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時代は繰り返す?文明の滅亡は外からもたらされた伝染病だった?
2020年12月12日 (土) | 編集 |
FC2トラックバックテーマ 「金縛りにあったことある?」
ラパ・ヌイたちは、更に、悲劇の大本である食糧難も解決しようと、その原因、
土壌流出を防ぐ工夫を編み出します。

ここは、アナテパフと呼ばれる、洞窟の入り口。

くぼんだ所に土を敷き詰め、イモを植えています。

日当たりは悪いものの、土壌流出が起きない場所での作物栽培を始めたの
です。

文明が、今まさに、崩壊しようとする直前で、人々は知恵を絞り、生き残りへの
道を選んだのです。

争いを避け、安定に向かい始めたかに見えた、イースター島。

ところが、この後、全く予期せぬ突然の事態によって、ラパ・ヌイの文明は、
姿を消します。

イースター島の謎  その㉑  ラパ・ヌイ文明、滅亡の謎!

海を、遠く眺める事ができる内陸部の高台、ラノララクのモアイ。

この海を見つめるモアイのお腹に、文明の滅亡をもたらしたものが、刻まれて
います。 3本柱に、四角い帆。 イースター島に現れた、西洋人の帆船です。

1722年4月5日。 オランダの探検家ロッヘフェーンが、イースター島を発見。

キリスト教の復活祭、イースターの日でした。

ホトゥマツアたちが、最初の足跡を残してから、およそ600年。

ラパ・ヌイたちが、初めて外の世界と接触した瞬間でした。

初めての異文化との接触は、島に異常事態を、もたらしました。

その異常事態の恐ろしさが分かる現場があります。

石が、極端に密集している、奇妙な場所です。

その中心には、1カ所、小さな穴。

これは、天然の洞窟の内部に石を敷き詰め、わざと空洞を狭くしたものです。

入り口は、直径50センチ。 1人通るのが、やっとの大きさです。

入って、すぐの場所に、人の骨です。

幾人もの人が、ここで命を落としたのでしょうか?

入り口から5メートル。 強烈な息苦しさを感じる、狭い通路を抜けると…。

ようやく、僅かな空間が広がっていました。 ここは、地下の隠れ家。

島の外から来た、恐ろしい敵から、逃れるためのものです。

19世紀、大陸からやって来たヨーロッパ系の人々は、銃で武装し、島で奴隷
狩りを始めました。

特に1862年には、1500人ものラパ・ヌイが、ペルーへ拉致されてしまいます。

島の人口の半分にあたるほどの人数です。

この常軌を逸した奴隷狩りには、大陸側でも避難の声が上がります。

それを受け、翌年、人道的措置として、15人が、島へ戻されました。

ところが、これが、最悪の結果を生む事になります。

彼らは、伝染病に感染していたのです。

外部と数百年、接触せず、免疫を持たないラパ・ヌイたちにとって、病は猛威
となりました。

戦争と飢餓の時代に3000人にまで減っていた島の人口が、伝染病によって、
僅か111人にまで減ってしまいます。

更に、1888年。 島に、イギリス人が牧畜のため、入植します。

生き残った僅かなラパ・ヌイは弾圧を受け、生まれ育った集落から引き離され
島の西部の村、ハンガロア以外に住む事を禁止されます。

先祖代々の土地、そして先祖伝来のモアイから切り離されたラパ・ヌイたちの
文明は、こうして消滅して行くのです。

部族の首長から、一般のラパ・ヌイまで、たくさんの人々が連れ去られ、更に、
島に残っていた人々も、多くが病気で亡くなった…。

こうして、語り継ぐ人が失われ、島の歴史は、謎に包まれる事になりました。

命懸けで島にたどり着いた、最初の人々から、800年。

人が一生懸命、暮らしを育み、神様に祈り、争いをし、そして、その争いを、
何とかおさめて生き残ろうとした。

まさに、人類の営みの全てが、この島に凝縮されているように感じました。

イースター島が秘めた、人類の歴史と遺産。

ますます不思議に思えて来ました。 皆さんは、いかがでしたか?

雨上がりの空に、虹がかかっています!

日曜日、ハンガロアのカトリック教会には、地元の信者たちが集まります。

かつて生き残った111人のラパ・ヌイと、大陸から入植した人たちの末えい
です。 教会の入り口には、キリスト像とともに、鳥人のモチーフも。

1960年代以降、ラパ・ヌイの子孫にも、島民としての権利が認められるように
なりました。

1度は忘れ去られ、歴史が途切れてしまった中で、今、新たなラパ・ヌイの姿を
見い出そうとしています。

ラパ・ヌイの血を引く誇りを、自分の体に刻む人も。 あの鳥人です。

“俺の先祖、6代前のじいさんが、鳥人だったんだ!だから彫ってるんだよ!”

“これは、私たちの伝統です。 私たちは、祖先との絆を大切にします!”

“祖先は、いまでもマナを送ってくれているのですから…”

数千キロの旅の末、この地にたどり着き、生きる工夫を重ね、そして滅亡を
食い止めるため、勇気と知恵を絞った、ラパ・ヌイ。

その記憶は、次の世代に、引き継がれて行きます。