2020年10月16日 (金) | 編集 |
第2121回「去年の今頃は何をしていましたか?」
あなたは東京で、満天の星を見た事があるだろうか?
星なんて、1つも見えない。 常に薄明るい、東京の夜空。
僕は、そんな空も、嫌いではなかった。
‘君にのみ 逢はまくほしの 夕されば 空に満ちぬる わが心かな’
目には見えなくても、本当は、あそこにありますから…。
東京に街灯が出来たのは、明治に入ってからです。
なので、江戸時代は夜が暗くて、星空もキレイだったのですよ!
へえ~、全然、想像できない。 けど、見てみたいなぁ~。
見れますよ! えっ?
と、言っても、本当に見れるわけではなくて、その証拠が残っているのです。
証拠? 星空の? はい。浮世絵です。
江戸時代に描かれた浮世絵の星空を、見てみてください。
浮世絵って、どういう事?
夜桜美人図。 江戸時代後期に、葛飾応為(おうい)によって描かれた作品。
応為は、江戸を代表する浮世絵師、葛飾北斎の娘です。
繊細な筆遣いで、灯籠の光に浮かび上がる桜や女性の顔、手元を描き出し、
光と影の描写に優れていたといわれています。
中でも、星は詳しく描写され、白や青・赤などに色分けされています。
星は、表面温度が高いほど青白く輝き、温度が低いほど赤く輝きます。
その色の違いを表したのです。
この絵の舞台といわれているのが、上野の清水観音堂です。
秋色(しゅうしき)という、女流俳諧師が、清水観音堂の桜を見て詠んだ句が、
評判になった事から、絵のモデルにしたと考えられています。
‘君にのみ 逢はまくほしの 夕されば 空に満ちぬる わが心かな’
あぁ、会いたい! 夕方になると、空に星が満ちるように、あなたに会いたい
気持ちで、いっぱい!
まばゆい光によって星空を失った大都市、東京。
今から300年前の江戸時代、両国橋の夜の景観は、今と大きく異なっていま
した。
風景画の名手として知られる、歌川豊春の傑作、新坂浮絵両国之図です。
夏の隅田川に屋形船が出て、空に花火が打ち上げられています。
橋や両岸の茶屋は、夕涼みの人々で賑わいます。
頭上に輝くのは、数え切れないほどの星。
東京の夜空は、かつて、満天の星で満ち溢れていたのです。
その証拠が、数多くの浮世絵師によって、描かれています。
ビルが立ち並ぶ、虎ノ門。
江戸末期に活躍した歌川広重が、当時の風景を記録しています。
虎ノ門とは、江戸城の外堀を渡る門の1つでした。右手には外堀が見えます。
真冬の夜、空には三日月が浮かび、その周りで星が瞬いています。
寒詣(かんもうで)という、寒の30日間の夜に、神社仏閣を参る行事が、裸で
行なわれていました。 (虎の門外あふひ坂/歌川広重)
外堀は埋め立てられ、虎ノ門の光景は、すっかり変わってしまいました。
しかし、絵の中の2人が参拝に訪れた金毘羅(こんぴら)様は、今も同じ場所に
残ります。 江戸の風景を、情緒豊かに描き続けた、歌川広重。
隅田川の水面に反射する星の光も、見逃しません。
芸者や船遊び等、江戸の夜には、暗闇を照らす星の明かりが欠かせなかった
のです。
‘こひこひて あふ夜はこよひ 天の川 霧立ちわたり あけずもあらなむ’
七夕の夜、ずっと大好きだった人に、ついに会える。
今夜は、天の川に霧が立ちこめて、ずっと夜が明けなければいいのに。
私も、七夕に、もう1度、会えたらなぁ…。
今から150年ほど前まで、満天の星に包まれていた、東京。
当時は、なぜ、星が、よく見えたのでしょうか?
江戸庶民の家を再現する、江東区にある、深川江戸資料館です。
まるで、タイムスリップしたような気分を味わえます。
江戸の人々の暮らしを研究して来た、東京学芸大学の名誉教授です。
“江戸時代、星がキレイだったというのは、現在と比べると、やはり、空気が
澄んでいたという事と、同時に夜が暗かったという事があります”
“暗闇が、逆に、その星を浮き立たせたという事が言えると思います”
大みそ日の夜に、キツネが集まり、王子稲荷神社へ初詣に行く場面を描いた
作品です。 (王子装束ゑの木 大晦日の狐火/歌川広重)
奥に見える家は、真っ暗です。
電気やガス、ランプもなかった江戸時代、日が沈むと、辺りは闇に包まれ、
星空の輝きを際立たせていたのです。
しかし人々は、暗いからといって、家で、じっとしていたわけではありません。
人々は、夜を明るくしようと、工夫します。
江戸時代になると、庶民の間で、油を使用した、あんどんが、普及するように
なりました。
“お日様が昇ると同時に仕事をして、生活をして、お日様が沈むと寝てしまう”
“というような生活をしていたのですが、それがだんだん、油とかロウソクとか
そういうものが普及して来ると、夜の生活というのが長くなって来るのです”
“夜の生活が長くなるにつれて、人々が、非常に行動的になります”
星が輝く夜、上野広小路の通りを行き交う人々を、ユーモラスに描いた作品
です。 (上野広小路/歌川広景)
何かのはずみで食べ物の屋台が壊れ、その混乱に乗じて子供がその品物を
食べているようです。
現在の上野広小路。 昔と変わらず、多くの人々が通りを行き交います。
違うのは、ただ1つ。 見上げても、星は、ほとんど見えません。
“活動する時間が長くなって、それから、活動する領域が拡大して行きます”
“そうすると、今まで、出会わなかったモノに会ってくる”
“実際に、いたかいないかは別として、色んな所で幽霊が出たり、お化けが
出たり、化かされたりという逸話が、残って来る事になります”
百物語 化け物屋敷の図です。 (歌川国芳)
江戸後期に人気だった落語家、林家正蔵の怪談噺を描いたと、いわれてい
ます。
当時、夜な夜な仲間で集まって、怪談噺を楽しむ百物語という遊びが、流行り
ました。
夜の暗さは、星空だけでなく、怪談という新しい文化を生み出したのです。
ご存知、番町皿屋敷(葛飾北斎)。
古井戸に身を投げたお菊が、夜ごとに現れ、恨めしげに皿を数えます。
あなたは東京で、満天の星を見た事があるだろうか?
星なんて、1つも見えない。 常に薄明るい、東京の夜空。
僕は、そんな空も、嫌いではなかった。
‘君にのみ 逢はまくほしの 夕されば 空に満ちぬる わが心かな’
目には見えなくても、本当は、あそこにありますから…。
東京に街灯が出来たのは、明治に入ってからです。
なので、江戸時代は夜が暗くて、星空もキレイだったのですよ!
へえ~、全然、想像できない。 けど、見てみたいなぁ~。
見れますよ! えっ?
と、言っても、本当に見れるわけではなくて、その証拠が残っているのです。
証拠? 星空の? はい。浮世絵です。
江戸時代に描かれた浮世絵の星空を、見てみてください。
浮世絵って、どういう事?
夜桜美人図。 江戸時代後期に、葛飾応為(おうい)によって描かれた作品。
応為は、江戸を代表する浮世絵師、葛飾北斎の娘です。
繊細な筆遣いで、灯籠の光に浮かび上がる桜や女性の顔、手元を描き出し、
光と影の描写に優れていたといわれています。
中でも、星は詳しく描写され、白や青・赤などに色分けされています。
星は、表面温度が高いほど青白く輝き、温度が低いほど赤く輝きます。
その色の違いを表したのです。
この絵の舞台といわれているのが、上野の清水観音堂です。
秋色(しゅうしき)という、女流俳諧師が、清水観音堂の桜を見て詠んだ句が、
評判になった事から、絵のモデルにしたと考えられています。
‘君にのみ 逢はまくほしの 夕されば 空に満ちぬる わが心かな’
あぁ、会いたい! 夕方になると、空に星が満ちるように、あなたに会いたい
気持ちで、いっぱい!
まばゆい光によって星空を失った大都市、東京。
今から300年前の江戸時代、両国橋の夜の景観は、今と大きく異なっていま
した。
風景画の名手として知られる、歌川豊春の傑作、新坂浮絵両国之図です。
夏の隅田川に屋形船が出て、空に花火が打ち上げられています。
橋や両岸の茶屋は、夕涼みの人々で賑わいます。
頭上に輝くのは、数え切れないほどの星。
東京の夜空は、かつて、満天の星で満ち溢れていたのです。
その証拠が、数多くの浮世絵師によって、描かれています。
ビルが立ち並ぶ、虎ノ門。
江戸末期に活躍した歌川広重が、当時の風景を記録しています。
虎ノ門とは、江戸城の外堀を渡る門の1つでした。右手には外堀が見えます。
真冬の夜、空には三日月が浮かび、その周りで星が瞬いています。
寒詣(かんもうで)という、寒の30日間の夜に、神社仏閣を参る行事が、裸で
行なわれていました。 (虎の門外あふひ坂/歌川広重)
外堀は埋め立てられ、虎ノ門の光景は、すっかり変わってしまいました。
しかし、絵の中の2人が参拝に訪れた金毘羅(こんぴら)様は、今も同じ場所に
残ります。 江戸の風景を、情緒豊かに描き続けた、歌川広重。
隅田川の水面に反射する星の光も、見逃しません。
芸者や船遊び等、江戸の夜には、暗闇を照らす星の明かりが欠かせなかった
のです。
‘こひこひて あふ夜はこよひ 天の川 霧立ちわたり あけずもあらなむ’
七夕の夜、ずっと大好きだった人に、ついに会える。
今夜は、天の川に霧が立ちこめて、ずっと夜が明けなければいいのに。
私も、七夕に、もう1度、会えたらなぁ…。
今から150年ほど前まで、満天の星に包まれていた、東京。
当時は、なぜ、星が、よく見えたのでしょうか?
江戸庶民の家を再現する、江東区にある、深川江戸資料館です。
まるで、タイムスリップしたような気分を味わえます。
江戸の人々の暮らしを研究して来た、東京学芸大学の名誉教授です。
“江戸時代、星がキレイだったというのは、現在と比べると、やはり、空気が
澄んでいたという事と、同時に夜が暗かったという事があります”
“暗闇が、逆に、その星を浮き立たせたという事が言えると思います”
大みそ日の夜に、キツネが集まり、王子稲荷神社へ初詣に行く場面を描いた
作品です。 (王子装束ゑの木 大晦日の狐火/歌川広重)
奥に見える家は、真っ暗です。
電気やガス、ランプもなかった江戸時代、日が沈むと、辺りは闇に包まれ、
星空の輝きを際立たせていたのです。
しかし人々は、暗いからといって、家で、じっとしていたわけではありません。
人々は、夜を明るくしようと、工夫します。
江戸時代になると、庶民の間で、油を使用した、あんどんが、普及するように
なりました。
“お日様が昇ると同時に仕事をして、生活をして、お日様が沈むと寝てしまう”
“というような生活をしていたのですが、それがだんだん、油とかロウソクとか
そういうものが普及して来ると、夜の生活というのが長くなって来るのです”
“夜の生活が長くなるにつれて、人々が、非常に行動的になります”
星が輝く夜、上野広小路の通りを行き交う人々を、ユーモラスに描いた作品
です。 (上野広小路/歌川広景)
何かのはずみで食べ物の屋台が壊れ、その混乱に乗じて子供がその品物を
食べているようです。
現在の上野広小路。 昔と変わらず、多くの人々が通りを行き交います。
違うのは、ただ1つ。 見上げても、星は、ほとんど見えません。
“活動する時間が長くなって、それから、活動する領域が拡大して行きます”
“そうすると、今まで、出会わなかったモノに会ってくる”
“実際に、いたかいないかは別として、色んな所で幽霊が出たり、お化けが
出たり、化かされたりという逸話が、残って来る事になります”
百物語 化け物屋敷の図です。 (歌川国芳)
江戸後期に人気だった落語家、林家正蔵の怪談噺を描いたと、いわれてい
ます。
当時、夜な夜な仲間で集まって、怪談噺を楽しむ百物語という遊びが、流行り
ました。
夜の暗さは、星空だけでなく、怪談という新しい文化を生み出したのです。
ご存知、番町皿屋敷(葛飾北斎)。
古井戸に身を投げたお菊が、夜ごとに現れ、恨めしげに皿を数えます。
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