街には、いくつかのワカが残っています。

この平らに削った場所で、礼拝などを行ったといいます。

そのワカを、直線上に並べたのです。 聖なる場所を、直線に置いたクスコ。

それは、ナスカと似ています。

ナスカの線も、巡礼の時に歩くルートだったという説がありました。

ナビゲーターは、言う。   どうなのでしょうね…。

分からないけど、ナスカは一応、地上絵の意味合いとか、自然に対する…。

神様に対する巡礼とか儀礼的な意味があったのではないかという事で言うと
こっちは、すごい雨も降るし、多分、ナスカより若干、住みやすいのかな…。

て事で言うと、違う意味合いで使われていたような気がしますけど…。

どうなのでしょうね…。 分からないですね…。 まぁ、先生も言ってましたよね。

やればやるほど、分からない事が増えて行くって…。

街と街を結んでいた線。

それは、同じ文化に生きているという、つながりを示していたのでしょうか?

アンデス文明を巡る旅も、いよいよ最後の目的地を残す事となりました。

この駅(オリャンタイタンボ)から、列車で1時間半の道のりを行きます。

ナビゲーターは電車に揺られながら質問をしては窓の外を見入っていました。

終点の駅から先は、バスに乗り換えます。

目指す目的地は、標高2430メートル。 断崖絶壁を上って行きます。

遺跡の入り口に到着しました。 この先が、マチュピチュです。

すごい、たくさん人がいますね…。     あと10分で、憧れの場所!

子供の頃から、ずっと来たかったという理由は、自分が住む場所とは全く違う
世界を見たいという、憧れだったといいます。

インカ時代の姿を、最もよく伝える、秘境の都市、マチュピチュ。

旅のゴールは、やはり、ここがふさわしく思います。

長く忘れられていた村は、1911年、アメリカの考古学者ハイラム・ビンガムが
再発見しました。 その時、全ては、草木に覆われていました。

時が止まったかのような、マチュピチュ。

いわば、アンデス文明のタイムカプセルです!

しかし、文字の記録は、一切ありません。

普通に山の上ですよ。 きっと、ここにもたくさん木があったのですかね…。

それを、わざわざ、こういう都市に作り変えて、住んでいたのですね。

今は、物言わぬ街を眺めて、想像するしかありません。