fc2ブログ

平和な田舎暮らしに美容・健康など自由気ままに綴っています!
ミューオンが通った跡が見事に記録されていた!
2020年11月07日 (土) | 編集 |
FC2 トラックバックテーマ:「肌身離さず持っているもの」
フィルムには、宇宙からやって来たミューオンが、シャワーのように降り注ぎ
ます。 すると、どんな画像になるのか、シミュレーションしてみましょう。

やって来たミューオンが、少ない部分を緑、多い部分を赤で表示します。

フィルムから最も遠いのは、ピラミッドの頂点。

遮る石の量が多いため、フィルムに届くミューオンの数は少なくなります。

そのため、緑で表示されるばずです。

フィルムを設置した部屋は、ピラミッド中央よりも、北側に位置しています。

北側斜面までの距離が近く、遮る石も少なくなります。

この斜面からは、その分、多くのミューオンがやって来ます。

結果、最もミューオンが多い事を示す、濃い赤で表示されます。

それ以外の部分は、より薄い赤や黄色になります。 肝心なのは、ここから!

透視する部屋は、南東の方向20メートル上にあるので、その方向からの
ミューオンは多いはずです。

つまり、この位置が、やや赤みを帯びて写れば、透視成功という訳です。

“一応、予定通り、全部、設置できたので、後はミューオンを蓄えて解析する
のが、すごいワクワクしています”

設置されたフィルムは、40日間、降り注ぐミューオンを測定し続けます。

果たして、その結果は?   屈折ピラミッドから、フィルムが回収されました。

直ちに、現像作業を始めます。 ミューオンは、捉えられたのでしょうか?

“おっ… 見えた! 1番、心配していた、黒くなる事はなかったです…”

“そういう意味では、大丈夫です…”

高温対策のかいもあってミューオンが通った跡が見事に記録されていました。

2016年1月。 現像したフィルムは、名古屋大学に運ばれました。

名古屋大学が独自に開発した、超高速自動読み取り装置に、かけます。

フィルムの厚さは0.3ミリですが、その薄さの中に、ミューオンの飛跡は、
3次元的に記録されています。

つまり、どの方向から飛んで来たのか、1つ1つ読み取る事が出来ます。

その膨大なデータを基に、コンピューターで画像化します。

いよいよ、宇宙から来た粒子が、そのパワーを見せてくれる時です。

これが… 屈折ピラミッドの透視画像です!

見て下さい。 20メートル離れた上の部屋の姿が、確かに捉えられています。

シミュレーションとも、位置はピッタリ!

世界で初めて、ピラミッド内部の空間の透視に成功した事を、ハッキリと示す
成果です。 地球に降り注ぐ、目に見えない宇宙線。

その粒子を使えば、巨大な構造物の内部を観測できる。

その事実を、名古屋大学は、鮮やかに証明したのです。

この成功を受けて、プロジェクトは、クフ王の大ピラミッドでの透視に挑む事に
なりました。 高さ147メートル。

世界最大のピラミッドには、研究者たちが宇宙線透視で解き明かしたいと願う
大いなる謎があります。

クフ王の大ピラミッドは、その内部に、多くの部屋や通路があるという、珍しい
構造をしています。 その中央付近にあるのが、大回廊と、王の間です。

大回廊を進んだ先にある、王の間。

その名前は、後世の人によって付けられました。

理由は、部屋の奥に棺のようなものが、置かれているためです。

しかし不思議な事に、ここからクフ王のミイラや遺品は、見つかっていません。

古代の盗賊が持ち去ったという意見もある一方、別の可能性を指摘する
研究者もいます。

大ピラミッドの、どこかに、隠された部屋があり、クフ王のミイラなどは、そこに
収められているのではないか?

実は建設当時、大ピラミッドは白い化粧石で覆われ入り口も隠されていました。

今の入り口は、後の世に、盗掘によって、偶然、見つかったもの。

他に、別の入り口がある可能性は、否定できません。

現在、ピラミッドの内部で分かっているのは、全体の1割ほど。

残りの9割に、まだ見つかっていない入り口や、部屋が隠されているかも知れ
ないのです。

しかしそうした可能性を調べるにはピラミッドを傷つける以外に有効な手段が
ありませんでした。

そこで、宇宙線ミューオンの透視技術を使って、傷つける事なく未知の部屋を
探そうという訳です。 果たして、隠された未知の部屋は、あるのか?

日本チームの次なる挑戦が、始まります。



☆宇宙の街紀行☆

今日の舞台は、桜島がそびえ立つ… 鹿児島!

お馴染み西郷隆盛の故郷ですが、実は西郷(せご)どん、ある星と深い関係が
あったって、知っていましたか?

その秘密を、鹿児島市立美術館の副館長が、教えてくれました。

厳重にロックされたドアを開け、奥に進むと…  “こちらが、西郷星です”

これは、明治時代に描かれた錦絵。

星の中にいる男性こそ、そう、西郷隆盛です!

こちらも、星の中に描かれたのは、西郷どん!

実はこれ、火星なのですが、なぜ、こんな絵が描かれたのでしょう?

“火星が大接近して来て、非常に大きく見えた時期があったのです”

時は明治10年、新政府軍との戦いで、壮絶な死を遂げた、西郷どん。

まさに、その時、夜空に、ひときわ赤く輝く火星が、大接近していました。

“西郷さんを英雄として、接近して来た火星に希望を託していた”

“そういう心情が、この西郷星が描かれる背景にあったのではないかと思い
ますね…”

西郷どんが、最後に見た夜空は、どのようなものだったのか?

鹿児島の天文愛好家に、140年前の夜空を、再現してもらいました。

“1877年9月23日20時。 西郷さんが亡くなったのが24日だという事ですので、
すると、これが前の晩になります”

現れたのは、東の空に昇る、満月と火星です。

地形と合わせると、鹿児島市内からは、ちょうど桜島の上に満月が昇り、その
右手に火星が輝いています。

“みんなが、あれは、西郷さんの星だと言って見ていた”

“みんなのエネルギーや、当時の人たちの西郷さんに対する気持ちが星に
表われていると感じます”

常に、民衆のために戦った、西郷どん。

終えんの地から見た桜島の上には、人々の思いが込められた赤い西郷星が
輝いていました。