2020年08月31日 (月) | 編集 |
第2117回「あなたの一番古い記憶はなんですか?」
その裏で、科学者たちは失敗から問題点を見つけ出し、改善して行きます。
その1つが、ロケットの第4段部分です。
“この先端にあるのが、第4段ロケットです”
“切り離した後、70秒間、操作できない状態になっていました”
“この問題は、失敗から発覚し、修正されます”
そして、4度目の挑戦を迎えます。
1965年11月。 2機の探査機が打ち上げられました。
ベネラ2号/3号と名前が付けられ、金星に向かいます。
しかし、金星にたどり着く前に、通信が途絶えてしまいました。
ケルディッシュの右腕といわれたミハイル・マロフ博士は、言う。
“原因は、オーバーヒートでした”
“太陽の熱で、探査機の温度が、上がり過ぎてしまったのです”
“その問題は、考慮できていませんでした”
あまりにも遠い金星。 到達は夢のまた夢なのか? 計画は行き詰まりました。
失敗続きだったベネラ計画。 その後、どうなったのでしょうか?
計画に深く関わった企業、ラボーチキンを訪ねました。
人工衛星やロケットを開発しています。
かつては、軍事兵器を作る設計局でしたが、1965年、ケルディッシュから惑星
探査機の製作を命じられます。 以来、多くの宇宙開発に携わって来ました。
当時の局長だった、ゲオルギー・ババキン (1914-1971) 。
金星探査をリードして行く事になる、設計士です。 その経歴は異色でした。
家庭の事情で、中学校までしか卒業できなかったババキンは、通信教育で
ラジオ技術を学び、技師の仕事に就きます。
第2次世界大戦が起こると、遠隔操作できる地雷などの開発に携わります。
その後、ババキンは、ミサイルの開発で指揮を執ります。
そのミサイルは、ケルディッシュが発案したものでした。
ケルディッシュは、ババキンの才能を見抜き、金星探査機の製作を任せたの
です。 ババキンのもとで働いた技術者が、今も現役で働いています。
アレクサンドル・ロージンさんは、当時、ババキンに繰り返し言われたことが
あるそうです。
“ババキンは、いきなり打ち上げるのではなく、まず地上できちんとした実験を
行なわなくてはいけない、と言っていました”
それまで探査機の開発は、実際に打ち上げて、宇宙空間で性能を確かめる
方法を採って来ました。 しかし、ババキンは違いました。
“彼は、学校で教育を受けられず、人生で、たくさんの失敗をして来ました”
“だから、準備する事の大切さを、痛いほど分かっていたのだと思います”
打ち上げの振動に探査機が耐えられるか? 金星に海があっても大丈夫か?
さまざまな問題を想定して、地上で実験を繰り返しました。
後に、探査機開発の常識となる方法です。
実験を経て、新たな探査機が作られます。
基本設計から見直す中で、ババキンが特に気を遣ったのは、熱への対策
でした。 宇宙空間では、太陽の光が当たると温度が100度以上になります。
その熱によって、探査機が壊れていました。
“そのために、私たちは、ガスを使った冷却装置を付けました”
太陽の陰となる場所は、マイナス100度以下。そこにガスを通し、冷却します。
冷やしたガスを、太陽光の当たる場所に巡らる事で、熱から探査機を守った
のです。
1967年6月。 探査機は打ち上げられ、金星に向かいます。 ベネラ4号です。
金星までの道のりは、4カ月余り。 未知の領域に入ります。
“打ち上げはうまく行きましたが、交信するたびに心配になりました”
“何が起きても、おかしくないので…” 交信は、途切れませんでした。
1967年10月18日。 ベネラ4号は、ついに金星に到達しました!
次のステップは、着陸カプセルの切り離しです。
カプセルには様々な観測機器が搭載され、金星のデータを地球へ送ります。
観測機器を開発したのは、ミハイル・マロフ博士でした。
“あの時は、とても不安でした”
“私の作った機械が、金星の温度と気圧を測定するのです。責任重大でした”
着陸カプセルが、金星に落とされます。
降下しながら、カプセルは、データを地球へ送ります。
金星は、地球に似た環境なのか? それとも、灼熱の世界なのか?
ロージンさんは管制室で読み上げられるデータをメモし、大切に残していました。
“8時32分。 金星の気圧は7気圧”
“8時44分。 温度235度。 気圧は10.5気圧”
“9時13分。 温度270度…” 温度と気圧は、猛烈に上がって行きます。
そして… “9時15分。 突然、交信が止まったのです”
“きっと、着陸したんだ! 私たちは、喜びました”
“でも、本当のところは、何が起きていたのか分かりませんでした”
ケルディッシュと、ババキンも、その様子を見守っていました。
同じ管制室にいた、新聞記者のウラジーミル・グバレフさんです。
“交信が途絶え、皆が無言になった時、ババキンが到着したなと言いました”
“しかしケルディッシュは、 いや、待て、様子を見よう と言ったのです”
予想された大気の厚さと落下時間を考えると着陸しているはずだとババキンは
考えました。 しかし、途中で通信が切れた可能性もありました。
その裏で、科学者たちは失敗から問題点を見つけ出し、改善して行きます。
その1つが、ロケットの第4段部分です。
“この先端にあるのが、第4段ロケットです”
“切り離した後、70秒間、操作できない状態になっていました”
“この問題は、失敗から発覚し、修正されます”
そして、4度目の挑戦を迎えます。
1965年11月。 2機の探査機が打ち上げられました。
ベネラ2号/3号と名前が付けられ、金星に向かいます。
しかし、金星にたどり着く前に、通信が途絶えてしまいました。
ケルディッシュの右腕といわれたミハイル・マロフ博士は、言う。
“原因は、オーバーヒートでした”
“太陽の熱で、探査機の温度が、上がり過ぎてしまったのです”
“その問題は、考慮できていませんでした”
あまりにも遠い金星。 到達は夢のまた夢なのか? 計画は行き詰まりました。
失敗続きだったベネラ計画。 その後、どうなったのでしょうか?
計画に深く関わった企業、ラボーチキンを訪ねました。
人工衛星やロケットを開発しています。
かつては、軍事兵器を作る設計局でしたが、1965年、ケルディッシュから惑星
探査機の製作を命じられます。 以来、多くの宇宙開発に携わって来ました。
当時の局長だった、ゲオルギー・ババキン (1914-1971) 。
金星探査をリードして行く事になる、設計士です。 その経歴は異色でした。
家庭の事情で、中学校までしか卒業できなかったババキンは、通信教育で
ラジオ技術を学び、技師の仕事に就きます。
第2次世界大戦が起こると、遠隔操作できる地雷などの開発に携わります。
その後、ババキンは、ミサイルの開発で指揮を執ります。
そのミサイルは、ケルディッシュが発案したものでした。
ケルディッシュは、ババキンの才能を見抜き、金星探査機の製作を任せたの
です。 ババキンのもとで働いた技術者が、今も現役で働いています。
アレクサンドル・ロージンさんは、当時、ババキンに繰り返し言われたことが
あるそうです。
“ババキンは、いきなり打ち上げるのではなく、まず地上できちんとした実験を
行なわなくてはいけない、と言っていました”
それまで探査機の開発は、実際に打ち上げて、宇宙空間で性能を確かめる
方法を採って来ました。 しかし、ババキンは違いました。
“彼は、学校で教育を受けられず、人生で、たくさんの失敗をして来ました”
“だから、準備する事の大切さを、痛いほど分かっていたのだと思います”
打ち上げの振動に探査機が耐えられるか? 金星に海があっても大丈夫か?
さまざまな問題を想定して、地上で実験を繰り返しました。
後に、探査機開発の常識となる方法です。
実験を経て、新たな探査機が作られます。
基本設計から見直す中で、ババキンが特に気を遣ったのは、熱への対策
でした。 宇宙空間では、太陽の光が当たると温度が100度以上になります。
その熱によって、探査機が壊れていました。
“そのために、私たちは、ガスを使った冷却装置を付けました”
太陽の陰となる場所は、マイナス100度以下。そこにガスを通し、冷却します。
冷やしたガスを、太陽光の当たる場所に巡らる事で、熱から探査機を守った
のです。
1967年6月。 探査機は打ち上げられ、金星に向かいます。 ベネラ4号です。
金星までの道のりは、4カ月余り。 未知の領域に入ります。
“打ち上げはうまく行きましたが、交信するたびに心配になりました”
“何が起きても、おかしくないので…” 交信は、途切れませんでした。
1967年10月18日。 ベネラ4号は、ついに金星に到達しました!
次のステップは、着陸カプセルの切り離しです。
カプセルには様々な観測機器が搭載され、金星のデータを地球へ送ります。
観測機器を開発したのは、ミハイル・マロフ博士でした。
“あの時は、とても不安でした”
“私の作った機械が、金星の温度と気圧を測定するのです。責任重大でした”
着陸カプセルが、金星に落とされます。
降下しながら、カプセルは、データを地球へ送ります。
金星は、地球に似た環境なのか? それとも、灼熱の世界なのか?
ロージンさんは管制室で読み上げられるデータをメモし、大切に残していました。
“8時32分。 金星の気圧は7気圧”
“8時44分。 温度235度。 気圧は10.5気圧”
“9時13分。 温度270度…” 温度と気圧は、猛烈に上がって行きます。
そして… “9時15分。 突然、交信が止まったのです”
“きっと、着陸したんだ! 私たちは、喜びました”
“でも、本当のところは、何が起きていたのか分かりませんでした”
ケルディッシュと、ババキンも、その様子を見守っていました。
同じ管制室にいた、新聞記者のウラジーミル・グバレフさんです。
“交信が途絶え、皆が無言になった時、ババキンが到着したなと言いました”
“しかしケルディッシュは、 いや、待て、様子を見よう と言ったのです”
予想された大気の厚さと落下時間を考えると着陸しているはずだとババキンは
考えました。 しかし、途中で通信が切れた可能性もありました。
| ホーム |