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金星の謎を解きたいという科学者たちの思いは1つだった!
2020年09月01日 (火) | 編集 |
第2118回「FC2ブログを始めてどれくらい経ちますか?」
果たして、どちらなのか? その答えは、意外なところから、もたらされます。

“友人のアメリカ人科学者が、金星のデータを送ってくれたのです”

実は、その頃、アメリカの探査機も、金星近くを通過していました。

電波を使って、金星の大気を調べていたのです。 (金星探査機マリナー5号)

“アメリカの情報から、金星の大気圏が想定よりも厚みがある事が分かりました”

“そこから計算してみたところ、ベネラ4号は金星表面に達せず、上空23キロ
メートルで潰れてしまった事が分かったのです”

当時、ソビエトとアメリカは、冷戦で対立していました。

なぜ、アメリカの科学者は、金星のデータを送ってくれたのでしょうか?

“私たちは幸せな事に、政治家ではなく、科学者です”

“科学者にとって大切な事は、真実の探求です”

“国は争っていても、同じ志を持つ人との友情は、決して変わらないものなの
です”   政治的に敵対する両国。

しかし、金星の謎を解きたいという、科学者たちの思いは1つだったのです。

着陸がうまく行くかは、ババキンが作るカプセルにかかっていました。

ベネラ4号が最後に送って来たデータは… 271度、18気圧。

少なくとも、地球の18倍も高い気圧に、耐えなければなりません。

ババキンは、高圧を再現できる装置を開発し、実験を繰り返しました。

そして、40気圧にまで耐えられるカプセルを開発します。

1969年1月に、ベネラ5号と6号が打ち上げれます。 4カ月後、金星へ到着。

上空から着陸カプセルが投下されます。

しかし、どちらも、着陸する前に壊れてしまいました。

一体、金星の気圧は、どこまで高いのか?

新聞記者のウラジーミル・グバレフさんは、言う。

“ある時、ケルディッシュとババキンが、話し合ってる現場に居合わせました”

“その時ババキンは、無理に決まっている。温度も高すぎるし、これは不可能
だと言いました。 するとケルディッシュは、こう言ったのです”

“不可能なのは分かっている。だから君に頼んでいるんだ。君なら出来る!”

ババキンは、思い切った行動に出ます。

着陸カプセルに使える重量は、およそ500キログラム。

ババキンは、カプセルの中の、ほとんどの観測装置を下ろします。

下ろした重さの分を使って、カプセルを限界まで頑丈にしたのです。

素材には、当時、最強といわれたチタンを使いました。

そして、なんと、150気圧にも耐えられる着陸カプセルを作り上げたのです。

1970年8月。 金星着陸へ、7度目の挑戦です!

ベネラ7号が、金星に着陸カプセルを投下。 信号が届き始めます。

ケルディッシュの右腕といわれたミハイル・マロフ博士は、言う。

“信号を受信し、私は喜びました”

“無事、大気圏内に突入し、パラシュートが開いたのだろうとね!”

“でも、降下速度が、あまりにも速かったんだ”

ベネラ7号のデータです。 これから、降下して行くスピードが推測できます。

見やすいように、上下逆さにしてみましょう。

周波数を変えて送られて来た、2つの信号。

上に行く程スピードが速く、下に行く程スピードが遅くなった事を意味します。

パラシュートが開き、降下するスピードは落ちて行きました。

しかしこの時、パラシュートが裂けたのか、突然、加速したのです。

スピードが落ち切らないまま落下を続け、一瞬、強い信号を放った後、交信が
途絶えました。  またも、着陸に失敗。

次の挑戦まで再び2年近く待たなくてはいけない。スタッフの心は沈みました。

1カ月後、新たな事実が判明します。

重要な役割を果たしたのが、電波天文学者のオレグ・ルジカ(1930-2019) 。

デジタル解析という、当時、最先端の手法を使って、ある発見をしたのです。

ベネラ7号のデータから、ノイズを除去してみたところ…。

信号の続きが浮かび上がって来ました。 この信号が意味する事は…。

ベネラ7号は、金星に猛スピードで落下。 たたきつけられます。

その際、一瞬、アンテナが地球に向き、信号を送ります。

その後、横倒しになります。

アンテナは、地球に向いていないものの、信号を送り続けていました。

ベネラ1号の挑戦から、9年。

ついにソビエトは、人類で初めて、金星への着陸に成功したのです。

金星表面の温度は、なんと、475度! 気圧は、92気圧と判明しました!

“驚きました。 金星は、とてつもなく高温で、地球の100倍近い超高圧の惑星
だったのです”

金星着陸という偉業に、大きな貢献を果たしたババキン。

その半年後、彼は病気で、この世を去ります。

ババキンは、なぜ、金星探査に挑み続ける事が出来たのでしょうか?

それをよく知る人物を訪ねました。 息子のニコライ・ババキンさんです。

“私は、ずっと不思議でした”

“父は、もともと、ラジオの専門家なのに、なぜ、惑星探査機を作る事ができた
のか? 恐らく父は、新しい事を学びたかったのだと思います”

“金星探査という難題を与えられ、たくさん興味深い事に出会い夢中になって
行ったのだと思います”

中学校までしか通えなかったババキン。

彼は常に、新たな事を学び、喜び、そして金星への着陸を成し遂げたのです。

この後、いよいよ、金星の謎の解明が始まります!