2021年02月03日 (水) | 編集 |
FC2 トラックバックテーマ:「小さなものから大きなものまで!なにか才能はありますか?」
さて、ここで、ストーンヘンジが長い時間を経て、どう変身したのか?
おさらいしましょう!
今から5000年前の紀元前3000年には、ストーンヘンジは今よりも小柄な石を
円く並べただけでした。 見た目は、とってもシンプル。
そのストーンヘンジが、巨大なモニュメントに姿を変えたのは、それから
500年後の紀元前2500年頃と、いわれています。
一体、この500年の間に、何があったのでしょうか?
いよいよ、ストーンヘンジ最大の不思議、巨大化の秘密に迫ります!
ストーンヘンジは、なぜ、巨大な姿に様変わりしたのか?
近年、このミステリーを紐解く大発見がありました。
現場は、ストーンヘンジから3キロ離れた、ダリントン・ウォールズ。
ここにはストーンヘンジを建設した古代ブリトン人が築いた集落がありました。
発掘調査に当たった研究者を驚かせたのは、1000頭以上の家畜の骨が
見つかった事でした。
その数から、最大で1000世帯、4000人が、この集落で暮らしていたことが
明らかになったのです。
更に見つかった骨を科学的に分析した結果、家畜の生育地がイギリス各地に
散らばっていた事が判明します。
つまり、イギリス中の古代ブリトン人が家畜を連れ集まっていたというのです。
でも、なぜ、そんなに大勢が、1つの場所に集中していたのでしょうか?
ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジの考古学者は、言う。
“彼らが集まった目的は、ストーンヘンジの建設に間違いないでしょう”
“その大事業は、イギリス中の人々を、1つに結び付けるために行なわれたと
言っても過言ではないのです”
ストーンヘンジの建設が、人々を結び付けるために行なわれた…。
一体、どういう事でしょうか?
そこには、太陽を崇拝してやまない古代ブリトン人を襲った悲劇がありました。
“ストーンヘンジが巨大化する前の時期…古代ブリトン人たちは、かつてない
苦難に直面していました”
“彼らが生きる糧としいた農業が、全く、うまく行っていなかったのです”
古代ブリトン人を襲ったのは… 地球規模の寒冷化でした。
太陽の光が十分に行き届かない事で、穀物の収穫量が激減。
深刻な食糧不足が引き起こされ、人口が急激に減少したというのです。
太陽の力の衰えは、農耕に依存していた古代ブリトン人たちに、かつてない
試練をもたらしました。
そこで思い付いたのが、太陽の力を取り戻すために、巨大なストーンサークル
をつくる事!
人々は、故郷に別れを告げ、一路、ダリントン・ウォールズを目指します。
こうして、ストーンヘンジの建設プロジェクトが、幕を開けたのです!
“ストーンヘンジの建設は、農業の衰退という危機を乗り越えるための解決策
でした。 人口が減り、崩壊しようとしていた文明を再びよみがえらせる最後の
希望だったのです”
ついに始まった、大プロジェクト!
全国から集まった、見知らぬ者同士が、どうやって結束を保ったのか?
その秘密が、人々が暮らした集落ダリントン・ウォールズに隠されていました。
巨大な円形の土手の内部に配置された、家に、ご注目!
どれも同じような大きさと間取りで、作られていました。
“円形の都市に同じような家を配置したのは、集落の全員が対等な立場だと
いう事を、示すためだったと考えています”
“ダリントン・ウォールズの集落に、明確な格差は存在しませんでした”
“ストーンヘンジの建設を目指す者同士、みんな平等に扱われていたのです”
巨大なストーンヘンジ建設の原動力、それは、円に象徴される人々の平等性
でした。
石の選定から、運搬・建設まで、全員の協力がなくては成り立たない、一大
プロジェクト!危機と闘う中で、自然と人々の心は1つになって行ったのです。
“ストーンヘンジの建設では、平等である事が推進力となりました”
“それは、古代エジプトで王のためにピラミッドがつくられた事とは異なります”
“イギリスでは、強力なリーダー無しに人々がまとまり、大事業を成し遂げた
のです”
親から子へ、子から孫へと引き継がれ、ついに完成したストーンヘンジ。
それは、異なる地域の人々が互いを尊重し、手を携え合う事で実現した、
壮麗なモニュメントでした。
さて、これでストーンヘンジの正体が、ようやく見えて来た! わけですが…。
ここで、考古学の権威、ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジの考古学者が
突き止めたストーンヘンジの新事実を、お目にかけましょう!
鍵となるのは、ストーンヘンジの南東を蛇行しながら流れるエイヴォン川です。
この美しい川と、ストーンヘンジの間に、秘められた関係が浮かび上がって
来たというのです。 こちらは、近年、行なわれた発掘調査。
川の岸辺から、石造りの遺跡が見つかりました。
考古学者は、この川が、ストーンヘンジにつながる、巡礼ルートの一部だった
と考えています。
なぜならこの川が、ストーンヘンジと建設者たちの集落ダリントン・ウォールズ
を結んでいるからです。
“このエイヴォン川こそ、生きている者の集落と、死者が眠るストーンヘンジを
つなぐ巡礼ルートに違いありません”
“曲がりくねったエイヴォン川を通る事で、あの世へ旅立った死者の魂が道に
迷い、この世に戻って来ないよう工夫したのでしょう”
生きている人間の集落ダリントン・ウォールズには、中心に巨大な木の
モニュメントが建てられていました。
石ではなく、あえて木材でつくったという、モニュメント。
考古学者は、そこに、古代ブリトン人の死生観が反映されていると言います。
“古代ブリトン人は、相反する2つのイメージを、重視していました”
“永遠を表す石のイメージと、生命の限られた時間を示す木のイメージです”
“今でも私たちは生きていた人が亡くなると花を手向けますが、花に託される
のは、人間のはかない命です。 私はここに、同じような思想を感じるのです”
古代ブリトン人は、生きた人間が暮らす空間には、やがて朽ち果てる木を
用いました。
一方、死者の魂が眠る空間には、永遠のパワーが宿ると信じられた石を
用いたといいます。
生者の集落を出て、死者の地、ストーンヘンジへと向かった巡礼ルート。
最後に待ち受けていたのが、巨大な参道。
この参道が指し示すのは、まさに、冬至の夕暮れに太陽が沈む方角でした。
その時、光のラインはストーンヘンジの中心を貫き、参道を進む巡礼者たちを
照らし出したのです。
近年、この参道の発掘調査が進み、氷河期に、自然に形成された大地の溝を
利用して、つくられた事が分かって来ました。
太古の昔から、大地に降り注いだ太陽のエネルギーが人々に道を指し示した
可能性があるのです。
古代ブリトン人は、どんな思いで、この道を歩いていたのでしょうか?
ストーンヘンジの謎を、10年以上にわたり追っている、考古学者は、言う。
“この長い参道を歩く途中で、巡礼者たちは、それまでの人生で見た事もない
ほど、多くの人に出会った事でしょう”
“巡礼者は、どんどん増えて行って、ストーンヘンジにたどり着く頃には、
巨大な集団になっていたはずです”
“それは、太陽を崇めるために、初めてイギリス中の人々が、1カ所に集まった
瞬間でした”
ついに、たどり着いた、巡礼のゴール、ストーンヘンジ。
毎年、冬至の日に、イギリス全土から集まった人々は、太陽の力を呼び戻す
ため、盛大な宴を催したといいます。
ストーンヘンジの真の姿、それは、巡礼者たちに、神秘的な体験と、生きる
希望を与える最大の聖地でした。
石器時代を生きた古代ブリトン人の英知は、ここに頂点を極めたのです。
さて、ここで、ストーンヘンジが長い時間を経て、どう変身したのか?
おさらいしましょう!
今から5000年前の紀元前3000年には、ストーンヘンジは今よりも小柄な石を
円く並べただけでした。 見た目は、とってもシンプル。
そのストーンヘンジが、巨大なモニュメントに姿を変えたのは、それから
500年後の紀元前2500年頃と、いわれています。
一体、この500年の間に、何があったのでしょうか?
いよいよ、ストーンヘンジ最大の不思議、巨大化の秘密に迫ります!
ストーンヘンジは、なぜ、巨大な姿に様変わりしたのか?
近年、このミステリーを紐解く大発見がありました。
現場は、ストーンヘンジから3キロ離れた、ダリントン・ウォールズ。
ここにはストーンヘンジを建設した古代ブリトン人が築いた集落がありました。
発掘調査に当たった研究者を驚かせたのは、1000頭以上の家畜の骨が
見つかった事でした。
その数から、最大で1000世帯、4000人が、この集落で暮らしていたことが
明らかになったのです。
更に見つかった骨を科学的に分析した結果、家畜の生育地がイギリス各地に
散らばっていた事が判明します。
つまり、イギリス中の古代ブリトン人が家畜を連れ集まっていたというのです。
でも、なぜ、そんなに大勢が、1つの場所に集中していたのでしょうか?
ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジの考古学者は、言う。
“彼らが集まった目的は、ストーンヘンジの建設に間違いないでしょう”
“その大事業は、イギリス中の人々を、1つに結び付けるために行なわれたと
言っても過言ではないのです”
ストーンヘンジの建設が、人々を結び付けるために行なわれた…。
一体、どういう事でしょうか?
そこには、太陽を崇拝してやまない古代ブリトン人を襲った悲劇がありました。
“ストーンヘンジが巨大化する前の時期…古代ブリトン人たちは、かつてない
苦難に直面していました”
“彼らが生きる糧としいた農業が、全く、うまく行っていなかったのです”
古代ブリトン人を襲ったのは… 地球規模の寒冷化でした。
太陽の光が十分に行き届かない事で、穀物の収穫量が激減。
深刻な食糧不足が引き起こされ、人口が急激に減少したというのです。
太陽の力の衰えは、農耕に依存していた古代ブリトン人たちに、かつてない
試練をもたらしました。
そこで思い付いたのが、太陽の力を取り戻すために、巨大なストーンサークル
をつくる事!
人々は、故郷に別れを告げ、一路、ダリントン・ウォールズを目指します。
こうして、ストーンヘンジの建設プロジェクトが、幕を開けたのです!
“ストーンヘンジの建設は、農業の衰退という危機を乗り越えるための解決策
でした。 人口が減り、崩壊しようとしていた文明を再びよみがえらせる最後の
希望だったのです”
ついに始まった、大プロジェクト!
全国から集まった、見知らぬ者同士が、どうやって結束を保ったのか?
その秘密が、人々が暮らした集落ダリントン・ウォールズに隠されていました。
巨大な円形の土手の内部に配置された、家に、ご注目!
どれも同じような大きさと間取りで、作られていました。
“円形の都市に同じような家を配置したのは、集落の全員が対等な立場だと
いう事を、示すためだったと考えています”
“ダリントン・ウォールズの集落に、明確な格差は存在しませんでした”
“ストーンヘンジの建設を目指す者同士、みんな平等に扱われていたのです”
巨大なストーンヘンジ建設の原動力、それは、円に象徴される人々の平等性
でした。
石の選定から、運搬・建設まで、全員の協力がなくては成り立たない、一大
プロジェクト!危機と闘う中で、自然と人々の心は1つになって行ったのです。
“ストーンヘンジの建設では、平等である事が推進力となりました”
“それは、古代エジプトで王のためにピラミッドがつくられた事とは異なります”
“イギリスでは、強力なリーダー無しに人々がまとまり、大事業を成し遂げた
のです”
親から子へ、子から孫へと引き継がれ、ついに完成したストーンヘンジ。
それは、異なる地域の人々が互いを尊重し、手を携え合う事で実現した、
壮麗なモニュメントでした。
さて、これでストーンヘンジの正体が、ようやく見えて来た! わけですが…。
ここで、考古学の権威、ロンドン大学ユニバーシティ・カレッジの考古学者が
突き止めたストーンヘンジの新事実を、お目にかけましょう!
鍵となるのは、ストーンヘンジの南東を蛇行しながら流れるエイヴォン川です。
この美しい川と、ストーンヘンジの間に、秘められた関係が浮かび上がって
来たというのです。 こちらは、近年、行なわれた発掘調査。
川の岸辺から、石造りの遺跡が見つかりました。
考古学者は、この川が、ストーンヘンジにつながる、巡礼ルートの一部だった
と考えています。
なぜならこの川が、ストーンヘンジと建設者たちの集落ダリントン・ウォールズ
を結んでいるからです。
“このエイヴォン川こそ、生きている者の集落と、死者が眠るストーンヘンジを
つなぐ巡礼ルートに違いありません”
“曲がりくねったエイヴォン川を通る事で、あの世へ旅立った死者の魂が道に
迷い、この世に戻って来ないよう工夫したのでしょう”
生きている人間の集落ダリントン・ウォールズには、中心に巨大な木の
モニュメントが建てられていました。
石ではなく、あえて木材でつくったという、モニュメント。
考古学者は、そこに、古代ブリトン人の死生観が反映されていると言います。
“古代ブリトン人は、相反する2つのイメージを、重視していました”
“永遠を表す石のイメージと、生命の限られた時間を示す木のイメージです”
“今でも私たちは生きていた人が亡くなると花を手向けますが、花に託される
のは、人間のはかない命です。 私はここに、同じような思想を感じるのです”
古代ブリトン人は、生きた人間が暮らす空間には、やがて朽ち果てる木を
用いました。
一方、死者の魂が眠る空間には、永遠のパワーが宿ると信じられた石を
用いたといいます。
生者の集落を出て、死者の地、ストーンヘンジへと向かった巡礼ルート。
最後に待ち受けていたのが、巨大な参道。
この参道が指し示すのは、まさに、冬至の夕暮れに太陽が沈む方角でした。
その時、光のラインはストーンヘンジの中心を貫き、参道を進む巡礼者たちを
照らし出したのです。
近年、この参道の発掘調査が進み、氷河期に、自然に形成された大地の溝を
利用して、つくられた事が分かって来ました。
太古の昔から、大地に降り注いだ太陽のエネルギーが人々に道を指し示した
可能性があるのです。
古代ブリトン人は、どんな思いで、この道を歩いていたのでしょうか?
ストーンヘンジの謎を、10年以上にわたり追っている、考古学者は、言う。
“この長い参道を歩く途中で、巡礼者たちは、それまでの人生で見た事もない
ほど、多くの人に出会った事でしょう”
“巡礼者は、どんどん増えて行って、ストーンヘンジにたどり着く頃には、
巨大な集団になっていたはずです”
“それは、太陽を崇めるために、初めてイギリス中の人々が、1カ所に集まった
瞬間でした”
ついに、たどり着いた、巡礼のゴール、ストーンヘンジ。
毎年、冬至の日に、イギリス全土から集まった人々は、太陽の力を呼び戻す
ため、盛大な宴を催したといいます。
ストーンヘンジの真の姿、それは、巡礼者たちに、神秘的な体験と、生きる
希望を与える最大の聖地でした。
石器時代を生きた古代ブリトン人の英知は、ここに頂点を極めたのです。
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