2020年07月01日 (水) | 編集 |
FC2 トラックバックテーマ:「おうち時間が増えてから変わったこと」
令和の時代を迎えた日本。
天皇による一代に一度限りの祭祀、大嘗祭(だいじょうさい)が、令和元年11月
14日に執り行われます。
実は皇室の祭祀の多くは日取りが古来の暦にのっとって決められています。
それが、旧暦。 今の日本で使われている太陽暦の、前の暦です。
今も旧暦で開かれる祭りは全国にあり、暮らしに深く根付いています。
しかし… ひと口に旧暦と言えど、その成り立ちは苦難の道でございました。
時は、江戸の初め。
世に、あまたの暦が乱立し、日付も合っていないという有様。
これは何とかしなければ! と、立ち上がった1人の男。
その名は… 渋川 春海 (しぶかわ・はるみ) 。
若かりし頃… “このままでは、いかん。 もはや、誤りは明らかだ”
正しい暦を作る! と、決意します。
“そもそも我が国は、時代遅れの暦を廃し、この日の本(ひのもと→日本)に、
統一された暦を作るべきなのです”
春海は、天文・数学に通じ、頭脳明晰(ずのうめいせき) 。
目指すは、科学に基づく正確な暦。
江戸へ、京都へ、行ったり来たりの天文観測。
知識と情熱を武器に、暦の改革に突き進んだのでございます。
“暦(れき)を定めるのは、朝廷のお力ですから、それを変えて行こう、覆して
行こうとするわけですから、自分の学説に、絶対の自信がなければ…”
史上初めて、日本の暦を作り上げ、我が国に天文学の礎を築いた渋川春海。
一世一代の大仕事を、とくとご覧あれ!
☆宇宙博物記☆
京都市の下京区にある、龍岸寺(りゅうがんじ) 。
渋川春海に、ゆかりのあるお寺です。
住職が、お寺の歴史が記された、古い記録を見せてくれました。
“これは、延享(えんきょう)4年なので、1747年に書かれてます”
“だから、今から270年前… 272年前の記録です”
“当時、開山の長誉三哲(ちょうよ・さんてつ)。 ただし、平僧”
記録によると、三哲という名の、特に位もなく、素性もよく分からない僧侶が、
龍岸寺を建てたと書かれています。
住職は、ある日、偶然、別の書物(京町鑑)の中に、渋川三哲の文字を見つけ
ます。
そこから、お寺に伝わる三哲とは、春海のお父さん、初代、安井算哲の事だと
分かったのです。
“このお寺に伝わるところによると、このお寺自体は1616年元和2年に出来、
そして1650年頃に、最初にお開きになった三哲という人は亡くなってると”
“安井算哲という囲碁打ちが、恐らく、その年代を見てると、大体、このお寺の
開創年代から没した年代に合ってくる”
“お城で囲碁を打とうと思うと将軍のもとにお目見えしようとすると武士階級か
お坊さんでないとそれが出来なかったので、安井算哲は、きちっとした修行を
してるわけではないのですが、形式的にはお坊さんという事になり、将軍の
もとで囲碁を打っていた”
三哲の名は、この一帯の地名にも残されています。
幕府の囲碁棋士として、名が広まっていた事がうかがえます。
京都の人々に愛された、初代、安井算哲。
渋川春海が、改暦という大事業に関われたのも、父が築いた名声のおかげ
かも知れません。
渋川春海が暦にこだわった理由は、科学者として、正確さを求めただけでは
ありません。
正しい暦こそ、日本の伝統を守るために、必要だと考えたからです。
例えば、天皇陛下の即位に伴う、大嘗祭(だいじょうさい)が行なわれる、
令和元年11月14日。
古来の伝承で、大嘗祭は11月2回目の卯の日に行うとあり、14日が、ちょうど
その日に当たります。
もし、暦がズレていると、大嘗祭を正しい日取りで行う事ができません。
ちなみに卯の日とは、昔の日にちの呼び方の事で、子・丑・寅・卯・辰・巳…
いわゆる十二支の1つです。
令和の時代を迎えた日本。
天皇による一代に一度限りの祭祀、大嘗祭(だいじょうさい)が、令和元年11月
14日に執り行われます。
実は皇室の祭祀の多くは日取りが古来の暦にのっとって決められています。
それが、旧暦。 今の日本で使われている太陽暦の、前の暦です。
今も旧暦で開かれる祭りは全国にあり、暮らしに深く根付いています。
しかし… ひと口に旧暦と言えど、その成り立ちは苦難の道でございました。
時は、江戸の初め。
世に、あまたの暦が乱立し、日付も合っていないという有様。
これは何とかしなければ! と、立ち上がった1人の男。
その名は… 渋川 春海 (しぶかわ・はるみ) 。
若かりし頃… “このままでは、いかん。 もはや、誤りは明らかだ”
正しい暦を作る! と、決意します。
“そもそも我が国は、時代遅れの暦を廃し、この日の本(ひのもと→日本)に、
統一された暦を作るべきなのです”
春海は、天文・数学に通じ、頭脳明晰(ずのうめいせき) 。
目指すは、科学に基づく正確な暦。
江戸へ、京都へ、行ったり来たりの天文観測。
知識と情熱を武器に、暦の改革に突き進んだのでございます。
“暦(れき)を定めるのは、朝廷のお力ですから、それを変えて行こう、覆して
行こうとするわけですから、自分の学説に、絶対の自信がなければ…”
史上初めて、日本の暦を作り上げ、我が国に天文学の礎を築いた渋川春海。
一世一代の大仕事を、とくとご覧あれ!
☆宇宙博物記☆
京都市の下京区にある、龍岸寺(りゅうがんじ) 。
渋川春海に、ゆかりのあるお寺です。
住職が、お寺の歴史が記された、古い記録を見せてくれました。
“これは、延享(えんきょう)4年なので、1747年に書かれてます”
“だから、今から270年前… 272年前の記録です”
“当時、開山の長誉三哲(ちょうよ・さんてつ)。 ただし、平僧”
記録によると、三哲という名の、特に位もなく、素性もよく分からない僧侶が、
龍岸寺を建てたと書かれています。
住職は、ある日、偶然、別の書物(京町鑑)の中に、渋川三哲の文字を見つけ
ます。
そこから、お寺に伝わる三哲とは、春海のお父さん、初代、安井算哲の事だと
分かったのです。
“このお寺に伝わるところによると、このお寺自体は1616年元和2年に出来、
そして1650年頃に、最初にお開きになった三哲という人は亡くなってると”
“安井算哲という囲碁打ちが、恐らく、その年代を見てると、大体、このお寺の
開創年代から没した年代に合ってくる”
“お城で囲碁を打とうと思うと将軍のもとにお目見えしようとすると武士階級か
お坊さんでないとそれが出来なかったので、安井算哲は、きちっとした修行を
してるわけではないのですが、形式的にはお坊さんという事になり、将軍の
もとで囲碁を打っていた”
三哲の名は、この一帯の地名にも残されています。
幕府の囲碁棋士として、名が広まっていた事がうかがえます。
京都の人々に愛された、初代、安井算哲。
渋川春海が、改暦という大事業に関われたのも、父が築いた名声のおかげ
かも知れません。
渋川春海が暦にこだわった理由は、科学者として、正確さを求めただけでは
ありません。
正しい暦こそ、日本の伝統を守るために、必要だと考えたからです。
例えば、天皇陛下の即位に伴う、大嘗祭(だいじょうさい)が行なわれる、
令和元年11月14日。
古来の伝承で、大嘗祭は11月2回目の卯の日に行うとあり、14日が、ちょうど
その日に当たります。
もし、暦がズレていると、大嘗祭を正しい日取りで行う事ができません。
ちなみに卯の日とは、昔の日にちの呼び方の事で、子・丑・寅・卯・辰・巳…
いわゆる十二支の1つです。
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