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戦争をせず交易で栄えた祈りと音楽に満ちた古代アンデス文明
2021年02月23日 (火) | 編集 |
第2141回「おすすめの旅行術は?」
カラルやアスペロの人々は、生活の中で、様々な技術を編み出していました。

その1つが、食料の貯蔵庫です。

地面に穴を掘り、温度変化の少ない地中に、塩漬けにしたイワシなどを保存
しました。 土器を持たなかった彼らは、独特の方法で煮炊きをしていました。

それがこの穴です。穴には何やら焦げた跡があります。一体、何でしょうか?

考古学者は、言う。

“人々は、この場所を使って穴を掘り、石を置き、それを火で温めました”

“そこに食料を置いて、煮炊きをしたのです”

“彼らは、現在、私たちが、パチャマンカと呼んでいる食べ物を、調理していた
のです”

今も続けられているという、穴を使った古代の料理、パチャマンカ。

一体、どんなものなのでしょうか?

カラル遺跡から500メートルほど離れたところにある、カラル村です。

村では、今もパチャマンカ料理が、行われているそうです。

パチャマンカ料理を作ってくれるのは、カラル遺跡で働く、ココさん。

“パチャマンカは、クリスマスに作るものなんだ!”

パチャマンカは、土に穴を掘って、そこで調理を行うアンデスの伝統料理。

今でも、イベントや祝い事など行事の際に作られ、ペルーの人々に愛されて
います。 パチャマンカは、お父さんが中心になって作る料理。

“スコップだと、なかなか進まないよ!”

およそ2時間半で、穴の深さは、80センチにまで達しました。

休む間もなく、次の準備に取りかかります。

薪を1時間以上燃やして、穴の温度が上がったところで、河原から持って来た
石を投入!  しばらく熱します。

その間、奥さんたちがメインディッシュの鶏や牛、豚の肉の下ごしらえ。

味の決め手は、チンチョと呼ばれる青野菜。

スープが緑色をしていたのは、このチンチョだったのです。

漬け込んだお肉を、バナナの葉で、包むように巻いて行きます。

もちろん、その間も、火の状態は、絶えずチェック!

そして、最も危険な作業に取りかかります。

数百度にまで熱せられた石を、一旦、穴から取り出すのです!

熱さとの闘いです。    “早く水を持って来てくれ! 水をかけてくれ!”

“俺の腕にだよ! 絶対、石に水をかけるな!”

いよいよ、穴に食材を入れます。 ここで、熱した石!

お肉の他に、ジャガイモやトウモロコシなども入れます。

石が冷めないよう、とにかくスピーディーに作業を進めます。

蓋をして、およそ1時間半。

バナナの葉を開くと… 美味しく蒸らされた、熱々のお肉!

パチャマンカ料理の出来上がり ♪   “やわらかくて、とっても美味しいよ!”

1度に大量のごちそうを作れるパチャマンカ。

大家族が集まって食事していた、古代の様子が浮かんで来ます。

平和な社会で生活を楽しんでいた、カラルの人たち。

彼らの面影をしのばせるのが、たくさんの土偶です。

土偶は、焼かれていない粘土で、作られていました。

神殿更新をする際、ささげ物として埋められたものです。

当時の人たちの身なりや髪形を、うかがわせてくれます。

考古学者は言う。 “土偶に描かれた線や模様から髪形や衣服が分かります”

“更に、顔つき、しぐさなども推測できます”

個性的な髪形にカラフルな装束。 意外にオシャレだったのかも知れません。

発掘チームは、これらの土偶をもとに、数千年の時を超える、ある試みに挑戦
しました。 それには、大ピラミッドから発見された遺骨の頭部も使われました。

更に、地元に住んでいる17歳から27歳の顔の特徴を参考にして、カラルの
民の顔を復元したのです。 アンデス特有の、りりしい顔つき。

髪はセンターから分けられ、左右で結んでいます。

後頭部の髪は、少しずつ髪を束ね、三つ編みにしていました。

なぜか、頭頂部は、短く刈り込んでいます。

カラルの人は、髪形にも気を遣っていたようですね!

彼らが身にまとっていたものも、見つかっています。

綿で作られたドレス。 繊細な作りです。 綿で作られたサンダル。

身なりを整えるクシも見つかりました。

クシの歯には、サボテンのトゲが使われていました。

豊かな文化を育んだ、古代アンデス文明。

その実像の解明は、まだ始まったばかりです。

ベンタロン遺跡では、周辺部に埋もれた、別の神殿の発掘に取りかかって
います。

ベンタロン遺跡の発掘をしている考古学者は、言う。

“私たちが平気で踏み締めている場所、何トンもの砂に覆われていますが、
ここも都市の一部だったのです”

“この砂の4~5メートル下に、これまで見た神殿と同じ時代の、非常に古い
建造物が埋もれています”

砂の下には、まだまだ、知られざる神殿が埋もれているはずです。

ベンタロン遺跡の北東部で、絵が描かれた石が見つかっています。

並べて立てられた、石に残された、岩絵。

円と四角、そして、不思議な線が認められます。

文字を持たないベンタロンの人々は、この絵で何を語ろうとしたのでしょう?

“岩絵は、男と女、太陽と月、天と地を表しています”

“四角は大地を表し、円は天体や動きを表しています”

石は、神殿を望む丘の上に、1列に並べて立てられていました。

“石は、南西の方向に向かって、並べられています”

“その先にはチャカーナがあり、更に、その先には、海があるのです”

なぜ、彼らは、ここに岩絵を残したのか?

その謎は、今後の研究に委ねられています。

1000年以上にわたって繁栄し続けた、古代アンデス文明のベンタロン。

終わりは、突然、やって来ました。

紀元前1800年ごろを最後に、人の暮らしの痕跡は見られなくなり、人々は
姿を消したと思われます。

そしてカラルもまた、時同じく、紀元前1800年ごろを最後に、使われなくなった
ようです。 一体、何があったのでしょうか?

発掘調査を指揮する、ペルー・サンマルコス大学の考古学者は、言う。

“エルニーニョより、もっと大きな気象変動が起きたに違いありません”

“山から海に向かって土石流が起き、海岸地帯にまで泥が流されたのです”

“更に風によって、たまった泥が飛ばされ、海岸から離れたカラルにまで届き
ました 。 そして、畑を覆ってしまったのでしょう”

博士によると、紀元前1800年ごろ、異常気象が続き、カラルは砂に埋もれて
しまったといいます。 そこにいた人々が、どうなったのかは、謎のままです。

同じ事が、ベンタロンでも起こったと、見られています。

遺跡に積もった砂が、全てを物語っています。

高度な技術を培いながら、自然に宿る神々に見守られ、その恵みに感謝して
暮らしたカラルやベンタロンの人たち。

そこで育まれた豊かな文化はその後のアンデスに引き継がれて行きました。

戦争をせず、交易で栄えた、祈りと音楽に満ちた社会。

古代アンデス文明の姿は、文明が、どのようなものであり得るのか?

その可能性を、私たちに教えてくれています。