2023年11月27日 (月) | 編集 |
FC2 トラックバックテーマ:「あなたの日常の小さな幸せは何ですか?」
“こんにちは、みんな元気?今日のトピックは、リクエストの多かった口紅!”
伝統的でありながらトガっている。 クラシックでありながら、驚くほどモダン。
とても女性的。 でも、大胆でパワフル。 全てが一緒くたになっています。
“唇に色を塗ろうと思った。 最初の男性、もしくは女性は?”
口紅を塗る行為には物語があります。 その時の社会や世相について語って
いるのです。 “リップを塗っているところよ”
赤い口紅は何世紀にもわたって人々に親しまれてきました。 口紅は社会の
歴史を教えてくれます。 私たちが時代に何を求められ、どのように自己表現を
したかをね。 それが、小さな口紅の中に詰まっているのです。
“ここはレストランの厨房ではありません。 有名な美容研究所のラボです。
製品は正確に計量して作られ、一定の基準満たしています”
一般的に口紅とは、オイル・ワックス、そして顔料を混ぜ合わせたものです。
特徴をつけるために、その他の材料を加えることもあります。 例えば長く保存
できるように防腐剤を混ぜたりします。
その他、色持ちをよくするとか色移りを防ぐためにシリコンを配合したりします。
これらを混ぜ合わせ、うまく溶け合うように熱を加えます。そして型に流し込む
直前に香料を加えるのです。 私は、バラの香りを使うことが多いですね。
時代を超えたクラシックな香りですからね。 誰にとっても、いい思い出や、
ステキな体験、愛された記憶と結び付いています。 前向きで懐かしくもある
感情を呼び起こすのです。
私達、誰もが共感できるモノには何かがあります。心を揺り動かされる何かが。
それが使われてきた時代や、使っていた人々に、私たちは思いをはせます。
昔の女性たちが使っていたモノを、実際に手にするのは、とても感動的です。
過去がよみがえってきます。 口紅は化粧品ですから、過去の感覚を呼び
覚ますのです。 見て、触って、匂いを感じると1920年代や1940年代のように
いつの時代にもタイムスリップできます。 病みつきになりますよ。
“これ見て! これってマジで… 衝撃だわ! あり得ない!”
“フォロワーのみなさん、こんにちは。 今日はメイクや口紅にいてだよ!
みんなから、口紅は、いつからか使われているの?と、よく質問されるけど、
実は、よく分かっていない。 でも唇を彩る行為は、美容の歴史では最も古い
習慣なんだ”
体を飾り立て、唇を彩りたいと思う衝動は、太古の昔から存在します。 私が
思うには、イブが恥ずかしい部分を隠そうと、イチジクの葉を見つけ、エデンの
園を追い出された時からでしょうね。
イブは口元を引き立たせようと、ゼラニウムやバラを探したの。 昔から続いて
いるのです。 ‘化粧品は古代の発明です。 エジプト王の墓から、甘い香りの
する軟膏の入ったツボが発見されました’
私が大好きな古代エジプト史の中でも、特に気に入っている発見があります。
トリノに保管されている絵の描かれたパピルスで、私が正しければ、ヌードの
パピルスとして唯一、知られるものです。
言ってみれば、パピルスに描かれたポルノグラフィーといった感じでしょうか。
裸の女性が、男性器のようなものの上に座っていて、そこで口紅を塗って
います。
“今日のテーマはクレオパトラをイメージしたエジプトの女神。 ダークチョコ
レート色の女王ルックよ!”
人は何千年も前から、赤い口紅を塗って来ました。 始まりは紀元前2500年
頃で、女性が赤い口紅を塗っていた記録が残っています。 その時代は石や
赤土を砕いて作っていました。
そのため鮮やかではじける様な紅色ではなかったでしょうか。唇を赤く塗って
いたのは確かです。 古代エジプトでは化粧する理由が、たくさんありました。
砂漠気候のもとでは肌を、しなやかに保つ手だてが必要でした。 油や軟膏を
塗ることが、とても重要だったのです。
宗教的な理由もあり、炭で目を、くま取る事は、呪いのまなざしを取り払う力が
あるとされました。 さらに口紅を塗ってフルメイクをして。 ところであなたなら
どうやって自分を女王らしく見せますか?
時代をグッと進めて口紅を象徴する、もう一人の人物エリザベス1世について
考えてみます。 女王の姿は、当時の肖像画によって知ることができます。
口紅には、さまざまな物を使っていました。 その一つが、コチニールです。
コチニールが何だか、みんなは知ってる? 実は、植物に寄生する昆虫なの
です。 ちょっと気持ち悪いけど、すごく発色がいいから、エリザベス1世には
ピッタリだよね。
あらゆる化粧品と同じ様に口紅もその当時の社会背景と結び付いています。
切り離しては語れません。 顔を彩るメイクは時代の欲求や時の移り変わりを
反映してきました。
口紅をはじめ、唇にまつわる表現は、大きく変化していくのです。 18世紀は、
メイクが最も盛んに行われた時代でした。 宮廷では、メイクをする事によって
一種の仮面のようなものを、作り出していたのです。
メイクは、貴族と民衆を区別するものでした。 貴族社会では、女性も男性も
行っていました。 おしろいに、頬紅や口紅を施した顔は、貴族の証しです。
メイクは人工的な外見を作り出し、実際とは、かけ離れた姿にします。
デフォルメされたメイクは、虚構の世界を創り出すのです。
“唇が、すごく乾燥する。 でも気にしない。 美のためよ”
美しくなるために、人々は常に、危険な物質を使用してきました。
かつて辰砂(しんしゃ)・水銀・硫化物などの有害物を一塗りして、愛らしい赤い
唇を作っていたなんてショッキングですが、現代のボトックスなどの注入材料
フィラーは、どうでしょうか? 唇に入れるフィラーも、考え方は同じです。
私たちは美という名のもとに、体に危険が及ぶ恐れのあることを、してきたの
です。 口紅を塗ると、どうしても、その一部が体内に入ってしまいます。
統計によれば、平均的な女性は、一生のうちに、4キロ近い口紅を摂取する
事になるそうです。 ホントに驚きですよね。
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19世紀の終わりまで、何の規制もなかった。 何一つね。 化粧品は、とても
毒性が強くて死ぬこともあった。
フランス革命が起こると、王族は首をはねられ、人工的なメイクは廃れます。
旧体制の象徴として、全面的に禁止されました。 つまり18世紀に、貴族と
民衆を隔てる社会的な線引きだったメイクが、道徳的な線引きに変化したの
です。 一方に、社会的階級に関係なく、慎み深く生きる女性。
労働者や農民であろうと、貴族やブルジョア、商人であろうと、女性はメイクを
許されませんでした。 もう一方に、いわゆる不道徳な生き方とされたメイク
する女性。 売春をなりわいとする女性などです。
赤く塗った唇は、売春宿の前に掲げられた、赤いランタンと同じメッセージを
発していました。 作家モーパッサンは、こうした価値観に着目し、メイクした
唇は、どこか下品な感じのする傷口に似ていると表現しました。
メイクは負の烙印となったのです。 女性がメイクや口紅を施すのは人工的な
美しさによって純粋な男性を陥れる為だという考え方は今でも残っています。
無意識のうちに形づくられたメイクに対する偏見は、まだまだ根深く存在する
のです。
キリスト教が広まるにつれ、顔を装飾することは、より一層、詐欺やペテンと
結び付けられるようになりました。 悪魔の仕業であると。 メイクをしようもの
なら、ふしだらな毒婦にされました。
神が作り出したものに手を加えることは罪と見なされたのです。 顔に何かを
塗ることが許されなかった時代、劇場だけは例外でした。 19世紀は演劇が
大流行していたからです。
当時のフランスの女優サラ・ベルナールは、スーパースターで、現代のキム・
カーダシアンのような存在でした。 大きな影響力のあるインフルエンサー
だったのです。
彼女は食事に出かけるとディナーテーブルで口紅を塗り直しました。 それは
とても画期的な事でした。 瞬く間に口紅は流行し、タブーではなくなりました。
口紅が特別ではない、一般的なものとして受け入れられるようになったのは、
サラ・ベルナールのおかげです。
19世紀の終わりには、変化が起きていた。 女性たちはデパートやオフィスで
働き、自分たちの権利のために闘い始めた。 そこに登場したのが、イギリス
などの女性参政権活動家たち、サフラジェット。 サフラジェットと赤い口紅には
強い結び付きが。
‘サフラジェットがデモ行進を続けています。 隊列は膨れ上がり、大勢が
女性解放を求めて前進しています。 今や大学や知識人も支持しています。
この活動に階級の区別はなく、あらゆる人々が参加しています’
大衆紙はデモに参加していた女性たちを旗を振り回す武骨な醜い集団として
描きましたが、現実は全く違っていました。 サフラジェットは、身なりについて
デモを行う前に、何時間もかけて計画したのです。
“今日はサフラジェットの装いを教えるわね!” 目的は世論を味方につける
ことでした。 サフラジェットは、男性の格好を多少、真似たような姿では、この
闘いに勝てないと初めから理解していました。
やがて、アメリカのサフラジェットが始めた口紅をシンボルとして使う活動が、
衝撃を与えました。 1912年、ニューヨークで2万人ものサフラジェットが
参政権を求めてデモ行進した。
みんな、赤い口紅を塗っていたのです。 革新的なことだね! デモ隊は、
マンハッタンの5番街に入り、エリザベス・アーデンのサロンの前を通った。
美容業界のトップを狙うエリザベス・アーデンは、彼女たちに、赤い口紅を
手渡し始めたのです。 全てのサフラジェットに赤い口紅を!と、名案だよね。
赤い口紅は、サフラジェットに女性としての力を感じさせ、その力を表現する
方法を与えました。 それこそが彼女たちの伝えたかった事です。 私たちは
賢く、思慮深い人間である。 そして女性であり、それを恥じる事はない!と。
口紅は、そのメッセージを、視覚的に伝える最適な手段でした。 イギリスや
アメリカの多くのサフラジェットにとって、赤い口紅を塗る事は、連帯を示す
役割を果たすことになります。 私は女性よ! 私の叫びを聞いて! と、旗を
振っているのと同じです。
第1次世界大戦後、新時代の女性たちの登場とともに、新しい女性らしさが
生まれます。 コルセットが消え、スカートもヘアスタイルも短くなりました。
大切なのは、快適さと、自由に動けることです。
こういう物は胸がトキメキますね。 これが最後に使われたのは、1920年代。
当時の香りね。 イケてる女たちフラッパーの楽しさが伝わってきます。 新しい
女性像が生まれます。 解放された女性、それがフラッパーです。
若く、現代的で、公の場でメイクをする事も躊躇しません。車を運転し、自分で
生計を立てます。 メイクは、もはや負の烙印ではありません。 さらに、ある
発明によって、メイクの人気は一段と高まります。 映画です。
女性の顔が、これまでにないほど、クローズアップされて映し出されたのです。
新しい視覚体験でした。 画面いっぱいに拡大されて映される顔。 そこには、
モノクロのコントラストによる美学が生まれていました。
青白い肌にスモーキーなアイメイク。 そして真っ黒に近い唇です。 そうして
映画スターが現れ始めます。 例えばセダ・バラ。 ミステリアスで妖艶な姿から
無声映画で初めて、妖婦と呼ばれた魔性の女性でした。
そしてクララ・ボウは、口紅で形を作ったハート形の小さな唇で知られました。
メエ・マレーは赤く、ぷっくりとした唇で有名な女優です。その唇はハリウッドの
撮影所で美容アドバイザ-だったマックス・ファクタ-の工夫から生まれました。
彼は唇全体にファンデーションを塗った後、口紅を付けた親指を上唇に2カ所
下唇に1カ所、押し当てたのです。 唇と映画スターを語るうえで欠かせない
のが、郵便ポストの差し入れ口のような唇をした、ジョーン・クロフォードです。
マックス・ファクターは彼女の唇も塗りつぶし、リップラインをのばして、狩人の
弓と例えられた、美しい弓型に整えました。 その大きな口は、彼女の代名詞
となり、大勢の女性たちが、まねをしました。
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口紅を塗った唇は強さをイメージさせ、口紅は力を強調する道具となりました。
人は映画で見た物を実際に欲しくなるものです。 そして口紅は、誰のハンド
バッグにも入れられ、どんな女性の唇にも塗られるようになりました。
口紅の普及には、もちろん、広告も貢献しました。 当時の広告は、本当に
美しい。 イラストで描かれていてね。 ごく細い線で、詳細まで描かれた
ポートレートとか。 唇には、赤い色が載せられてた。 現実は、かけ離れた
繊細なもので、まるで夢のよう。
その後、生産技術とマーケティングが進歩します。筒状の容器に入った口紅が
発明され、大量生産が可能になると、職人による手作りの化粧品は、取って
代わられました。
先駆者や発明家、化学者の登場、顔料の発見、そして新しいパッケージの
開発など全てが一気に進んだのです。 それと同時に、どこにでも、この新しい
魔法の杖が簡単に手に入るよう近代的な流通ネットワークが構築されました。
こうした製品を提供する会社は、まだ多くありませんでした。そのためビジネス
チャンスは、いくらでもあったのです。 つまり当時、口紅などの化粧品業界が
女性たちに自分でビジネスを興して経営者になるチャンスや裕福で自立した
成功者になる機会をもたらしたのです。
エリザベス・アーデンやヘレナ・ルビンスタイン、アダム・C.J.ウォーカー
といった、女性たちが男性中心の時代に起業できた事は、ここ数100年の
ビジネスの歴史において非常に重要です。
口紅が存在していなかったら、彼女たちは、事業を興せなかったでしょう。
エリザベス・アーデンは、真っ赤なドアの付いたサロンを作り、憧れの場所に
したのです。
さらに上流階級が、お買い物をする、デパートで販売するようになります。
女性達は、そこで何か特別なものを手に入れる様に化粧品を買ったのです。
女性たちの心理に大きな変化が起こり、次々に化粧品を買い求めます。
曜日ごとにコンパクトをかえたり、色を買い揃えたり。 でも突然、待ったが
かかります。 第2次世界大戦です。
‘目覚めよ、アメリカの女性。 目覚めよ、アメリカの夫人’
第2次世界大戦中、口紅は、アメリカとナチスドイツを隔てる、戦線の象徴の
ようなものでした。 両者とも、戦争を遂行していくうえで、女性の力を重要と
考えていました。
1930年代初頭、ナチスが権力を握るようになると、すぐさま女性らしさを定義
するプロパガンダが始まります。 女性は清純でなくてはならず、化粧をしては
ならない。 人工的なものは一切禁止!自分を変えようと思ってはならないと。
ナチスにとって口紅は、今で言う、西側の象徴でした。 アメリカやハリウッド
そのものです。 つまりナチスが否定するもの、全てだったのです。 そして、
口紅も、邪悪なものとしました。
ヒトラーは、特に口紅をした女性を、嫌っていたといわれています。 だから、
ヒトラーに抵抗する女性たちは、赤い口紅を塗り、連合軍への支持を表明した
のです。 女性たちは、まるで、戦化粧のようにメイクしました。
軍隊に入隊し、実際に、戦闘に参加している女性にとって、口紅は、軍服の
一部だったのです。
“軍公式の赤い口紅を初めて作った人は?親愛なるエリザベス・アーデン!”
彼女は、その色を、モンテスマ・レッドと名付けました。 海兵隊の軍歌の中に
アステカ最後の皇帝モンテスマの名前が入っていたから、とも言われます。
当時、口紅には戦争っぽい名前が付いていた。パトリオット・レッドにブラボー。
え~っと、他には… ファイティング・レッド、ビクトリー・レッド。 赤は時代を
象徴する色だった。私が欲しいのは男性社会は、もう、おしまいレッド…かな。
このビデオは、もっと楽しいわよ! 2種類のバージョンがあるの。 これから
私が紹介するのは1940年代の文化的アイコンだったリベット打ちのロ-ジ-。
彼女は第2次世界大戦中に、工場で働いていた女性たちの象徴だった。
男性が出征したあと、軍服を作り、銃や武器を供給していたのは、工場で
働いていた女性たちよ。 ロージーは、フェミニズムや女性の地位向上運動の
先駆けね。 ウィー・キャン・ドゥ・イット!って。
ロージーのポスターは、人々を勇気づけました。 彼女は時代の寵児でした。
ロージーは、かなり立派な体格の持ち主です。足でヒトラーの著書、わが闘争
を踏み潰しています。
彼女は、絶対的な力の象徴でありながらも、鮮やかな赤い髪をして、口紅を
さしてます。
リベット打ちのロージーは広告上のシンボルにしては曖昧で、どっちつかずな
存在です。 彼女がアメリカの工場のポスターに登場したのは、1943年2月。
長引く戦争で、女性労働者の士気を高める必要があったのです。
でも、それだけではありませんでした。政府は女性達に、こう呼びかけました。
女性らしさを忘れないこと。 男性になれとは言ってません。 戦争に貢献して
もらいたい。 でも、伝統的な女性らしさを守り、メイクをしてステキな女性で
いましょう!と。
戦争で男性達が動員される中、性別による役割が消滅するのを避けたかった
のです。 戦争のあと、誰もが自分の本来の居場所に、疑問を持たないように
する必要がありました。
そして戦後は、どうなったか? 男たちが帰ってきた。 夫や恋人たちが帰還し
女性たちは家庭に引き戻された。
‘彼を休ませてあげたら、キッチンでケーキを焼くはめに…’
男性が帰って来ると、女性は職場を離れ、家庭に戻らねばなりませんでした。
なぜなら、ベビーブームが必要だからです。
亡くなった人たちの分を補充し、経済を立て直さなければなりません。 それが
どのようにファッションやメイクに反映されたかというと、信じられないほど女性
らしいボディーラインが舞い戻って来たのです。 コルセットの復活です。
突き出たバストに、くびれたウエスト、そして大きく広がったスカート。 貴重な
配給素材を、たっぷり使ったロングスカートです。 そして女性らしさたっぷりの
メイク。 大きく強調された、女っぽい唇です。
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工場でロージーのように働いた女性たちは、今度は完ぺきなレディーになる
事を求められたのです。 これは、グラマー・リップス。 ハリウッド御用達の
グラマラスな唇を作るメイク道具です。
キューピットの弓のような唇が描けます。 完ぺき、完ぺき。 50年代は全てが
完ぺき!という言葉で飾りたてられました。 1948年以降、アメリカ人女性の
9割が、口紅を毎日、付けていました。 社会現象です。
戦争による物不足や苦難、悲しみのあと、人々が自分を美しく見せたいと思う
のも、メイクをしたいと願うのも無理はありません。 それまで不可能だった
消費行動を、社会全体が促すのも当然のことです。
そして大量生産方式は、化粧品業界にも影響を与えました。 女性の権利を
求めた20世紀初頭のサフラジェットと、あとの世代。 それぞれが、どう口紅を
活用したか比較すると面白いですね。
1950年代には、口紅は、アメリカの主婦の象徴でした。 当然、大きな市場が
見込まれます。 エリザベス・アーデンやヘレナ・ルビンスタイン、レブロン、
エスティローダーといった化粧品業界のブランドが、しのぎを削り合いました。
そのライバル関係は、口紅戦争と呼ばれるほどだったのです。
‘それでは、みなさん、ボブの話に耳を傾けましょう。 ソフトタッチを使っている
彼女を見てください。 口紅が付きません’
テレビ広告は、口紅戦争における強力な武器でした。 なぜなら、誰もが同じ
テレビ番組を見ていたからです。 当時は今のように、たくさんのチャンネルも
山ほどの番組もありませんでした。
そのため誰もが見ている番組でテレビ広告をしたブランドは、一気に知名度を
上げることができたのです。 ‘これまでにない赤色です。 消防車よりも
鮮やか。 バラよりも美しい’
“ファイア・アンド・アイスは、オレンジっぽい赤。 どんな感じかな?”
1952年、レブロンが行った広告キャンペーン、ファイア・アンド・アイスは、
女性の内なる葛藤を表現したものでした。
女性のみなさん、あなたは、小悪魔的な炎タイプ? それとも、おしとやかな
氷タイプ? 初めて、美と心理学を結び付けたのです。 当時としては画期的
でした。 さらに、このキャンペーンは、広告の歴史上の転換点となりました。
女性の体が持つ性的魅力を強調したからです。 片面は、モデルのドリアン・
リーの写真。 その裏に、15の質問がある。 ファイア・アンド・アイスにふさわ
しいか? 質問に答えてください。
次に出会う男性が、精神科である事を、ひそかに期待している? だって。
2問目。 ほかの女性から恨まれていると感じる? もちろん、毎日。 毛皮に
ワクワクする? ほかの女性が着ていたとしても? ひどい質問。
15問のうち8問以上、イエスと答えたなら、あなたはファイア・アンド・アイスな
女性。 この口紅は、まさにピッタリ。 “あなたを私のものに…あら、見てた?”
赤い口紅は、グラマラスな女優と、切っても切り離せない関係になりました。
口紅を含めて、あらゆる方法で、女性らしさが誇張されたマリリン・モンローの
イメージ。
彼女のメイクアップアーティストは映画を撮影する際、何種類かの口紅を組み
合わせて使っていました。 唇の端は濃い色で囲み、中心に向かって明るい
色を使い、上唇の山の部分は、少し、とがらせます。
マリリン・モンローを見ると、口紅がスターのアイデンティティーの一部になって
いった事が分かります。 口紅は、マリリンのトレードマークでした。 彼女は、
天然色映画の申し子です。
白黒の無声映画時代のスターとは異なり、血の通った生身の女性です。
赤い唇は挑発的で、色気に満ちて、人を惑わす力がありました。
その後、マリリン・モンローの唇はアンディ・ウォーホルやトム・ウェッセルマン
といった、アメリカの画家たちの ホップアートによって、皮肉交じりの表現の
題材にされます。
赤い唇は過剰なまでの女性らしさに対する批判、そして盲目的に大量消費へ
突き進み、破綻していく社会に対する批判として表現されました。
‘美とは何でしょう? 内側から生まれるもの、目の輝きです。 女性は自分が
美しいと感じる時、誰よりも強くなります’
次第に、この過剰な女性らしさを拒否する動きが生まれ始めました。 1950年
代の母親たちと、その娘たちとの間に、亀裂が生じます。 娘たちは、もっと
気軽に遊び心のある口紅の使い方をするようになります。
シンプルなメイクを望んでいたのです。 1960年代に入ると、完全に変わりま
した。 60年代のアイコンと言ったら? ツイッギーです。 身長167センチ、
体重41キロ、バストは、およそ77センチの16歳。
これが、60年代の理想のスタイルです。 ツイッギーをはじめとした、十代の
若者たちが服装やメイクなど、あらゆるトレンドを作り出します。 目指していた
のは、大きな目に、青白い唇をした、細身なガーリー・スタイル。
白い口紅です。 真っ白ですね。 時代の力は、若者たちが握っていました。
口紅は言葉を話します。 無言ではありますが、何かを伝えることができるの
です。そして口紅に背を向ける女性たちによるアンチ口紅運動が現れました。
口紅を塗らないことで何かを伝えるのです。 そこに意味があります。 当時、
自然への回帰や、快楽の開放が新たな価値観となり、女性たちは、完ぺきな
主婦や OL のようなメイクをしなくなりました。
ヒッピーは、口紅に大反対だった。 彼らにしてみれば、メイクも主婦も、あり
えない。 そうやって口紅は、下降線をたどっていった。
1968年に、アトランティックシティーで行われた美人コンテスト、ミス・アメリカで
女性たちは口紅を自由のゴミ箱と呼ばれたクズ入れに投げ入れた。女性への
固定観念を打ち破ろうとしている事を示すためにね。 口紅は、退場!って。
‘ベティ・フリーダンの著書、新しい女性の創造に触発され、女性たちは抗議
活動を始めました’
口紅を塗る行為には、さまざまな意味合いがあります。 女性解放の証しとして
塗る人もいれば、口紅を塗る事で、伝統的な規範に服従していると感じる人も
いるでしょう。 口紅には、二面性があるのです。
歴史上、口紅が尊重される時代もあれば、そうでない時代もありました。 振り
返れば、口紅は、美の表現として1つの方向にだけ、進化してきたわけでは
ありません。
実際、1970年代には、カウンターカルチャーと結び付いた事もあったのです。
ド派手なメイクの偉大なパイオニアと言えば?パンクロッカーです。 郊外から
やって来た、ごく普通の若者たちから始まり、世界中で流行しました。
お金や社会階級とは関係ありません。 文字通り、ストリート・スタイルです。
そして化粧品やメイクは、原点へと回帰します。 大切なのは、同族的な
連帯感を生み出すこと。 パンク・メイクは、仲間意識のたまものでした。
パンクファッションは、仲間とのつながりの表現でした。 前の世代に対する
とてつもなく派手な、反抗の証しだったのです。 イギリスやアメリカのパンク
ロックの黎明期、スージー・スーやデボラ・ハリーのようなパンクロッカーは、
反抗のしるしとして、赤い口紅を塗りました。
マイクロミニのスカートを履いたり安全ピンを身につけたりするのと同じ反抗の
表現です。 赤い口紅は、トガったアグレッシブさの究極的な表現なのです。
パンクの目的は、フェミニスト的な態度で男性たちに訴えることではなく、上層
階級に衝撃を与える事でした。 口紅は古い慣習に対する抵抗の象徴だった
のです。
‘前は、どんな感じ? カワイイ系。 髪の色は? 金色っぽいブロンド
長さは? このぐらい。 髪型は変えてたけど、いつも長くしてた。 友達が
私の髪を切っちゃって、ママをごまかそうとしたけど、バレた。 髪が椅子の
上にある!だって’
黒い口紅は、3年ぶりくらい。 今日は、試してみる! 黒い口紅は大好き!
恐れ知らずで大胆不敵だけど、すごく美しくなれる。 敬遠しがちだけど、バラ
ンスに気をつけてメイクすれば、黒って、とっても美しい色だと思う。
赤の次に来るかも! リアーナが、ダークレッドの口紅をしている映像を見て
感動した。 なんて、カリスマ的なんだろ。 キレイ!って。 唇も爪も、黒で
合わせる。 男に、黒いネイルとリップは映えるんだ。 ブルーもね。
雰囲気によっては、ほかの色もいいと思う。 控え目なピンクや、つややかで
目を引く赤とか。 遊びに行く時や、洋服に合わせたい時には、鮮やかな
ブルーもいいよね。前にコメントで印象的な口元は誰?と質問されたけど…。
‘出発! トランスセクシュアル星へ。’ ティム・カリーの事を話してもいい?
真珠のネックレスに、あの口元。 まさにクレイジー! 何人か挙げるとしたら
たくさんいるけど、マドンナやボーイ・ジョージ、ミック・ジャガー。
デヴィッド・ボウイは、どうでしょう? 彼の姿は、LGBTQなど、自分の性別や
セクシュアリティーについて悩んでいた、多くの人たちを解放するものでした。
メイクのもう一つの役割は、人々が本当に必要としている扉を、開いてくれる
ことです。 リル・ナズXや、ヤングボーイ・ネヴァー・ブローク・アゲインも、
口紅を塗っている。 僕にとって口紅を塗るのは、ささいな事なんかじゃない。
幸せな気分になるから小さな頃から塗ってきた。 でも僕は外の世界に対して
鈍感というか、よく分かってなかったのかもしれない。 だから今は、安全だと
思う時だけ塗る。だって男が口紅を塗っていると、みんな、すぐに気付くんだ。
良くも悪くも、反応を引き起こしてしまう。 人を刺激するんだ。 すごく男らしい
人たちの側を通った時、彼らが自分よりも男らしいと感じて、男としての自分に
自信が持てなくなって、とても居心地が悪かった。
昨日、カールがメイクして現れた時、何の違和感もなかったわ。 メイクしてる
なんて、全く考えなかった。 ただ、そのリップかわいいって思っただけ。今後、
口紅を頻繁に使っていくかどうかは分からないけど、この前、仕事場に向かい
ながら、今、まさに、人生について悟った!って思った瞬間が、あったんだ。
やりたいなら、何だって、やっていいし、なりたい自分でいて、いいって。
その事を実践してるだけだけど、すごく、いい気分。
今の人は、他人と違うところを大胆に誇張します。 例えそれが、昔の人が
美として表現したものとは異なっていてもです。 メイクと口紅の歴史は、
驚きに満ちています。 常に、新しい考え方が生まれます。
その一方で、環境や製法、パッケージ廃棄について、疑問も生じています。
リサイクルしないの? 環境に対する責任について、これだけ話題になっても
口紅による環境汚染を止める解決策は、まだない!
使用期限切れのメイク用品を捨てようと思ったの。 でもダメ!環境に悪い!
もっといい方法があるはず! 口紅を使い切っても捨てないでね!水を注いで
キャップをして、冷凍庫に入れる。 すると… 目の下の腫れに効果的!
現代の美について思うことは… 昔の若かった頃を思い出すと自分にとっての
世界は、友人や地元の町で成り立っていました。 雑誌で外の世界をかいま
見ても、実際に影響を受けるのは、顔見知りの狭い範囲からでした。
しかし今や世界は、すぐそこにあります。 ポケットの中にね。 至る所で人の
顔を見ることができます。 世界中の人々が、常に画像を交換し合っているの
です。
携帯電話や自撮りが普及し誰かの顔が、いつでもどこでもあふれている中で
口紅に重要な役割が生まれています。 口紅は多くの場で、パワフルな
メッセージを伝えています。 だからこそ、あらゆる所で目にするのです。
例えば2021年1月にポルトガルで行われた大統領選挙では、性差別発言を
した極右の立候補者に対して男性も女性も口紅を塗って、その写真をネットに
アップして抗議しました。
口紅は、またも政治や社会を改革するための、力強い手段となったのです。
赤い口唇は、売春婦を意味するわけじゃない。 誰だって口紅を塗っていい。
黒人でも、ゲイでも、誰でも。 自分らしさを批判される筋合いは、ない!
間違いなく、口紅には、語るべき物語があります。 メイクや美しさを、取るに
足らないと片付けるのは簡単ですが、自分を表現する手段は、本当に取るに
足らないでしょうか?
とても重要なことです。 ボタン1つで、世界とつながることができる現代では、
どうでしょう? もしかしたら、過去にないほど重要かも知れません。
“こんにちは、みんな元気?今日のトピックは、リクエストの多かった口紅!”
伝統的でありながらトガっている。 クラシックでありながら、驚くほどモダン。
とても女性的。 でも、大胆でパワフル。 全てが一緒くたになっています。
“唇に色を塗ろうと思った。 最初の男性、もしくは女性は?”
口紅を塗る行為には物語があります。 その時の社会や世相について語って
いるのです。 “リップを塗っているところよ”
赤い口紅は何世紀にもわたって人々に親しまれてきました。 口紅は社会の
歴史を教えてくれます。 私たちが時代に何を求められ、どのように自己表現を
したかをね。 それが、小さな口紅の中に詰まっているのです。
“ここはレストランの厨房ではありません。 有名な美容研究所のラボです。
製品は正確に計量して作られ、一定の基準満たしています”
一般的に口紅とは、オイル・ワックス、そして顔料を混ぜ合わせたものです。
特徴をつけるために、その他の材料を加えることもあります。 例えば長く保存
できるように防腐剤を混ぜたりします。
その他、色持ちをよくするとか色移りを防ぐためにシリコンを配合したりします。
これらを混ぜ合わせ、うまく溶け合うように熱を加えます。そして型に流し込む
直前に香料を加えるのです。 私は、バラの香りを使うことが多いですね。
時代を超えたクラシックな香りですからね。 誰にとっても、いい思い出や、
ステキな体験、愛された記憶と結び付いています。 前向きで懐かしくもある
感情を呼び起こすのです。
私達、誰もが共感できるモノには何かがあります。心を揺り動かされる何かが。
それが使われてきた時代や、使っていた人々に、私たちは思いをはせます。
昔の女性たちが使っていたモノを、実際に手にするのは、とても感動的です。
過去がよみがえってきます。 口紅は化粧品ですから、過去の感覚を呼び
覚ますのです。 見て、触って、匂いを感じると1920年代や1940年代のように
いつの時代にもタイムスリップできます。 病みつきになりますよ。
“これ見て! これってマジで… 衝撃だわ! あり得ない!”
“フォロワーのみなさん、こんにちは。 今日はメイクや口紅にいてだよ!
みんなから、口紅は、いつからか使われているの?と、よく質問されるけど、
実は、よく分かっていない。 でも唇を彩る行為は、美容の歴史では最も古い
習慣なんだ”
体を飾り立て、唇を彩りたいと思う衝動は、太古の昔から存在します。 私が
思うには、イブが恥ずかしい部分を隠そうと、イチジクの葉を見つけ、エデンの
園を追い出された時からでしょうね。
イブは口元を引き立たせようと、ゼラニウムやバラを探したの。 昔から続いて
いるのです。 ‘化粧品は古代の発明です。 エジプト王の墓から、甘い香りの
する軟膏の入ったツボが発見されました’
私が大好きな古代エジプト史の中でも、特に気に入っている発見があります。
トリノに保管されている絵の描かれたパピルスで、私が正しければ、ヌードの
パピルスとして唯一、知られるものです。
言ってみれば、パピルスに描かれたポルノグラフィーといった感じでしょうか。
裸の女性が、男性器のようなものの上に座っていて、そこで口紅を塗って
います。
“今日のテーマはクレオパトラをイメージしたエジプトの女神。 ダークチョコ
レート色の女王ルックよ!”
人は何千年も前から、赤い口紅を塗って来ました。 始まりは紀元前2500年
頃で、女性が赤い口紅を塗っていた記録が残っています。 その時代は石や
赤土を砕いて作っていました。
そのため鮮やかではじける様な紅色ではなかったでしょうか。唇を赤く塗って
いたのは確かです。 古代エジプトでは化粧する理由が、たくさんありました。
砂漠気候のもとでは肌を、しなやかに保つ手だてが必要でした。 油や軟膏を
塗ることが、とても重要だったのです。
宗教的な理由もあり、炭で目を、くま取る事は、呪いのまなざしを取り払う力が
あるとされました。 さらに口紅を塗ってフルメイクをして。 ところであなたなら
どうやって自分を女王らしく見せますか?
時代をグッと進めて口紅を象徴する、もう一人の人物エリザベス1世について
考えてみます。 女王の姿は、当時の肖像画によって知ることができます。
口紅には、さまざまな物を使っていました。 その一つが、コチニールです。
コチニールが何だか、みんなは知ってる? 実は、植物に寄生する昆虫なの
です。 ちょっと気持ち悪いけど、すごく発色がいいから、エリザベス1世には
ピッタリだよね。
あらゆる化粧品と同じ様に口紅もその当時の社会背景と結び付いています。
切り離しては語れません。 顔を彩るメイクは時代の欲求や時の移り変わりを
反映してきました。
口紅をはじめ、唇にまつわる表現は、大きく変化していくのです。 18世紀は、
メイクが最も盛んに行われた時代でした。 宮廷では、メイクをする事によって
一種の仮面のようなものを、作り出していたのです。
メイクは、貴族と民衆を区別するものでした。 貴族社会では、女性も男性も
行っていました。 おしろいに、頬紅や口紅を施した顔は、貴族の証しです。
メイクは人工的な外見を作り出し、実際とは、かけ離れた姿にします。
デフォルメされたメイクは、虚構の世界を創り出すのです。
“唇が、すごく乾燥する。 でも気にしない。 美のためよ”
美しくなるために、人々は常に、危険な物質を使用してきました。
かつて辰砂(しんしゃ)・水銀・硫化物などの有害物を一塗りして、愛らしい赤い
唇を作っていたなんてショッキングですが、現代のボトックスなどの注入材料
フィラーは、どうでしょうか? 唇に入れるフィラーも、考え方は同じです。
私たちは美という名のもとに、体に危険が及ぶ恐れのあることを、してきたの
です。 口紅を塗ると、どうしても、その一部が体内に入ってしまいます。
統計によれば、平均的な女性は、一生のうちに、4キロ近い口紅を摂取する
事になるそうです。 ホントに驚きですよね。
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19世紀の終わりまで、何の規制もなかった。 何一つね。 化粧品は、とても
毒性が強くて死ぬこともあった。
フランス革命が起こると、王族は首をはねられ、人工的なメイクは廃れます。
旧体制の象徴として、全面的に禁止されました。 つまり18世紀に、貴族と
民衆を隔てる社会的な線引きだったメイクが、道徳的な線引きに変化したの
です。 一方に、社会的階級に関係なく、慎み深く生きる女性。
労働者や農民であろうと、貴族やブルジョア、商人であろうと、女性はメイクを
許されませんでした。 もう一方に、いわゆる不道徳な生き方とされたメイク
する女性。 売春をなりわいとする女性などです。
赤く塗った唇は、売春宿の前に掲げられた、赤いランタンと同じメッセージを
発していました。 作家モーパッサンは、こうした価値観に着目し、メイクした
唇は、どこか下品な感じのする傷口に似ていると表現しました。
メイクは負の烙印となったのです。 女性がメイクや口紅を施すのは人工的な
美しさによって純粋な男性を陥れる為だという考え方は今でも残っています。
無意識のうちに形づくられたメイクに対する偏見は、まだまだ根深く存在する
のです。
キリスト教が広まるにつれ、顔を装飾することは、より一層、詐欺やペテンと
結び付けられるようになりました。 悪魔の仕業であると。 メイクをしようもの
なら、ふしだらな毒婦にされました。
神が作り出したものに手を加えることは罪と見なされたのです。 顔に何かを
塗ることが許されなかった時代、劇場だけは例外でした。 19世紀は演劇が
大流行していたからです。
当時のフランスの女優サラ・ベルナールは、スーパースターで、現代のキム・
カーダシアンのような存在でした。 大きな影響力のあるインフルエンサー
だったのです。
彼女は食事に出かけるとディナーテーブルで口紅を塗り直しました。 それは
とても画期的な事でした。 瞬く間に口紅は流行し、タブーではなくなりました。
口紅が特別ではない、一般的なものとして受け入れられるようになったのは、
サラ・ベルナールのおかげです。
19世紀の終わりには、変化が起きていた。 女性たちはデパートやオフィスで
働き、自分たちの権利のために闘い始めた。 そこに登場したのが、イギリス
などの女性参政権活動家たち、サフラジェット。 サフラジェットと赤い口紅には
強い結び付きが。
‘サフラジェットがデモ行進を続けています。 隊列は膨れ上がり、大勢が
女性解放を求めて前進しています。 今や大学や知識人も支持しています。
この活動に階級の区別はなく、あらゆる人々が参加しています’
大衆紙はデモに参加していた女性たちを旗を振り回す武骨な醜い集団として
描きましたが、現実は全く違っていました。 サフラジェットは、身なりについて
デモを行う前に、何時間もかけて計画したのです。
“今日はサフラジェットの装いを教えるわね!” 目的は世論を味方につける
ことでした。 サフラジェットは、男性の格好を多少、真似たような姿では、この
闘いに勝てないと初めから理解していました。
やがて、アメリカのサフラジェットが始めた口紅をシンボルとして使う活動が、
衝撃を与えました。 1912年、ニューヨークで2万人ものサフラジェットが
参政権を求めてデモ行進した。
みんな、赤い口紅を塗っていたのです。 革新的なことだね! デモ隊は、
マンハッタンの5番街に入り、エリザベス・アーデンのサロンの前を通った。
美容業界のトップを狙うエリザベス・アーデンは、彼女たちに、赤い口紅を
手渡し始めたのです。 全てのサフラジェットに赤い口紅を!と、名案だよね。
赤い口紅は、サフラジェットに女性としての力を感じさせ、その力を表現する
方法を与えました。 それこそが彼女たちの伝えたかった事です。 私たちは
賢く、思慮深い人間である。 そして女性であり、それを恥じる事はない!と。
口紅は、そのメッセージを、視覚的に伝える最適な手段でした。 イギリスや
アメリカの多くのサフラジェットにとって、赤い口紅を塗る事は、連帯を示す
役割を果たすことになります。 私は女性よ! 私の叫びを聞いて! と、旗を
振っているのと同じです。
第1次世界大戦後、新時代の女性たちの登場とともに、新しい女性らしさが
生まれます。 コルセットが消え、スカートもヘアスタイルも短くなりました。
大切なのは、快適さと、自由に動けることです。
こういう物は胸がトキメキますね。 これが最後に使われたのは、1920年代。
当時の香りね。 イケてる女たちフラッパーの楽しさが伝わってきます。 新しい
女性像が生まれます。 解放された女性、それがフラッパーです。
若く、現代的で、公の場でメイクをする事も躊躇しません。車を運転し、自分で
生計を立てます。 メイクは、もはや負の烙印ではありません。 さらに、ある
発明によって、メイクの人気は一段と高まります。 映画です。
女性の顔が、これまでにないほど、クローズアップされて映し出されたのです。
新しい視覚体験でした。 画面いっぱいに拡大されて映される顔。 そこには、
モノクロのコントラストによる美学が生まれていました。
青白い肌にスモーキーなアイメイク。 そして真っ黒に近い唇です。 そうして
映画スターが現れ始めます。 例えばセダ・バラ。 ミステリアスで妖艶な姿から
無声映画で初めて、妖婦と呼ばれた魔性の女性でした。
そしてクララ・ボウは、口紅で形を作ったハート形の小さな唇で知られました。
メエ・マレーは赤く、ぷっくりとした唇で有名な女優です。その唇はハリウッドの
撮影所で美容アドバイザ-だったマックス・ファクタ-の工夫から生まれました。
彼は唇全体にファンデーションを塗った後、口紅を付けた親指を上唇に2カ所
下唇に1カ所、押し当てたのです。 唇と映画スターを語るうえで欠かせない
のが、郵便ポストの差し入れ口のような唇をした、ジョーン・クロフォードです。
マックス・ファクターは彼女の唇も塗りつぶし、リップラインをのばして、狩人の
弓と例えられた、美しい弓型に整えました。 その大きな口は、彼女の代名詞
となり、大勢の女性たちが、まねをしました。
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口紅を塗った唇は強さをイメージさせ、口紅は力を強調する道具となりました。
人は映画で見た物を実際に欲しくなるものです。 そして口紅は、誰のハンド
バッグにも入れられ、どんな女性の唇にも塗られるようになりました。
口紅の普及には、もちろん、広告も貢献しました。 当時の広告は、本当に
美しい。 イラストで描かれていてね。 ごく細い線で、詳細まで描かれた
ポートレートとか。 唇には、赤い色が載せられてた。 現実は、かけ離れた
繊細なもので、まるで夢のよう。
その後、生産技術とマーケティングが進歩します。筒状の容器に入った口紅が
発明され、大量生産が可能になると、職人による手作りの化粧品は、取って
代わられました。
先駆者や発明家、化学者の登場、顔料の発見、そして新しいパッケージの
開発など全てが一気に進んだのです。 それと同時に、どこにでも、この新しい
魔法の杖が簡単に手に入るよう近代的な流通ネットワークが構築されました。
こうした製品を提供する会社は、まだ多くありませんでした。そのためビジネス
チャンスは、いくらでもあったのです。 つまり当時、口紅などの化粧品業界が
女性たちに自分でビジネスを興して経営者になるチャンスや裕福で自立した
成功者になる機会をもたらしたのです。
エリザベス・アーデンやヘレナ・ルビンスタイン、アダム・C.J.ウォーカー
といった、女性たちが男性中心の時代に起業できた事は、ここ数100年の
ビジネスの歴史において非常に重要です。
口紅が存在していなかったら、彼女たちは、事業を興せなかったでしょう。
エリザベス・アーデンは、真っ赤なドアの付いたサロンを作り、憧れの場所に
したのです。
さらに上流階級が、お買い物をする、デパートで販売するようになります。
女性達は、そこで何か特別なものを手に入れる様に化粧品を買ったのです。
女性たちの心理に大きな変化が起こり、次々に化粧品を買い求めます。
曜日ごとにコンパクトをかえたり、色を買い揃えたり。 でも突然、待ったが
かかります。 第2次世界大戦です。
‘目覚めよ、アメリカの女性。 目覚めよ、アメリカの夫人’
第2次世界大戦中、口紅は、アメリカとナチスドイツを隔てる、戦線の象徴の
ようなものでした。 両者とも、戦争を遂行していくうえで、女性の力を重要と
考えていました。
1930年代初頭、ナチスが権力を握るようになると、すぐさま女性らしさを定義
するプロパガンダが始まります。 女性は清純でなくてはならず、化粧をしては
ならない。 人工的なものは一切禁止!自分を変えようと思ってはならないと。
ナチスにとって口紅は、今で言う、西側の象徴でした。 アメリカやハリウッド
そのものです。 つまりナチスが否定するもの、全てだったのです。 そして、
口紅も、邪悪なものとしました。
ヒトラーは、特に口紅をした女性を、嫌っていたといわれています。 だから、
ヒトラーに抵抗する女性たちは、赤い口紅を塗り、連合軍への支持を表明した
のです。 女性たちは、まるで、戦化粧のようにメイクしました。
軍隊に入隊し、実際に、戦闘に参加している女性にとって、口紅は、軍服の
一部だったのです。
“軍公式の赤い口紅を初めて作った人は?親愛なるエリザベス・アーデン!”
彼女は、その色を、モンテスマ・レッドと名付けました。 海兵隊の軍歌の中に
アステカ最後の皇帝モンテスマの名前が入っていたから、とも言われます。
当時、口紅には戦争っぽい名前が付いていた。パトリオット・レッドにブラボー。
え~っと、他には… ファイティング・レッド、ビクトリー・レッド。 赤は時代を
象徴する色だった。私が欲しいのは男性社会は、もう、おしまいレッド…かな。
このビデオは、もっと楽しいわよ! 2種類のバージョンがあるの。 これから
私が紹介するのは1940年代の文化的アイコンだったリベット打ちのロ-ジ-。
彼女は第2次世界大戦中に、工場で働いていた女性たちの象徴だった。
男性が出征したあと、軍服を作り、銃や武器を供給していたのは、工場で
働いていた女性たちよ。 ロージーは、フェミニズムや女性の地位向上運動の
先駆けね。 ウィー・キャン・ドゥ・イット!って。
ロージーのポスターは、人々を勇気づけました。 彼女は時代の寵児でした。
ロージーは、かなり立派な体格の持ち主です。足でヒトラーの著書、わが闘争
を踏み潰しています。
彼女は、絶対的な力の象徴でありながらも、鮮やかな赤い髪をして、口紅を
さしてます。
リベット打ちのロージーは広告上のシンボルにしては曖昧で、どっちつかずな
存在です。 彼女がアメリカの工場のポスターに登場したのは、1943年2月。
長引く戦争で、女性労働者の士気を高める必要があったのです。
でも、それだけではありませんでした。政府は女性達に、こう呼びかけました。
女性らしさを忘れないこと。 男性になれとは言ってません。 戦争に貢献して
もらいたい。 でも、伝統的な女性らしさを守り、メイクをしてステキな女性で
いましょう!と。
戦争で男性達が動員される中、性別による役割が消滅するのを避けたかった
のです。 戦争のあと、誰もが自分の本来の居場所に、疑問を持たないように
する必要がありました。
そして戦後は、どうなったか? 男たちが帰ってきた。 夫や恋人たちが帰還し
女性たちは家庭に引き戻された。
‘彼を休ませてあげたら、キッチンでケーキを焼くはめに…’
男性が帰って来ると、女性は職場を離れ、家庭に戻らねばなりませんでした。
なぜなら、ベビーブームが必要だからです。
亡くなった人たちの分を補充し、経済を立て直さなければなりません。 それが
どのようにファッションやメイクに反映されたかというと、信じられないほど女性
らしいボディーラインが舞い戻って来たのです。 コルセットの復活です。
突き出たバストに、くびれたウエスト、そして大きく広がったスカート。 貴重な
配給素材を、たっぷり使ったロングスカートです。 そして女性らしさたっぷりの
メイク。 大きく強調された、女っぽい唇です。
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工場でロージーのように働いた女性たちは、今度は完ぺきなレディーになる
事を求められたのです。 これは、グラマー・リップス。 ハリウッド御用達の
グラマラスな唇を作るメイク道具です。
キューピットの弓のような唇が描けます。 完ぺき、完ぺき。 50年代は全てが
完ぺき!という言葉で飾りたてられました。 1948年以降、アメリカ人女性の
9割が、口紅を毎日、付けていました。 社会現象です。
戦争による物不足や苦難、悲しみのあと、人々が自分を美しく見せたいと思う
のも、メイクをしたいと願うのも無理はありません。 それまで不可能だった
消費行動を、社会全体が促すのも当然のことです。
そして大量生産方式は、化粧品業界にも影響を与えました。 女性の権利を
求めた20世紀初頭のサフラジェットと、あとの世代。 それぞれが、どう口紅を
活用したか比較すると面白いですね。
1950年代には、口紅は、アメリカの主婦の象徴でした。 当然、大きな市場が
見込まれます。 エリザベス・アーデンやヘレナ・ルビンスタイン、レブロン、
エスティローダーといった化粧品業界のブランドが、しのぎを削り合いました。
そのライバル関係は、口紅戦争と呼ばれるほどだったのです。
‘それでは、みなさん、ボブの話に耳を傾けましょう。 ソフトタッチを使っている
彼女を見てください。 口紅が付きません’
テレビ広告は、口紅戦争における強力な武器でした。 なぜなら、誰もが同じ
テレビ番組を見ていたからです。 当時は今のように、たくさんのチャンネルも
山ほどの番組もありませんでした。
そのため誰もが見ている番組でテレビ広告をしたブランドは、一気に知名度を
上げることができたのです。 ‘これまでにない赤色です。 消防車よりも
鮮やか。 バラよりも美しい’
“ファイア・アンド・アイスは、オレンジっぽい赤。 どんな感じかな?”
1952年、レブロンが行った広告キャンペーン、ファイア・アンド・アイスは、
女性の内なる葛藤を表現したものでした。
女性のみなさん、あなたは、小悪魔的な炎タイプ? それとも、おしとやかな
氷タイプ? 初めて、美と心理学を結び付けたのです。 当時としては画期的
でした。 さらに、このキャンペーンは、広告の歴史上の転換点となりました。
女性の体が持つ性的魅力を強調したからです。 片面は、モデルのドリアン・
リーの写真。 その裏に、15の質問がある。 ファイア・アンド・アイスにふさわ
しいか? 質問に答えてください。
次に出会う男性が、精神科である事を、ひそかに期待している? だって。
2問目。 ほかの女性から恨まれていると感じる? もちろん、毎日。 毛皮に
ワクワクする? ほかの女性が着ていたとしても? ひどい質問。
15問のうち8問以上、イエスと答えたなら、あなたはファイア・アンド・アイスな
女性。 この口紅は、まさにピッタリ。 “あなたを私のものに…あら、見てた?”
赤い口紅は、グラマラスな女優と、切っても切り離せない関係になりました。
口紅を含めて、あらゆる方法で、女性らしさが誇張されたマリリン・モンローの
イメージ。
彼女のメイクアップアーティストは映画を撮影する際、何種類かの口紅を組み
合わせて使っていました。 唇の端は濃い色で囲み、中心に向かって明るい
色を使い、上唇の山の部分は、少し、とがらせます。
マリリン・モンローを見ると、口紅がスターのアイデンティティーの一部になって
いった事が分かります。 口紅は、マリリンのトレードマークでした。 彼女は、
天然色映画の申し子です。
白黒の無声映画時代のスターとは異なり、血の通った生身の女性です。
赤い唇は挑発的で、色気に満ちて、人を惑わす力がありました。
その後、マリリン・モンローの唇はアンディ・ウォーホルやトム・ウェッセルマン
といった、アメリカの画家たちの ホップアートによって、皮肉交じりの表現の
題材にされます。
赤い唇は過剰なまでの女性らしさに対する批判、そして盲目的に大量消費へ
突き進み、破綻していく社会に対する批判として表現されました。
‘美とは何でしょう? 内側から生まれるもの、目の輝きです。 女性は自分が
美しいと感じる時、誰よりも強くなります’
次第に、この過剰な女性らしさを拒否する動きが生まれ始めました。 1950年
代の母親たちと、その娘たちとの間に、亀裂が生じます。 娘たちは、もっと
気軽に遊び心のある口紅の使い方をするようになります。
シンプルなメイクを望んでいたのです。 1960年代に入ると、完全に変わりま
した。 60年代のアイコンと言ったら? ツイッギーです。 身長167センチ、
体重41キロ、バストは、およそ77センチの16歳。
これが、60年代の理想のスタイルです。 ツイッギーをはじめとした、十代の
若者たちが服装やメイクなど、あらゆるトレンドを作り出します。 目指していた
のは、大きな目に、青白い唇をした、細身なガーリー・スタイル。
白い口紅です。 真っ白ですね。 時代の力は、若者たちが握っていました。
口紅は言葉を話します。 無言ではありますが、何かを伝えることができるの
です。そして口紅に背を向ける女性たちによるアンチ口紅運動が現れました。
口紅を塗らないことで何かを伝えるのです。 そこに意味があります。 当時、
自然への回帰や、快楽の開放が新たな価値観となり、女性たちは、完ぺきな
主婦や OL のようなメイクをしなくなりました。
ヒッピーは、口紅に大反対だった。 彼らにしてみれば、メイクも主婦も、あり
えない。 そうやって口紅は、下降線をたどっていった。
1968年に、アトランティックシティーで行われた美人コンテスト、ミス・アメリカで
女性たちは口紅を自由のゴミ箱と呼ばれたクズ入れに投げ入れた。女性への
固定観念を打ち破ろうとしている事を示すためにね。 口紅は、退場!って。
‘ベティ・フリーダンの著書、新しい女性の創造に触発され、女性たちは抗議
活動を始めました’
口紅を塗る行為には、さまざまな意味合いがあります。 女性解放の証しとして
塗る人もいれば、口紅を塗る事で、伝統的な規範に服従していると感じる人も
いるでしょう。 口紅には、二面性があるのです。
歴史上、口紅が尊重される時代もあれば、そうでない時代もありました。 振り
返れば、口紅は、美の表現として1つの方向にだけ、進化してきたわけでは
ありません。
実際、1970年代には、カウンターカルチャーと結び付いた事もあったのです。
ド派手なメイクの偉大なパイオニアと言えば?パンクロッカーです。 郊外から
やって来た、ごく普通の若者たちから始まり、世界中で流行しました。
お金や社会階級とは関係ありません。 文字通り、ストリート・スタイルです。
そして化粧品やメイクは、原点へと回帰します。 大切なのは、同族的な
連帯感を生み出すこと。 パンク・メイクは、仲間意識のたまものでした。
パンクファッションは、仲間とのつながりの表現でした。 前の世代に対する
とてつもなく派手な、反抗の証しだったのです。 イギリスやアメリカのパンク
ロックの黎明期、スージー・スーやデボラ・ハリーのようなパンクロッカーは、
反抗のしるしとして、赤い口紅を塗りました。
マイクロミニのスカートを履いたり安全ピンを身につけたりするのと同じ反抗の
表現です。 赤い口紅は、トガったアグレッシブさの究極的な表現なのです。
パンクの目的は、フェミニスト的な態度で男性たちに訴えることではなく、上層
階級に衝撃を与える事でした。 口紅は古い慣習に対する抵抗の象徴だった
のです。
‘前は、どんな感じ? カワイイ系。 髪の色は? 金色っぽいブロンド
長さは? このぐらい。 髪型は変えてたけど、いつも長くしてた。 友達が
私の髪を切っちゃって、ママをごまかそうとしたけど、バレた。 髪が椅子の
上にある!だって’
黒い口紅は、3年ぶりくらい。 今日は、試してみる! 黒い口紅は大好き!
恐れ知らずで大胆不敵だけど、すごく美しくなれる。 敬遠しがちだけど、バラ
ンスに気をつけてメイクすれば、黒って、とっても美しい色だと思う。
赤の次に来るかも! リアーナが、ダークレッドの口紅をしている映像を見て
感動した。 なんて、カリスマ的なんだろ。 キレイ!って。 唇も爪も、黒で
合わせる。 男に、黒いネイルとリップは映えるんだ。 ブルーもね。
雰囲気によっては、ほかの色もいいと思う。 控え目なピンクや、つややかで
目を引く赤とか。 遊びに行く時や、洋服に合わせたい時には、鮮やかな
ブルーもいいよね。前にコメントで印象的な口元は誰?と質問されたけど…。
‘出発! トランスセクシュアル星へ。’ ティム・カリーの事を話してもいい?
真珠のネックレスに、あの口元。 まさにクレイジー! 何人か挙げるとしたら
たくさんいるけど、マドンナやボーイ・ジョージ、ミック・ジャガー。
デヴィッド・ボウイは、どうでしょう? 彼の姿は、LGBTQなど、自分の性別や
セクシュアリティーについて悩んでいた、多くの人たちを解放するものでした。
メイクのもう一つの役割は、人々が本当に必要としている扉を、開いてくれる
ことです。 リル・ナズXや、ヤングボーイ・ネヴァー・ブローク・アゲインも、
口紅を塗っている。 僕にとって口紅を塗るのは、ささいな事なんかじゃない。
幸せな気分になるから小さな頃から塗ってきた。 でも僕は外の世界に対して
鈍感というか、よく分かってなかったのかもしれない。 だから今は、安全だと
思う時だけ塗る。だって男が口紅を塗っていると、みんな、すぐに気付くんだ。
良くも悪くも、反応を引き起こしてしまう。 人を刺激するんだ。 すごく男らしい
人たちの側を通った時、彼らが自分よりも男らしいと感じて、男としての自分に
自信が持てなくなって、とても居心地が悪かった。
昨日、カールがメイクして現れた時、何の違和感もなかったわ。 メイクしてる
なんて、全く考えなかった。 ただ、そのリップかわいいって思っただけ。今後、
口紅を頻繁に使っていくかどうかは分からないけど、この前、仕事場に向かい
ながら、今、まさに、人生について悟った!って思った瞬間が、あったんだ。
やりたいなら、何だって、やっていいし、なりたい自分でいて、いいって。
その事を実践してるだけだけど、すごく、いい気分。
今の人は、他人と違うところを大胆に誇張します。 例えそれが、昔の人が
美として表現したものとは異なっていてもです。 メイクと口紅の歴史は、
驚きに満ちています。 常に、新しい考え方が生まれます。
その一方で、環境や製法、パッケージ廃棄について、疑問も生じています。
リサイクルしないの? 環境に対する責任について、これだけ話題になっても
口紅による環境汚染を止める解決策は、まだない!
使用期限切れのメイク用品を捨てようと思ったの。 でもダメ!環境に悪い!
もっといい方法があるはず! 口紅を使い切っても捨てないでね!水を注いで
キャップをして、冷凍庫に入れる。 すると… 目の下の腫れに効果的!
現代の美について思うことは… 昔の若かった頃を思い出すと自分にとっての
世界は、友人や地元の町で成り立っていました。 雑誌で外の世界をかいま
見ても、実際に影響を受けるのは、顔見知りの狭い範囲からでした。
しかし今や世界は、すぐそこにあります。 ポケットの中にね。 至る所で人の
顔を見ることができます。 世界中の人々が、常に画像を交換し合っているの
です。
携帯電話や自撮りが普及し誰かの顔が、いつでもどこでもあふれている中で
口紅に重要な役割が生まれています。 口紅は多くの場で、パワフルな
メッセージを伝えています。 だからこそ、あらゆる所で目にするのです。
例えば2021年1月にポルトガルで行われた大統領選挙では、性差別発言を
した極右の立候補者に対して男性も女性も口紅を塗って、その写真をネットに
アップして抗議しました。
口紅は、またも政治や社会を改革するための、力強い手段となったのです。
赤い口唇は、売春婦を意味するわけじゃない。 誰だって口紅を塗っていい。
黒人でも、ゲイでも、誰でも。 自分らしさを批判される筋合いは、ない!
間違いなく、口紅には、語るべき物語があります。 メイクや美しさを、取るに
足らないと片付けるのは簡単ですが、自分を表現する手段は、本当に取るに
足らないでしょうか?
とても重要なことです。 ボタン1つで、世界とつながることができる現代では、
どうでしょう? もしかしたら、過去にないほど重要かも知れません。