2020年06月23日 (火) | 編集 |
FC2 トラックバックテーマ:「おうち時間が増えてから変わったこと」
“下を向かず、星空を見上げる事を、忘れないでください”
“人生がどんなに困難に見えても、あなたが成し遂げられる何かが必ずある
はずです”
一躍、学会のスターになった、ホーキング博士。
その頃、ケンブリッジでは、行き交う車をものともせず、車道を走る博士の姿が
名物となっていました。
博士は37歳の時、ケンブリッジ大学のルーカシアン教授に、抜てきされます。
あのアイザック・ニュートン以来、大学で、代々、1人だけが任命されて来た、
最も権威ある役職です。 しかし、博士の病状は、悪化し続けました。
1985年、研究でスイスを訪れた時、ついに命の危機に陥ります。
喉の筋肉が衰え、自力呼吸ができなくなって、危篤状態に陥ったのです。
主治医は、命を維持するには気管を切開し、人工呼吸器に頼るしかないと、
妻に告げました。 博士は、命と引き換えに、声を失う事になったのです。
しかしこの時、アメリカから、思わぬ救いの手が差し伸べられました。
当時、コンピューターの技術者だった、ウォルター・ウォルトスさんとジンジャー
夫妻です。
2人は、ジンジャーさんの母親が、ALSを患ったのを機に、患者が意思疎通を
図るための特別なプログラムを開発していました。
ジンジャーさんは、言う。 “私の母は、ALSに何カ月も苦しんでいました”
“ホーキング博士が、言葉を取り戻すのを、手助けできるなんて凄い事です”
“人類のためにも、やるべきだと思いました”
ウォルトスさんは、1986年、博士の音声合成プログラムを、世界に先駆けて
完成させ、無償で提供。 後に代名詞ともなる、あの声が誕生したのです。
博士は、初めて、音声合成装置を使って、講義を行いました。
1分間に20語。 2~3分あれば、どんな会話も可能になりました。
ウォルトスさんは、言う。
“誰もが魅了されていました。 たくさんの質問が出ました”
“博士の返答には時間がかかりましたが、皆、辛抱強かった”
“あのホーキングが答えてくれるのだから、待とうと…”
言葉を取り戻した博士は、さらに精力的に研究を進めます。
当時、世界中に散らばっていた宇宙論の研究者たちをつなごうと、各国を
訪問して行ったのです。
特に世界を驚かせたのは、旧ソビエト連邦、ソ連への訪問。
当時ソ連は、アメリカなど、西側諸国と冷戦下にあり、激しく対立していました。
核兵器の開発競争の中で、物理学者同士の接触は、厳しく制限されていたの
です。
ホーキング博士は、ソ連に入国早々、当局に拘束され、空港に足止めされる
手荒い待遇を受けました。
この時、博士の生涯の友人となった、物理学者がいます。
アンドレイ・リンデさん。 現在、スタンフォード大学の教授を務めています。
ホーキング博士が、初めてソ連を訪れた時は、まだ大学院生でした。
リンデさんは、この時、博士の講演の通訳をする大役を務めていました。
博士は、当時、最新理論だったインフレーションについて、話し始めました。
インフレーションとは、宇宙の初期に起こった爆発、ビッグバンの、さらに前に
あったとされる現象です。
ホーキング博士が明らかにした宇宙の始まり、特異点。
そこからビッグバンまでの僅か1秒にも満たない間に起きた急激な膨張が、
インフレーションです。
ところが、この膨張が、どのように起きたものなのかは、全く分かっていません
でした。
実はリンデさん、当時、インフレーションについて説明する、有力な仮説を提唱
していました。
講演が進むうち、リンデさんは、博士がソ連の大物物理学者たちに向かって、
自分の仮説を説明している事に気付きます。
“博士は言いました。 最近、リンデが面白い仮説を出した”
“私は、喜んで翻訳しました”
リンデさんの仮説とは、マルチバース仮説と、呼ばれるものでした。
この仮説では、宇宙のあらゆる所から、たくさんのインフレーションが起き、
大量の宇宙が生まれたり、消えたりするとしています。
私たちの宇宙は、こうしたさまざまな宇宙の中で幸運にも生き残ったものだと
いうのです。
自分の仮説を紹介された喜びも束の間、リンデさんは、次の言葉に耳を疑い
ました。 だが、彼の理論は、完全に間違っている。
リンデさんは、その言葉を、そのまま通訳せざるをえませんでした。
“それは、私の人生の中で、最も馬鹿げた状況でした”
“私は、 スティーブン、もっと詳しく説明させてくれ! と、頼みました”
“すると彼は、 いいよ と、答えたのです”
リンデさんは、特異点から膨大に生まれる宇宙の中で、私たちの宇宙が生き
残った理由は、幸運だったからだと主張していました。
しかしホーキング博士は、幸運という言葉で片付ける事に激しく反対しました。
その理由を科学的に説明できなければ、仮説とはいえないというのです。
その後、ホーキング博士は、リンデさんら、ソ連の科学者たちを、たびたび
ケンブリッジに招きました。
年齢も立場も、そして東西の壁も越えて、純粋に議論を続けようとする姿勢に
リンデさんは感銘を受けたといいます。
“自分とは違う考え方を認める誠実さがあれば、議論は発展して行きます”
“スティーブンとは、それが可能だったのです”
さまざまな壁を越えて、世界中の科学者をつないだ、ホーキング博士。
それまでタブーとされて来た領域でも、踏み込んだ議論を試み始めます。
神は存在するのかどうか。
キリスト教信仰が根付いた欧米社会では、異例の問いかけでした。
ホーキング博士は、言う。
“神がいない事は証明できないが、科学的には神は不要だ”
“物理法則によって、宇宙は創造者がいなくても説明できる”
なぜ、博士は、神の存在を否定したのか?
その理由は、彼が追究し続けていた、宇宙の始まり、特異点に関わりがあり
ました。
特異点では、時間も空間もないため、神が宇宙をつくり出す時間などないと
いうのです。
“下を向かず、星空を見上げる事を、忘れないでください”
“人生がどんなに困難に見えても、あなたが成し遂げられる何かが必ずある
はずです”
一躍、学会のスターになった、ホーキング博士。
その頃、ケンブリッジでは、行き交う車をものともせず、車道を走る博士の姿が
名物となっていました。
博士は37歳の時、ケンブリッジ大学のルーカシアン教授に、抜てきされます。
あのアイザック・ニュートン以来、大学で、代々、1人だけが任命されて来た、
最も権威ある役職です。 しかし、博士の病状は、悪化し続けました。
1985年、研究でスイスを訪れた時、ついに命の危機に陥ります。
喉の筋肉が衰え、自力呼吸ができなくなって、危篤状態に陥ったのです。
主治医は、命を維持するには気管を切開し、人工呼吸器に頼るしかないと、
妻に告げました。 博士は、命と引き換えに、声を失う事になったのです。
しかしこの時、アメリカから、思わぬ救いの手が差し伸べられました。
当時、コンピューターの技術者だった、ウォルター・ウォルトスさんとジンジャー
夫妻です。
2人は、ジンジャーさんの母親が、ALSを患ったのを機に、患者が意思疎通を
図るための特別なプログラムを開発していました。
ジンジャーさんは、言う。 “私の母は、ALSに何カ月も苦しんでいました”
“ホーキング博士が、言葉を取り戻すのを、手助けできるなんて凄い事です”
“人類のためにも、やるべきだと思いました”
ウォルトスさんは、1986年、博士の音声合成プログラムを、世界に先駆けて
完成させ、無償で提供。 後に代名詞ともなる、あの声が誕生したのです。
博士は、初めて、音声合成装置を使って、講義を行いました。
1分間に20語。 2~3分あれば、どんな会話も可能になりました。
ウォルトスさんは、言う。
“誰もが魅了されていました。 たくさんの質問が出ました”
“博士の返答には時間がかかりましたが、皆、辛抱強かった”
“あのホーキングが答えてくれるのだから、待とうと…”
言葉を取り戻した博士は、さらに精力的に研究を進めます。
当時、世界中に散らばっていた宇宙論の研究者たちをつなごうと、各国を
訪問して行ったのです。
特に世界を驚かせたのは、旧ソビエト連邦、ソ連への訪問。
当時ソ連は、アメリカなど、西側諸国と冷戦下にあり、激しく対立していました。
核兵器の開発競争の中で、物理学者同士の接触は、厳しく制限されていたの
です。
ホーキング博士は、ソ連に入国早々、当局に拘束され、空港に足止めされる
手荒い待遇を受けました。
この時、博士の生涯の友人となった、物理学者がいます。
アンドレイ・リンデさん。 現在、スタンフォード大学の教授を務めています。
ホーキング博士が、初めてソ連を訪れた時は、まだ大学院生でした。
リンデさんは、この時、博士の講演の通訳をする大役を務めていました。
博士は、当時、最新理論だったインフレーションについて、話し始めました。
インフレーションとは、宇宙の初期に起こった爆発、ビッグバンの、さらに前に
あったとされる現象です。
ホーキング博士が明らかにした宇宙の始まり、特異点。
そこからビッグバンまでの僅か1秒にも満たない間に起きた急激な膨張が、
インフレーションです。
ところが、この膨張が、どのように起きたものなのかは、全く分かっていません
でした。
実はリンデさん、当時、インフレーションについて説明する、有力な仮説を提唱
していました。
講演が進むうち、リンデさんは、博士がソ連の大物物理学者たちに向かって、
自分の仮説を説明している事に気付きます。
“博士は言いました。 最近、リンデが面白い仮説を出した”
“私は、喜んで翻訳しました”
リンデさんの仮説とは、マルチバース仮説と、呼ばれるものでした。
この仮説では、宇宙のあらゆる所から、たくさんのインフレーションが起き、
大量の宇宙が生まれたり、消えたりするとしています。
私たちの宇宙は、こうしたさまざまな宇宙の中で幸運にも生き残ったものだと
いうのです。
自分の仮説を紹介された喜びも束の間、リンデさんは、次の言葉に耳を疑い
ました。 だが、彼の理論は、完全に間違っている。
リンデさんは、その言葉を、そのまま通訳せざるをえませんでした。
“それは、私の人生の中で、最も馬鹿げた状況でした”
“私は、 スティーブン、もっと詳しく説明させてくれ! と、頼みました”
“すると彼は、 いいよ と、答えたのです”
リンデさんは、特異点から膨大に生まれる宇宙の中で、私たちの宇宙が生き
残った理由は、幸運だったからだと主張していました。
しかしホーキング博士は、幸運という言葉で片付ける事に激しく反対しました。
その理由を科学的に説明できなければ、仮説とはいえないというのです。
その後、ホーキング博士は、リンデさんら、ソ連の科学者たちを、たびたび
ケンブリッジに招きました。
年齢も立場も、そして東西の壁も越えて、純粋に議論を続けようとする姿勢に
リンデさんは感銘を受けたといいます。
“自分とは違う考え方を認める誠実さがあれば、議論は発展して行きます”
“スティーブンとは、それが可能だったのです”
さまざまな壁を越えて、世界中の科学者をつないだ、ホーキング博士。
それまでタブーとされて来た領域でも、踏み込んだ議論を試み始めます。
神は存在するのかどうか。
キリスト教信仰が根付いた欧米社会では、異例の問いかけでした。
ホーキング博士は、言う。
“神がいない事は証明できないが、科学的には神は不要だ”
“物理法則によって、宇宙は創造者がいなくても説明できる”
なぜ、博士は、神の存在を否定したのか?
その理由は、彼が追究し続けていた、宇宙の始まり、特異点に関わりがあり
ました。
特異点では、時間も空間もないため、神が宇宙をつくり出す時間などないと
いうのです。
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