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ホーキング博士アインシュタインの相対性理論に指摘した?
2020年06月22日 (月) | 編集 |
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ホーキング博士は、言う。  “婚約した事は、私の精神を大いに高揚させた”

“結婚するなら、博士論文を仕上げ、職を得なくてはと気付いた”

“私は、研究に打ち込むようになり、それを楽しんだ”

その後、病気の進行は、医師も驚くほど遅くなり、博士は大学に研究員として
採用されます。

車イスの生活が始まりましたが、かろうじて、人と話す事は可能でした。

博士が取り組んだのは当時、実証するのが難しいと科学界で敬遠されていた
宇宙論。 頭の中だけで組み立てられる、数式の研究でした。

“私は、理論物理学に関われて幸せでした”

“障害が不利にならず、全てを頭の中で出来るからです”

“人生の期待値がゼロになったため、1日1日がボーナスに思えて、全てに
感謝するようになりました。 生きてさえいれば、望みはあるのです”

1966年、ホーキング博士は弱冠24歳で完璧と思われていたアインシュタイン
の相対性理論に、欠陥があると指摘し、世界を驚かせます。

当時、宇宙論の世界では、宇宙に始まりがあるかどうかが、大きな議論と
なっていました。

しかし、多くの研究者は、始まりがあるとする事に、反対していました。

その理由です。

仮に宇宙に始まりがあるとすれば、現在の宇宙にある全ての星などの質量が
その時、1点に集まるはずです。

これをアインシュタインの相対性理論で計算すると、質量が無限大となり、
計算不能に陥ってしまうのです。

そのため、宇宙論の研究者のほとんどが、宇宙に始まりはなく、永遠に続いて
いるはずだと考えていました。

ところがこの状況を、ホーキング博士は、逆手に取ります。

アインシュタインの相対性理論で計算不能とされた点について、徹底的に
研究したのです。

実は当時、無限に重い物体が1点に集まった不思議な天体、ブラックホールの
存在が予言されていました。

博士は、ブラックホールの中心と宇宙の始まりは、数学的に同じであることを
明らかにします。

そして、宇宙には始まりの点、特異点がなければならない事を、理論的に
証明したのです。

“ブラックホールと宇宙の始まりには、同じ議論が使えると思い付いたのです”

“これにより、宇宙には時空が破綻する、始まりがあると証明できました”

この成功により、華々しく宇宙論の世界にデビューした、ホーキング博士。

更に、その名声を決定的にする、理論を打ち立てます。

その瞬間が訪れたのは、1970年。

長女が生まれて間もない、ある晩の事でした。

“娘のルーシーが生まれて数日後、私に、発見の瞬間が訪れました”

“ベッドに入ろうとした時、ブラックホールが、本当は暗黒ではないと閃いたの
です。 ブラックホールは熱を持っていて、石炭のように赤く光るはずだと”

それは、あらゆるものを、のみ込んでしまうはずのブラックホールから、粒子が
次々と飛び出て、やがてはブラックホール自体が消えてしまうという理論的な
予想でした。 この予想は、ホーキング放射と名付けられています。

ホーキング博士は、一体、どんな風に発想したのか?

博士の弟子で、最後の論文を一緒に書いた教授が教えてくれました。

“台所にあるものを使って、ホーキング放射を説明しましょう”

“このホットプレートの中のポップコーンを、ブラックホールの中の小さな粒子と
思ってください。 この粒子、つまりポップコーンが温められると、どうなるか?”

“時々、ブラックホール、つまり、ホットプレートの上から逃げ出すのです”

一体、何を言っているのだ?と、思われたかも知れません。

改めて、詳しくご説明しましょう!

全てをのみ込むといわれる、ブラックホール。

でも実は、その中に、これを越えたら戻って来られないという境界、事象の
地平面が存在するのです。

その境界ギリギリの場所を注意深く見ると、そこでは粒子が生まれたり、消え
たりを、繰り返しています。

ブラックホールからエネルギーをもらって粒子が生まれる、対生成(ついせい
せい)と呼ばれる現象です。

この対生成した2つの粒子は正反対に飛ぶため、時々、片方がブラックホール
の外に飛び出します。

こうして粒子が飛び出すたびに、ブラックホールからエネルギーが奪われて
行きます。

その結果、ブラックホールから次第にエネルギーが拡散し、最後には蒸発して
なくなってしまうと、博士は考えたのです。

全てをのみ込むブラックホールが消える事などあり得ない。

常識外れの予想に、多くの科学者が反論を試みました。

しかし、間違いは、一切、見つからなかったのです。

ホーキング博士は、言う。

“この理論によって、私の研究に新たな道が開けました”

“ALSという病が、考える事や功績を立てる事、そして人生を前向きに歩んで
行く事の妨げにならないと証明できたのです”

ホーキング博士の名声はさらに高まり、30代にして、宇宙物理学をけん引する
中心的存在となったのです。