2020年11月01日 (日) | 編集 |
FC2 トラックバックテーマ:「プレゼントで貰った少し変わったものを教えてください」
観測した無数の銀河を、細かく切り分けて、重力レンズを探し出すと…。
巨大なダークマターの分布が、浮かび上がりました。
横幅は、最大10億光年にもなります。 そして奥行きは、80億光年!
宇宙が誕生した、138億年前に迫るほどの、遠くて古い宇宙です。
これほど広い範囲を捉えたのは、世界で初めてです!
“世界一の探査能力があるカメラだと思いますので、今は本当に先頭を走って
ると思います。 まぁ、やった甲斐がありましたよね…”
“1粒で、何重にもオイシイというか…作る事の達成感あるし、それで観測して
何かってやる事も達成感あって… やった甲斐があったと思いますね…”
更に、このダークマターの分布からは、138億年前に誕生した宇宙が変貌する
様子も、分かって来ました。 ビッグバンから、膨張し続けてきた宇宙。
70億年前に、この膨張が加速を始めた事が、分かって来ました。
その前後を比べると、加速膨張が起きる前、ダークマターの密度は、ムラが
少なく、宇宙が均一だった事が分かります。
一方、70億年前から現在までは、ダークマターが、より密集した場所と、
ほとんどダークマターのない場所に分かれています。
この分布から、宇宙の未来までもが、解明されるといいます。
この課題に共に取り組んでいる東京大学の教授は、言う。
“ダークマターの地図を、もっと詳しく調べる事によって、加速膨張が、もっと
ひどくなって行くのか?”
“あるいは、どこかで収縮に転じて、宇宙が潰れてしまうの?”
“あるいは、もっと極端に言うと、加速膨張がどんどん速くなり過ぎて、宇宙が
終えんを迎えるという、宇宙の運命が分かる可能性があるので、これ、もう、
終わりがないのです。 やると、何か新しい事が見つかる”
“これは、もう、やめられないですね…”
自らが設計したカメラで、ダークマターの謎に挑む!
当初は、誰からも不可能と言われたプロジェクトでした。
この日、プロジェクトリーダーは、亡くなった恩師ルピーノさんの自宅を訪ねま
した。 迎えてくれたのは、ルピーノさんの娘さんです。
“もちろん、彼の事は、私が7~8歳の頃から、よく知っていますよ!”
‘そんなに小さかったっけ?’ “ええ、そうよ!”
プロジェクトリーダーが、ハワイ大学にいた20年前。
娘さんは、CCDに熱中する父親の姿を、覚えています。
“あの頃、我が家のダイニングテーブルには父のCCDが溢れていて私たちは
リビングで食事をしていたのです”
“当時の私は、父の仕事の偉大さを、まだ分かっていませんでした”
プロジェクトのリーダーで、国立天文台の日本人の博士は、言う。
“大きなCCDセンサーを、自分たちの力で設計して、それをカメラに仕上げて
望遠鏡に載せて、それで研究するという、この、何て言うか…”
“地に足が着いた、一連のこの仕事の流れは、ルピーノさんが切り開いてきて
もう、それを間近で、ハワイで見れたのは大きかったですよね…”
プロジェクトのリーダーが向かったのは、ルピーノさんが眠る墓地です。
自ら作り上げる装置で、宇宙の謎に挑むという教えを、改めて思い出していま
した。
“どこにも無いから作ってやって、それをもって観測すれば、きっと新しい事が
何か分かるという…”
“やはり自分の中に、やりたい事とか、達成したい事というのが、みんな、
ある人が集まっているので、いろんな工夫もアイデアも出るし、長期間色々と
作業しても、まぁ、少々じゃヘコたれないし、苦労にぶち当たっても、何とか
それを乗り越えようとファイトも湧いてくるというところは、あると思いますね…”
HSCは、2019年まで更に広い領域を観測し、ダークマターの探査を続けます。
☆宇宙博物記☆
ハワイの祝福の飾り レイ が、かけられているのは、カメハメハ1世。
18世紀にハワイを統一した、偉大な大王です。
すばる望遠鏡があるハワイ島で、毎年6月に行なわれる式典。
集まったのは、今から1000年前にハワイへ渡って来たポリネシア人の末えい
です。 そんな大昔に、どうやって海を渡ったのでしょうか?
センターの担当者は、言う。
“ポリネシア人がハワイまで、どうやって海を越えたか教えますよ”
早速、案内してもらったのは…。 “ホクレア号です”
“ポリネシア人が海を渡った方法を、確かめるために造りました”
ホクレア号は、南太平洋のタヒチからハワイまで、およそ4000キロの航海に
成功! 彼女も、航海士として乗船していたのです。
航海に欠かせなかったのが、天体観測です。
“ハワイに伝わるコンパスです”
古いハワイの言葉で、32の方角が記されています。
“6月の日の出の方角は、北東のアイナといいます”
“日没の方角も、北西のアイナと同じです”
“11月では、太陽は、南東のラーから昇り、やはり、ラーに沈みます”
日の出と日没の方角が、いつも同じ呼び名になるのが、ハワイのコンパス!
太陽が、方角の基本と考えられていたのですね!
では、太陽が沈んだ夜は?というと…。
こちらのプラネタリウムで説明してもらいました。
“タヒチからハワイへ航海する時、まず、南十字星を見つけました”
“ハワイでは、ハナイアカマラマと呼ぶ南十字星は、タヒチでは水平線から高く
見えます。 ハワイに向けて航海すると、南十字星は、どんどん低くなります”
南十字星の高さからハワイへ向けて北上している事が、確認出来たのです。
“ホクレア号の航海を、誇りに思っています”
“私たちの祖先が、どこから来て、いかに優れた冒険家であったかを、教えて
くれました”
ハワイは、天体観測で海を渡った偉大な人々によって切り開かれたのです。
観測した無数の銀河を、細かく切り分けて、重力レンズを探し出すと…。
巨大なダークマターの分布が、浮かび上がりました。
横幅は、最大10億光年にもなります。 そして奥行きは、80億光年!
宇宙が誕生した、138億年前に迫るほどの、遠くて古い宇宙です。
これほど広い範囲を捉えたのは、世界で初めてです!
“世界一の探査能力があるカメラだと思いますので、今は本当に先頭を走って
ると思います。 まぁ、やった甲斐がありましたよね…”
“1粒で、何重にもオイシイというか…作る事の達成感あるし、それで観測して
何かってやる事も達成感あって… やった甲斐があったと思いますね…”
更に、このダークマターの分布からは、138億年前に誕生した宇宙が変貌する
様子も、分かって来ました。 ビッグバンから、膨張し続けてきた宇宙。
70億年前に、この膨張が加速を始めた事が、分かって来ました。
その前後を比べると、加速膨張が起きる前、ダークマターの密度は、ムラが
少なく、宇宙が均一だった事が分かります。
一方、70億年前から現在までは、ダークマターが、より密集した場所と、
ほとんどダークマターのない場所に分かれています。
この分布から、宇宙の未来までもが、解明されるといいます。
この課題に共に取り組んでいる東京大学の教授は、言う。
“ダークマターの地図を、もっと詳しく調べる事によって、加速膨張が、もっと
ひどくなって行くのか?”
“あるいは、どこかで収縮に転じて、宇宙が潰れてしまうの?”
“あるいは、もっと極端に言うと、加速膨張がどんどん速くなり過ぎて、宇宙が
終えんを迎えるという、宇宙の運命が分かる可能性があるので、これ、もう、
終わりがないのです。 やると、何か新しい事が見つかる”
“これは、もう、やめられないですね…”
自らが設計したカメラで、ダークマターの謎に挑む!
当初は、誰からも不可能と言われたプロジェクトでした。
この日、プロジェクトリーダーは、亡くなった恩師ルピーノさんの自宅を訪ねま
した。 迎えてくれたのは、ルピーノさんの娘さんです。
“もちろん、彼の事は、私が7~8歳の頃から、よく知っていますよ!”
‘そんなに小さかったっけ?’ “ええ、そうよ!”
プロジェクトリーダーが、ハワイ大学にいた20年前。
娘さんは、CCDに熱中する父親の姿を、覚えています。
“あの頃、我が家のダイニングテーブルには父のCCDが溢れていて私たちは
リビングで食事をしていたのです”
“当時の私は、父の仕事の偉大さを、まだ分かっていませんでした”
プロジェクトのリーダーで、国立天文台の日本人の博士は、言う。
“大きなCCDセンサーを、自分たちの力で設計して、それをカメラに仕上げて
望遠鏡に載せて、それで研究するという、この、何て言うか…”
“地に足が着いた、一連のこの仕事の流れは、ルピーノさんが切り開いてきて
もう、それを間近で、ハワイで見れたのは大きかったですよね…”
プロジェクトのリーダーが向かったのは、ルピーノさんが眠る墓地です。
自ら作り上げる装置で、宇宙の謎に挑むという教えを、改めて思い出していま
した。
“どこにも無いから作ってやって、それをもって観測すれば、きっと新しい事が
何か分かるという…”
“やはり自分の中に、やりたい事とか、達成したい事というのが、みんな、
ある人が集まっているので、いろんな工夫もアイデアも出るし、長期間色々と
作業しても、まぁ、少々じゃヘコたれないし、苦労にぶち当たっても、何とか
それを乗り越えようとファイトも湧いてくるというところは、あると思いますね…”
HSCは、2019年まで更に広い領域を観測し、ダークマターの探査を続けます。
☆宇宙博物記☆
ハワイの祝福の飾り レイ が、かけられているのは、カメハメハ1世。
18世紀にハワイを統一した、偉大な大王です。
すばる望遠鏡があるハワイ島で、毎年6月に行なわれる式典。
集まったのは、今から1000年前にハワイへ渡って来たポリネシア人の末えい
です。 そんな大昔に、どうやって海を渡ったのでしょうか?
センターの担当者は、言う。
“ポリネシア人がハワイまで、どうやって海を越えたか教えますよ”
早速、案内してもらったのは…。 “ホクレア号です”
“ポリネシア人が海を渡った方法を、確かめるために造りました”
ホクレア号は、南太平洋のタヒチからハワイまで、およそ4000キロの航海に
成功! 彼女も、航海士として乗船していたのです。
航海に欠かせなかったのが、天体観測です。
“ハワイに伝わるコンパスです”
古いハワイの言葉で、32の方角が記されています。
“6月の日の出の方角は、北東のアイナといいます”
“日没の方角も、北西のアイナと同じです”
“11月では、太陽は、南東のラーから昇り、やはり、ラーに沈みます”
日の出と日没の方角が、いつも同じ呼び名になるのが、ハワイのコンパス!
太陽が、方角の基本と考えられていたのですね!
では、太陽が沈んだ夜は?というと…。
こちらのプラネタリウムで説明してもらいました。
“タヒチからハワイへ航海する時、まず、南十字星を見つけました”
“ハワイでは、ハナイアカマラマと呼ぶ南十字星は、タヒチでは水平線から高く
見えます。 ハワイに向けて航海すると、南十字星は、どんどん低くなります”
南十字星の高さからハワイへ向けて北上している事が、確認出来たのです。
“ホクレア号の航海を、誇りに思っています”
“私たちの祖先が、どこから来て、いかに優れた冒険家であったかを、教えて
くれました”
ハワイは、天体観測で海を渡った偉大な人々によって切り開かれたのです。
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