2020年12月19日 (土) | 編集 |
FC2トラックバックテーマ:「一番最初に遊んだゲームはなんですか?」
イタリア南部の都市ナポリ。
ここが、古代遺跡透視プロジェクトの新たな舞台です。
2018年6月。 ピラミッドで大発見を成し遂げた名古屋大学のチームは、ある
場所に向かっていました。 大きな遺跡が現れました。
ここが、新たな透視ターゲット、 ソンマ・ヴェスヴィアーナ遺跡 です。
2002年から、東京大学が発掘を行っています。 いきなり現れた大きな建物。
一体、どんな遺跡なのでしょうか?
不思議めいた、この場所。実は、ある有名な遺跡と大きな共通点があります。
その遺跡とは… ポンペイです。
ポンペイは、今からおよそ2000年前に栄えた、古代ローマ文明の都市。
紀元前8世紀に、現在のイタリア・ローマ周辺で誕生した、古代ローマ。
王政・共和政といった政治体制を経て、紀元前1世紀に帝国が誕生。
領土を拡大し、当時、世界最大の帝国となりました。
初代皇帝アウグストゥスは、帝国全盛期の道を開いた大皇帝です。
ローマの町を、1都市から壮麗な帝国の都へと、造り替えました。
有名なコロッセオやパンテオンといった巨大建造物は、この時代に造られた
ものです。
そんな古代ローマ文明、実は2000年前とは思えないほど先進的なものだった
といいます。 専門家に案内してもらいしまた。
レディング大学の教授は、言う。
“古代ローマ時代、フォルムと呼ばれた、この大きな広場は、常に町の宗教・
政治・行政の中心でした”
“ポンペイの人口は、1万2000から1万5000人と、いわれています”
“当時の人口に加えて、町の市場に野菜や衣類などを、郊外から運んで来る
人数を考えると、今よりも賑わっていたと思います”
フォーラムの語源にもなった、この広場。
町には、必ず、こうした広場が造られ、あらゆる交流が行なわれました。
古代ローマのアイデンティティーともいえる場所です。
更にもう1つ、この文明で特徴的なものがあります。
それが、これ! 何だか分かりますか?
“ここにあるのは、2本の水道管です。 鉛で出来ています”
“古代ローマでは、水道管を使って、水を届けていました”
なんと、水道管です! 町じゅうに張り巡らせ、水を供給していました。
家庭や飲食店、水汲み場。 古代ローマ人が大好きだった公共浴場テルマエ
などにも水を届けていたのです。
テルマエには、日本の銭湯のように、絵が描かれていました。
驚きは、これ! なんと、星です!
当時も、こんな風に、星を捉えていたのですね!
現代よりも水の消費量が多かったともいう、古代ローマ文明。
まさに、水とともに発展した文明でした。
ただそれは、この文明の、ほんの1つの側面にすぎません。
ここは、円形闘技場跡。
グラディエーターたちが、命を懸けた戦いを繰り広げました。
人々は、そうした娯楽に熱狂し、更には、美術にも強いこだわりを持っていま
した。 特に、興味深いものがあるといいます。
“ここは邸宅の中庭ですが、絵の中にも、庭が描かれています”
“女神の両側に、植物や庭が描かれていて、空間を大きく見せる効果があり
ます。 壁がないように見せる、一種のイリュージョンになっているのです”
豊かな暮らしを追求し、そして実現した、古代ローマ文明。
このポンペイを一瞬にして滅ぼしたのが、目の前にそびえ立つヴェスヴィオ山
です。 突然の事でした。
紀元79年。 噴火により火砕流が、この広大な町を一気に飲み込んだのです。
逃げ遅れた人々の、悲痛な叫びが聞こえてくるよう。
2000人以上もの命が奪われたといいます。
ヴェスヴィオ山とは、一体、どんな山なのでしょうか?
山頂で、その様子を、垣間見る事ができるといいます。
ヴェスヴィオ国立公園の担当者は、言う。
“ここが、ヴェスヴィオ山の火口です”
ポンペイを、一瞬で滅ぼした大噴火。 火口は、今も大きく口を開けています。
“ヴェスヴィオ山は、紀元79年の大噴火で知られていますが、その時は、
ポンペイやエルコラーノなどの周辺の都市が崩壊しました”
“この山は、今も活火山です”
“近年では、1944年に噴火し、その後、再び、休眠状態に入っています”
現在も、火山活動は続いています。 山肌から出る噴気。
ポンペイを滅ぼした79年の噴火以降、何度も大きな噴火を繰り返して来ました。
この頻繁な噴火活動により、いくつもの都市が消え去って行ったのです。
名古屋大学が、今回、透視に挑むのは、ヴェスヴィオ山の北側にあるソンマ・
ヴェスヴィアーナ遺跡です。 発掘が始まったのは、2002年。
ポンペイ同様、建物が全て、地中深くに埋没しています。
ここは、地表から12メートル下。 堆積物の中から構造物が見えています。
まるで、コンクリートのように硬い堆積物。
火山灰や火砕流が、年月とともに、押し固まったためです。
そのため、発掘は困難を伴いました。
イタリア南部の都市ナポリ。
ここが、古代遺跡透視プロジェクトの新たな舞台です。
2018年6月。 ピラミッドで大発見を成し遂げた名古屋大学のチームは、ある
場所に向かっていました。 大きな遺跡が現れました。
ここが、新たな透視ターゲット、 ソンマ・ヴェスヴィアーナ遺跡 です。
2002年から、東京大学が発掘を行っています。 いきなり現れた大きな建物。
一体、どんな遺跡なのでしょうか?
不思議めいた、この場所。実は、ある有名な遺跡と大きな共通点があります。
その遺跡とは… ポンペイです。
ポンペイは、今からおよそ2000年前に栄えた、古代ローマ文明の都市。
紀元前8世紀に、現在のイタリア・ローマ周辺で誕生した、古代ローマ。
王政・共和政といった政治体制を経て、紀元前1世紀に帝国が誕生。
領土を拡大し、当時、世界最大の帝国となりました。
初代皇帝アウグストゥスは、帝国全盛期の道を開いた大皇帝です。
ローマの町を、1都市から壮麗な帝国の都へと、造り替えました。
有名なコロッセオやパンテオンといった巨大建造物は、この時代に造られた
ものです。
そんな古代ローマ文明、実は2000年前とは思えないほど先進的なものだった
といいます。 専門家に案内してもらいしまた。
レディング大学の教授は、言う。
“古代ローマ時代、フォルムと呼ばれた、この大きな広場は、常に町の宗教・
政治・行政の中心でした”
“ポンペイの人口は、1万2000から1万5000人と、いわれています”
“当時の人口に加えて、町の市場に野菜や衣類などを、郊外から運んで来る
人数を考えると、今よりも賑わっていたと思います”
フォーラムの語源にもなった、この広場。
町には、必ず、こうした広場が造られ、あらゆる交流が行なわれました。
古代ローマのアイデンティティーともいえる場所です。
更にもう1つ、この文明で特徴的なものがあります。
それが、これ! 何だか分かりますか?
“ここにあるのは、2本の水道管です。 鉛で出来ています”
“古代ローマでは、水道管を使って、水を届けていました”
なんと、水道管です! 町じゅうに張り巡らせ、水を供給していました。
家庭や飲食店、水汲み場。 古代ローマ人が大好きだった公共浴場テルマエ
などにも水を届けていたのです。
テルマエには、日本の銭湯のように、絵が描かれていました。
驚きは、これ! なんと、星です!
当時も、こんな風に、星を捉えていたのですね!
現代よりも水の消費量が多かったともいう、古代ローマ文明。
まさに、水とともに発展した文明でした。
ただそれは、この文明の、ほんの1つの側面にすぎません。
ここは、円形闘技場跡。
グラディエーターたちが、命を懸けた戦いを繰り広げました。
人々は、そうした娯楽に熱狂し、更には、美術にも強いこだわりを持っていま
した。 特に、興味深いものがあるといいます。
“ここは邸宅の中庭ですが、絵の中にも、庭が描かれています”
“女神の両側に、植物や庭が描かれていて、空間を大きく見せる効果があり
ます。 壁がないように見せる、一種のイリュージョンになっているのです”
豊かな暮らしを追求し、そして実現した、古代ローマ文明。
このポンペイを一瞬にして滅ぼしたのが、目の前にそびえ立つヴェスヴィオ山
です。 突然の事でした。
紀元79年。 噴火により火砕流が、この広大な町を一気に飲み込んだのです。
逃げ遅れた人々の、悲痛な叫びが聞こえてくるよう。
2000人以上もの命が奪われたといいます。
ヴェスヴィオ山とは、一体、どんな山なのでしょうか?
山頂で、その様子を、垣間見る事ができるといいます。
ヴェスヴィオ国立公園の担当者は、言う。
“ここが、ヴェスヴィオ山の火口です”
ポンペイを、一瞬で滅ぼした大噴火。 火口は、今も大きく口を開けています。
“ヴェスヴィオ山は、紀元79年の大噴火で知られていますが、その時は、
ポンペイやエルコラーノなどの周辺の都市が崩壊しました”
“この山は、今も活火山です”
“近年では、1944年に噴火し、その後、再び、休眠状態に入っています”
現在も、火山活動は続いています。 山肌から出る噴気。
ポンペイを滅ぼした79年の噴火以降、何度も大きな噴火を繰り返して来ました。
この頻繁な噴火活動により、いくつもの都市が消え去って行ったのです。
名古屋大学が、今回、透視に挑むのは、ヴェスヴィオ山の北側にあるソンマ・
ヴェスヴィアーナ遺跡です。 発掘が始まったのは、2002年。
ポンペイ同様、建物が全て、地中深くに埋没しています。
ここは、地表から12メートル下。 堆積物の中から構造物が見えています。
まるで、コンクリートのように硬い堆積物。
火山灰や火砕流が、年月とともに、押し固まったためです。
そのため、発掘は困難を伴いました。
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