2020年12月04日 (金) | 編集 |
FC2トラックバックテーマ 「金縛りにあったことある?」
真水の水源を見つける事は、人にとって死活問題。
海辺に住むラパ・ヌイは、驚くような場所で見つけ出しています。
波打ち際、まさに、陸地と海との境目。
地下水が、かすかに岩から、しみ出ています。
こんな小さな水源までコツコツと探し回り、飲み水を確保したのです。
こうして目を凝らすと、イースター島には、ラパ・ヌイたちが知恵と工夫によって
生きた痕跡が、たくさん見えて来るのです。
その場にあるものを、最大限利用した知恵、すごいですね!
ハッキリしたのは、イースター島の文明は、外からカヌーでやって来た人々が
作り上げたという事です。
そこで、島の不思議を、3つの時代に分けてみました。
いつ、誰が、どこから来て、どうやって文明が始まったのか?
① 黎明期の謎 (12世紀ごろ) 。
次に、モアイを1000体も作るほどの繁栄ぶり、一体、どんな文明だったのか?
② 隆盛期の不思議 (13~16世紀ごろ) 。
そして、これほど栄えた文明が、なぜ、なくなったのか?
人々は、どこへ行ったのか? いわば、③ 衰退期 (17世紀以降) 。
3つの時代の謎を、順番に解き明かして行きます。
まずは黎明期。 誰が? どこから、この島にやって来たのか?
実は、私たち日本の、すぐ、ご近所にも関係があるようなのです!
1955年、イースター島の東部ラノララクで一風変わったモアイが発掘されました。
地元の歴史家は、言う。 “これは、モアイ・トゥクトゥリ”
“イースター島の典型的なモアイとは、形が異なるのが特徴です”
高さ3メートル。 モアイとしては小さいうえ、形が異なるというのは…。
トゥクトゥリとは、座った姿勢という意味。
その名の通り、お尻の下に、かわいい足が2つ。
なんと、正座をしているのです。
このモアイ、トゥクトゥリは、モアイの最も初期の形式。
つまり、イースター島に最初に持ち込まれた、石の人物像のスタイルだと
いわれています。
“この小さなモアイこそが、ラパ・ヌイのルーツに重要な関係があるのです”
イースター島の謎 その⑤ 正座モアイが解き明かす島民の起源は?
一方、こちらは、観光客に挟まれて、ご満悦の石像。
う~ん… ちょっと表情は、不機嫌かも…?
このティキと呼ばれる石像、イースター島とは別の場所にあるのですが…
先ほどのモアイ、トゥクトゥリに似ていると思いませんか?
トゥクトゥリのように、正座まではせず、膝を曲げた中腰ですが、雰囲気は
ソックリ! ここには、どんな秘密が隠されているのでしょう?
ティキに詳しい博物館の学芸員は、言う。
“実は、イースター島のモアイ像の原型は、こちらの地域に、もともとあった
ティキ像なのです”
“イースター島の人々、ラパ・ヌイのルーツも、このティキ像がある??です”
“石の人物像を作る文化を持って、海を渡って行ったのです”
ここで、皆さんにクイズです!
このティキ像がある場所、ラパ・ヌイの出身地は、次の3つの内、どこでしょう?
① イースター島から東へ4000キロ。現在、イースター島の本国である南米チリ。
② いにしえより、石作りの文化が栄えた事で知られる、メキシコ。
③ 今度は、西へ4000キロ。南太平洋の島々から成る、ポリネシアのタヒチ。
最初のラパ・ヌイは、どこから来たのか?
① チリ ② メキシコ ③ タヒチ さぁ、どうぞ!! 正解は、タヒチです!
ラパ・ヌイたちは、ここタヒチから、イースター島に渡ったといわれます。
その時、タヒチから運んだのは、モアイのような石の文化だけでなく、農作物も
持って行きました。 この葉っぱの形、前にも見た覚えが…。
タヒチの畑で、土の中から引っ張り出したのは… そう、タロイモです!
“こうやって、地面に穴を空けて、苗を植えるんだよ”
イースター島では、乾いた火山性の地質で石の畑でしたが、土壌が豊かな
タヒチでは、土の畑なのですね!
うわっ! 大きい! これは食べがいが、ありそうですね!
タロイモをはじめイモ類は栄養価が高く、1年中、収穫できるために、太平洋の
島々では、大切な主食になっています。 こちらは、タロイモのスイーツ!
ココナツミルクに漬け込んで、う~ん、トロピカル ♪
イースター島へ渡った人々、ラパ・ヌイの出身地の謎は、ポリネシアのタヒチ
周辺で決着!
と思ったら、最新研究で… 更なる驚くべきルーツが分かって来たそうです!
イースター島の謎 その⑥ 島民のルーツは日本の近く?
ここは、日本に程近い地域の、海辺の農村です。
水を張った畑で、何か栽培しています。
もう、お分かりですよね! そう、タロイモです!
“私たちは、お米は食べないね!”
“主食は、ほとんどタロイモ! だから、大切に育てているんだよ!”
“水が、たっぷりあれば甘くて美味しい! 水がないと芯が硬くてダメだね!”
ここは、イースター島から1万5000キロも離れた、台湾本島の南東にある島
ランユーです。
真水の水源を見つける事は、人にとって死活問題。
海辺に住むラパ・ヌイは、驚くような場所で見つけ出しています。
波打ち際、まさに、陸地と海との境目。
地下水が、かすかに岩から、しみ出ています。
こんな小さな水源までコツコツと探し回り、飲み水を確保したのです。
こうして目を凝らすと、イースター島には、ラパ・ヌイたちが知恵と工夫によって
生きた痕跡が、たくさん見えて来るのです。
その場にあるものを、最大限利用した知恵、すごいですね!
ハッキリしたのは、イースター島の文明は、外からカヌーでやって来た人々が
作り上げたという事です。
そこで、島の不思議を、3つの時代に分けてみました。
いつ、誰が、どこから来て、どうやって文明が始まったのか?
① 黎明期の謎 (12世紀ごろ) 。
次に、モアイを1000体も作るほどの繁栄ぶり、一体、どんな文明だったのか?
② 隆盛期の不思議 (13~16世紀ごろ) 。
そして、これほど栄えた文明が、なぜ、なくなったのか?
人々は、どこへ行ったのか? いわば、③ 衰退期 (17世紀以降) 。
3つの時代の謎を、順番に解き明かして行きます。
まずは黎明期。 誰が? どこから、この島にやって来たのか?
実は、私たち日本の、すぐ、ご近所にも関係があるようなのです!
1955年、イースター島の東部ラノララクで一風変わったモアイが発掘されました。
地元の歴史家は、言う。 “これは、モアイ・トゥクトゥリ”
“イースター島の典型的なモアイとは、形が異なるのが特徴です”
高さ3メートル。 モアイとしては小さいうえ、形が異なるというのは…。
トゥクトゥリとは、座った姿勢という意味。
その名の通り、お尻の下に、かわいい足が2つ。
なんと、正座をしているのです。
このモアイ、トゥクトゥリは、モアイの最も初期の形式。
つまり、イースター島に最初に持ち込まれた、石の人物像のスタイルだと
いわれています。
“この小さなモアイこそが、ラパ・ヌイのルーツに重要な関係があるのです”
イースター島の謎 その⑤ 正座モアイが解き明かす島民の起源は?
一方、こちらは、観光客に挟まれて、ご満悦の石像。
う~ん… ちょっと表情は、不機嫌かも…?
このティキと呼ばれる石像、イースター島とは別の場所にあるのですが…
先ほどのモアイ、トゥクトゥリに似ていると思いませんか?
トゥクトゥリのように、正座まではせず、膝を曲げた中腰ですが、雰囲気は
ソックリ! ここには、どんな秘密が隠されているのでしょう?
ティキに詳しい博物館の学芸員は、言う。
“実は、イースター島のモアイ像の原型は、こちらの地域に、もともとあった
ティキ像なのです”
“イースター島の人々、ラパ・ヌイのルーツも、このティキ像がある??です”
“石の人物像を作る文化を持って、海を渡って行ったのです”
ここで、皆さんにクイズです!
このティキ像がある場所、ラパ・ヌイの出身地は、次の3つの内、どこでしょう?
① イースター島から東へ4000キロ。現在、イースター島の本国である南米チリ。
② いにしえより、石作りの文化が栄えた事で知られる、メキシコ。
③ 今度は、西へ4000キロ。南太平洋の島々から成る、ポリネシアのタヒチ。
最初のラパ・ヌイは、どこから来たのか?
① チリ ② メキシコ ③ タヒチ さぁ、どうぞ!! 正解は、タヒチです!
ラパ・ヌイたちは、ここタヒチから、イースター島に渡ったといわれます。
その時、タヒチから運んだのは、モアイのような石の文化だけでなく、農作物も
持って行きました。 この葉っぱの形、前にも見た覚えが…。
タヒチの畑で、土の中から引っ張り出したのは… そう、タロイモです!
“こうやって、地面に穴を空けて、苗を植えるんだよ”
イースター島では、乾いた火山性の地質で石の畑でしたが、土壌が豊かな
タヒチでは、土の畑なのですね!
うわっ! 大きい! これは食べがいが、ありそうですね!
タロイモをはじめイモ類は栄養価が高く、1年中、収穫できるために、太平洋の
島々では、大切な主食になっています。 こちらは、タロイモのスイーツ!
ココナツミルクに漬け込んで、う~ん、トロピカル ♪
イースター島へ渡った人々、ラパ・ヌイの出身地の謎は、ポリネシアのタヒチ
周辺で決着!
と思ったら、最新研究で… 更なる驚くべきルーツが分かって来たそうです!
イースター島の謎 その⑥ 島民のルーツは日本の近く?
ここは、日本に程近い地域の、海辺の農村です。
水を張った畑で、何か栽培しています。
もう、お分かりですよね! そう、タロイモです!
“私たちは、お米は食べないね!”
“主食は、ほとんどタロイモ! だから、大切に育てているんだよ!”
“水が、たっぷりあれば甘くて美味しい! 水がないと芯が硬くてダメだね!”
ここは、イースター島から1万5000キロも離れた、台湾本島の南東にある島
ランユーです。
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