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未知の天体パルサーの発見は男性ではなく女性の大学院生だった
2020年07月05日 (日) | 編集 |
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ヒューイッシュ教授は、信号は、知的生命が発しているのではと考え、
グリーンマンと名付けました。 しかし、ジョスリンは納得できません。

丹念にデータを分析し、その信号を発しているのは宇宙人ではない事を証明
したのです。

“もし、宇宙人の仕業なら、彼らは惑星にいるはずです”

“惑星は、恒星を回っているので、発信された電波は変化するでしょう”

“しかし、そんな事はありませんでした”

惑星は、恒星を公転しているため、発した信号は、惑星の移動によって変化
します。

しかし、ジョスリンが見つけた信号には、そうした変化は見られませんでした。

後の分析から、一定の間隔で飛んで来るパルスは地球からおよそ2300光年
の距離にある、天体からのものである事が分かりました。

そしてジョスリンは、同じように一定の間隔で飛んで来る電波を、別な方向の
空でも、次々と発見して行きました。

同じプロジェクトにいた元同僚の教授は、言う。

“彼女は、緻密に記録を取り、しっかりとデータを管理していました”

“何事も諦めず、やり続ける人でした。根気があり内面的な強さもありました”

“だから、発見できたのです”

ヒューイッシュ教授の指示で、ジョスリンは、論文の作成に取りかかりました。

そして、翌年の1968年、宇宙からの謎のパルス信号を発見した論文は、科学
雑誌 NATURE (ネイチャー) で発表されました。

謎の信号を放つ天体は、イギリスの新聞記者が、パルサーと呼び、その後、
定着した呼び名となって行きました。 宇宙の灯台ともいわれました。

世紀の大発見を成し遂げたジョスリンは、一躍、時の人となり、多くの取材を
受けるようになります。 子供向けの科学番組の司会も、頼まれました。

しかしジョスリンは、次第に、違和感を覚えるようになって行きます。

“ヒューイッシュ教授は宇宙物理学、そして、発見の重要性について質問され
ます。 その横にいる私は、まるで、三面記事に載せるような質問をされます”

“背の高さとか、1度に何人の男性と付き合った事があるかとか…”

“私は、無礼な態度を取ろうかとも思いましたが、研究には宣伝が必要なので
耐えました。 とても不愉快でした”

同世代の天文学者は、言う。

“当時、科学の世界で女性が仕事をするのは、とても珍しい事でした”

“特に、電波天文学をやる女性は、ほとんどいなかったでしょう”

“だから、まさか彼女が、やり手の研究者だなんて、誰も思わなかったのだと
思います”

論文の発表から数カ月後、ジョスリンは結婚し、ジョスリン・ベル・バーネルに
なりました。 大学に就職するという道もありましたが、家庭を優先しました。

しかし、夫が転勤するたびに、近くの天文台で天文学の研究を続けたのです。

パルサーの発見から6年後の1974年。

その功績に、ノーベル物理学賞が贈られる事になりました。 受賞者は2名。

1人は、論文の筆頭者である、アントニー・ヒューイッシュ教授。

そして、もう1人は、電波天文学の権威、マーティン・ライル博士。

受賞理由は、電波天文学における先駆的研究でした。

当時、受賞に異論を唱える研究者もいました。

なぜ、第1発見者のジョスリンが含まれていないのか?と。

同世代の天文学者は、言う。

“ノーベル賞が彼女に授与されなかった理由が、性別に関係しているかどうかは
分かりません。 当時、彼女は、大学院生でした”

“大学院生は、指導教官が決めた仕事をする事が、一般的です”

“ですので、指導教官が称賛されるのは、自然だったかも知れません”

ノーベル賞の受賞者にならなかったベル・バーネルさんは、その時、どんな
気持ちだったのでしょうか?

“私は、心から喜びました”

“なぜなら、それまでノーベル賞を受賞した天文学者は、いなかったからです”

“天文学が、ノーベル賞に値するという事が認められるキッカケになりました”

“今日まで、およそ20人の天文学者が、ノーベル賞を受賞しています”

ベル・バーネルさんは、その後も子育てをしながら、天文学の研究を続けて
行きました。

2006年、冥王星が惑星なのか、そうでないのかを決める国際会議では、
もめる研究者たちを、見事な司会で、さばいてみせました。

ベル・バーネルさんは、多くの研究者に尊敬されて行ったのです。

そして、彼女が発見したパルサーも、また、天文学者たちの注目を集めて
行きます。

次は、世界の研究者たちとともに、謎に満ちたパルサーの正体に迫ります。